ここには確かにあの街があったんだ。むかしむかしの話だ。

たどり着く場所なんて考えてはいなかった。歩いてきた。ゆっくりとだ。はじまりの場所は,はっきりと覚えている。

南行徳という駅ができたのは,僕が周辺に住み始めてからずいぶん時間が経ってからのことだ。

2020年10月03日 18時26分48秒 | ゆっくりと妄想を積み,不確かな記憶を編み込んでいくと幻の街ができあがる。

もちろんTDLも存在してはいない。浦安はまだ市ではなかったのだ。
行徳駅から浦安駅方向に線路伝いに歩くと大きな道路を横切ることになる。右へ行けば今井橋をわたって東京都へ入る道だ。左はもちろん湾岸線に至る。この道路を横断して行徳までの細い道を彼女はひとりで歩いた。浦安駅までの距離を歩いて地下鉄に乗っても時間の節約にはならない。

むかしのはなしだ。深夜,電話をかけるのが習慣になってしまった女の子がいた。

2020年09月19日 01時24分09秒 | ゆっくりと妄想を積み,不確かな記憶を編み込んでいくと幻の街ができあがる。


彼女は毎晩電話をかけてきた。平均で3.4時間。親に小言を言われないように,わざわざ自室に電話を引いた。携帯電話はまだ存在していない。携帯電話どころか,ポケベルがやっと数字を表示できるようになった頃だ。けれどそれを大昔だとは認めたくはない。そんな昔のことでもないと思いたいのだ。
美しく内気で,友達のいない女の子にありがちな性格で・・・もちろんこれは個人的な決めつけ,偏見に過ぎないのだけれど・・・・母親のことが嫌いだった。彼女の弁を借りれば,母親は彼女のことを大嫌いだ,恨んでいると言ってもよい,と。実際の母親は子ども思いの働きもので,父親は少々厳格すぎるほどのいい男だ。美味しい料理を出す中華飯店を夫婦で営んでおり,妹はごく普通の女の子で,後に姉よりも先に嫁に出ることになる。私はこの家族の皆と親しく,少なくとも形式的には親しくつきあっていた。父親とは数えるほどではあるけれどその店以外で飲んだこともある。


高円寺

2020年09月13日 23時49分12秒 | ゆっくりと妄想を積み,不確かな記憶を編み込んでいくと幻の街ができあがる。


僕のなじみの高円寺は国鉄だ。JRなんて呼び名は,ずっとあとになってからのことで,大森も大井町も高田馬場も中野も高円寺も全部「国鉄」の駅だった。
早稲田も行徳も浦安も営団地下鉄東西線の駅だった。東京メトロなんてしゃれた名前ではなかった。
高円寺は2つの顔をもっていた。僕には・・・という意味だけれど。高円寺の北と南では舞台設定が違うのだ。一つ目の顔は,中野駅から歩いて行く細道につけられている顔だ。その細道がどこにあったのかさえもう分からない。高円寺から環七へ向かって歩道橋を渡った。何度もだ。このふたつの経路は環七を渡って出会う。むかし話だ。この歩道橋にも小さな物語が残っている。

椎名町から

2020年09月13日 11時08分45秒 | ゆっくりと妄想を積み,不確かな記憶を編み込んでいくと幻の街ができあがる。


駅からの細道は神社沿いだった。
そのすぐ横にあの帝銀事件の舞台があったなんて,その頃は知らなかった。駅舎は小さかった。
細道を歩くのはいつも楽しかった。ほとんどが暗い時間だった。

西武池袋線 椎名町から

2020年09月10日 23時16分13秒 | ゆっくりと妄想を積み,不確かな記憶を編み込んでいくと幻の街ができあがる。


僕が初めて池袋線の椎名町駅に降りたのは昭和50年だったと思う。その駅舎はとても小さく古く懐かしいパーツのひとつだ。僕の記憶の中の街,風景のパーツのひとつという意味だ。
ただ,それは昭和49年だったかも知れない。その誤差には,すこし事情がある。僕の事情ではなく,彼女の事情だ。椎名町の雨はもう少し後の出来事だ。