「憂鬱な朝」日高ショーコ先生

日高ショーコ作 「憂鬱な朝」に惑溺して抜け出せなくなったblog。

その75 雑話vol.3 -「憂鬱な朝」 日高ショーコ先生-

2017-05-10 12:34:02 | 憂鬱な朝
ご来訪いただきありがとうございます。

長期休暇ボケから復帰しました。ご無沙汰しました。

数日前、過去記事を振り返ってみたのですが、我ながらおかしな文章が多い。
(一部修正させていただきました。)

今回は、マメ知識篇です。

以下、ネタバレ含みます。(既刊7巻まで)
なお、年齢は、作品内の数え方をそのまま採用しています。

以降、よろしくお付き合いください。

*********************************

■ 華族(欧風の貴族を模倣)の邸宅は、地下室有りが普通であった。
執事(バトラー)の元々の役割であった、ワインセラーの管理部屋なども地下にある事が多かったようです。

これで久世子爵邸、森山侯爵邸ともに地下室があった可能性が高くなりました。
(モデルとされる邸は地下室あり。)


■ 大名家の御女中について。
御女中は行儀見習いとして、良家の娘が配属される場合が多かった。
家柄が良いことから、お殿様の御手が付くことも容認されていた。
つまり、御女中は、妾候補でもあった。

御一新前までは当たり前とされていた大名家の妾事情を、暁直様があれほどまで気嫌いしていた理由は、御父上の行き過ぎた女遊びや御母上への同情もあるでしょうが、多分に英国留学が影響していたのではないかと思います。


■ 明治時代の女中は和服が基本。いわゆるメイド服は、カフェの給仕が着るものであった。


■ 明治時代は、父親の名前から一文字取って嫡子に命名することが多かった。
「憂鬱な朝」もその規則に則っていますね。
ex.直弥→暁直→暁人、高正→高之、総右衛門→総一郎


■ 華族は見栄っ張りも多かった。
前記事にも書きましたが、高給な男性使用人を人目に付く玄関に配置する等はよくあるケースだったようです。
中には、使用人の部屋には電気を引かず、電気代の節約をするといった華族も。
華族社会は、見栄や嫉妬や陰謀が渦巻く世界でした。
智之があれほど利害を重視する性格になったのは無理からぬことかも。


■ 明治後期~大正時代のBL事情について。
いわゆる男色、衆道はこの時代にもありました。
上野の森(上野公園)が有名スポットだったそうです。
いわば、新宿二丁目、マレ地区みたいな場所でしょうか。
しかしながら、憂鬱な朝に登場する特権階級の方々にとっては、おそらく縁遠い場所であったと思われます。

…この項目については、更に興味深い記述がありましたので、次回へ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿