ダメツレヅレグサ

受験生が、どうでも良い事を徒然なるままに・・・

秋田県

2006年05月21日 | 時事・ニュース
最近秋田で良く無いことが立て続けに起こっています。
私の両親は秋田で生まれ育ちました。私自身もよく秋田へは帰省しています。

本当に風光明媚な所で、田んぼと山と道路しか無い様な所です。
最近では空港が出来たり、道路が出来たり、帰省客にとっては便利になってきてはいます。
「通常」ここで起こる事件と言えば(事件と言っておきながら通常と言うのはおかしいですが)、車のスピード違反、
畑の作物の泥棒、こんな所でしょうか。

そんな田舎で起きた幼い命を奪った事件。テレビでは連日のように報道されています。
その時によく聞く「地域のつながりが大切だ」という言葉。
疑問ばかりが残る言葉です。

私の田舎でもそうですが、地域の繋がりはかなり強いものです。もの凄く狭いコミュニティーの中で、人が助けながら生きている。
そんな田舎でどうして幼児が殺害されるような事件が起こるのか。
簡単です。「平和ボケ」です。

何かあったら地域が助けてくれるという意識が強すぎるのです。自分の身に何かあった時、誰かが助けてくれる。
その意識が強すぎるからこそ、「誰かが助けてくれる」ことが出来る事のキャパシティーを越えるような事が発生すると、
誰も助けてくれない、というか「助けられない」状態になると思うのです。

「こんな田舎でこんな事件が起きる訳が無い」という意識もそうです。
今の世の中、訳が分からなくなってきたのだから、どこで何時何があろうと疑っていなければならないのです。
人と人とがある程度接し合う、しかし接し合いすぎない。
本当に微妙な事ですが、これが大事なのです。
何十年も、何世代にも渡る近所付き合いと言うのは全く違ってきますが、今回の事件はそうではない。
Uターン組の方々の住まいと言う理由で団地が出来たと聞きました。

この地域の警察と言えば、スピード違反の取締ばかりです。
そんな警察が「殺人事件」の捜査をスムーズに行えるとは、正直到底思えません。
最初、彩香ちゃんが水死体で発見された時、秋田県警は事故死だと判断しました。これも「平和ボケ」が原因です。
こんな田舎の地方で、少女を殺害するような人が居る訳が無い、事故ししかない。秋田県警のアタマの中には「事件」という選択肢が無かったのです。
もし、この時何らかの疑いが浮かんで、本気で捜査をしたら今回の事件は存在しなかった…かもしれません。

幼い二人の死を、決して無駄にしてはダメなのです。地方の在り方をもう一度考え直そうではありませんか。
もの凄く小さいながら輝いている、何らかの光を残して、幼い二人は旅たったと信じたい。

最新の画像もっと見る