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「憂鬱な朝」日高ショーコ先生

日高ショーコ作 「憂鬱な朝」に惑溺して抜け出せなくなったblog。

その13 明治という時代 -「憂鬱な朝」 日高ショーコ先生-

2017-02-24 00:19:36 | 憂鬱な朝
ご来訪いただきありがとうございます。

これまで時代物の物語はあまり読んだことがなかったのですが、「憂鬱な朝」をきっかけに当時の様々な制度や習慣に興味を持つようになりました。

今回は、当時の上水事情について考察したいと思います。

以下、ネタバレ含みます。(既刊7巻まで)
なお、年齢は、作品内の数え方をそのまま採用しています。

以降、よろしくお付き合いください。

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東京の上水が完全に整備されたのが1911年。

7巻末はおそらく1909年頃かと思われます。(記事4の年表を参照)
当時の「お風呂」は、桶に用意したぬるま湯や冷水で身体を充分に洗うというものだったようです。
作中でも智之や暁人様が身体を拭くシーンが何度か登場しますが、それがお風呂であったようですね。

もうひとつ、浴槽にお湯を張りそこに体を浸かる、現代と同じスタイルのお風呂もあります。
智之が、石崎の元女中の家と、鎌倉別邸で入っていました。
水道がまだ完全に整備されていない時代だったことから、多くの家は外部の井戸等から湯桶にわざわざ水をくみ入れて沸かして入っていたようです。

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※追記:久世家は建築時から上水道を引いていたようです。(SSより)
久世邸には浴槽があり、日常的に湯船に浸かっていた。
身分と財力によるものでしょう。さすが久世家といったところです。
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石崎の元女中の家で、暁人様の手はずいぶん荒れていました。
風呂の焚き方を憶えてからは、お富さんばかりではなく、暁人様もずいぶん手伝っていたのではないでしょうか。

おいたわしいことではありますが、暁人様はそんな重労働をものともせず、下働きの仕事をやってのけます。
生まれながらのおぼっちゃんなのにこのバイタリティ。

智之のために、かいがいしくお茶を淹れたり、お風呂を焚いたりする暁人様。
智之のネクタイを嬉し気に締めたりしてますし(6巻30話扉絵)、健気というか、じつは暁人様は人に尽くすのが好きなタイプなのでしょうか。

その点、智之はどちらかと言えば人を動かし、人に奉仕させるタイプです。
これについては、智之は非常に興味深い変化を遂げてもいるので、後日詳しく考察したいと思います。

2人が手拭いを絞り身体を拭くシーンには、毎回ドキドキさせられます。
六尺褌?それは言うに及ばず。


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