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ハンセン病

2023-08-08 22:03:33 | ニュース
ハンセン病 「出典」一部抜粋ー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ハンセン病(ハンセンびょう、Hansen’s disease, leprosy)は、抗酸菌の一種である癩(らい)菌 (Mycobacterium leprae) の皮膚のマクロファージ内寄生および末梢神経細胞内寄生によって引き起こされる感染症である。 病名は、1873年に癩菌を発見したノルウェーの医師、アルマウェル・ハンセンに由来する。かつての日本では「癩(らい)」、「癩病」、「らい病[注釈 1]」とも呼ばれていたが、それらを差別的に感じる者も多く、歴史的な文脈以外での使用は避けられるのが一般的である。その理由は、「医療や病気への理解が乏しい時代に、その外見や感染への恐怖心などから、患者への過剰な差別が生じた時に使われた呼称である」ためで、それに関連する映画なども作成されている。 感染経路は、癩菌の経鼻・経気道よりのものが主であるが、他系統も存在する(感染経路の項にて後述)。癩菌の感染力は非常に低く、治療法も確立した現状では、重篤な後遺症を残すことや感染源になることはないものの、適切な治療を受けない・受けられない場合、皮膚に重度の病変が生じ、他者への二次感染を生じることもある。 2018年の世界保健機関 (WHO) による統計では、世界におけるハンセン病の新規患者総数は、年間約21万人である。一方で、日本の新規患者数は年間で0 - 1人に抑制され、現在では極めて稀な疾病となっている[2]。ハンセン病はWHOにより「顧みられない熱帯病 (NTDs)」に指定されている[3]。 呼称[編集]癩病を患った夫と看病する妻を描いた月岡芳年の浮世絵。周囲から離婚を勧められても夫を見捨てることなく一家を支える妻に対して褒美が出たことを報じている。『郵便報知新聞』1875年 ハンセン病は古くから世界の各地に存在していた病気で、多くの古文書や宗教にハンセン病を思わせる記述が残されている。ただし、古文書に登場するleprosy、癩病と呼ばれたものはハンセン病以外の病気も含む可能性があることや、古文書でのleprosyやレプラの記述の意味を確認することは容易でな、ハンセン病の起源、歴史の研究を難しくする要因となっている。 日本では「癩(らい)病」、「ハンセン病」の両方の呼称がある(それ以前には「ハンセン氏病」の表記もあった。下記も参照されたい。) 上述したとおり、公的な場での前者の使用は忌避される傾向がある。近代以前の「癩(病)」は一つの独立した「ハンセン病」という疾患以外の病気も含む概念であり、断りを併記して使用されることがある。 患者は leper(癩者)とも呼ばれるが、1953年に開催された第6回国際癩会議では、患者は leprosy patient と呼ぶことが推奨された。 従来、癩療養所は「レプロサリウム、Leprosarium」と呼ばれたが、「サナトリウム、sanatorium」の方がより一般的である。 以下に、ハンセン病の主な別称を概観する。 西洋における呼称と歴史[編集] 英語の「leprosy」や近代西洋語の同等の語、また日本語の「レプラ」は、古代ギリシア語で 「λέπρα(leprā)」、ないしはその借用語であるラテン語の「lepra」に由来するが、その語史は次のように辿ることができる。  少なくとも古代ギリシアにおいては、語源に見えるように「皮膚が鱗状・かさぶた状になる症状群」を指し、乾癬や湿疹など幅広い皮膚疾患がこの名で呼ばれていた。ハンセン病の症状を含んでいたかどうかについては諸説ある。紀元前5〜4世紀の古い使用例として、ヘロドトス『歴史』〈1巻138節〉、アリストファネス『アカルナイの人々』〈724行〉などがあり、またヒポクラテス集成の中では『予知論 II』〈43章〉などがある[注釈 2]。 アリストテレスが「サテュリア」と呼んだものは、ハンセン病であったかもしれない。また、エフェソスのルフス(英語版)によれば、ギリシアの医者エラシストラトスの弟子ストラトンが「カコキミア(英語版)」と呼んだものは「象皮病」(後述)であったというが、いずれの場合もはっきりしない。

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