合気道鴻心館《明月会》Meigetsukai

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・合気道はやってはいけない その7

2020年12月24日 | 合気道
鴻心館合気道では、
合気道を指導普及しているのに
合気道をやってはいけないと
否定しているようなタイトルは変だと思うでしょう。

合気道をこれまで長年指導してきて
思うところがあるので、こういう
タイトルを書いているわけです。
その思うところは、安易な
理由でしてはいけないよと、
20才以上の方に向けて書いています。

子どもは、
礼儀作法や躾、社会教育の一環として
合気道はどんどんやるべきだと思います。
空手や剣道、柔道の武道も同じです。

しかし、
日本の場合
武道は外国と違って"習い事"の一環として
ちょっとかじってみようという
軽い意識でやる方が少なくないと思えます。

その結果、2~3年ですぐにやめていくになっちゃいます。
それでもまぁよいですし、
そういった意見もあるとは思いますが

当会はそんな人はお断りです。
時間がもったいないからです。

(読書でもしているほうが有意義です)
たった数年でやめて、離れてしまえば
何にも身につかないに等しいからです。



⇧神社道場(堺市南区宮山台で金曜、土曜日クラスあり)


OGPイメージ

合気道鴻心館

堺市各区で合気道を指導しています日本合気道鴻心館です。 桃山台道場、家原寺道場、深井北町道場、鳳南道場、一休鳳道場、多治速比売神社に道場あり...

日本合気道鴻心館 新ウェブサイト

 


⇧ 鴻心館合気道公式ウェブサイト.

合気道をする理由

ミーハーな方や曖昧な理由で合気道はしないほうがいいよと
書いてきましたが、
では合気道をする価値、みかえりとは何かということですが、

あまり他の方が言わないことを書きますと、
一つには、
自分が無くなります
これは合気道のみならず他の武道武術でも言えることですが、

自我の強い方は身を亡ぼす
自分に意識を向けずに
相手に向けるです。
そういう武術の「コンセプト」がもとです。
相手に意識を向けていくと、
自分が自分の中で存在しない

自分と相手を区別して戦う(意識の闘い)ということ。
それは「柔」ではやらない、本質じゃない
合気道ではやらないということです。

そっち方向じゃないよということです。

植芝盛平翁の合気道がそうですし、
名だたる合気の武術家はそういうコンセプトでやっていることでも
分かると思います。

武術でいうところの「合気」です。
ただし、関節技とか
相手と合わせるとかいう意味ではありません。
五輪の書でいえば、水之巻のような意識操作(意識の話です)の事です。
合気というのは、
素人でもわかるように言いますと、

「相手と接触前の準備の時間」と思っていただいて大丈夫。
学校に言って
宿題をどうしてわすれたんですか?
としかられることを
前の晩に予測して
やられる前にやっておくという、ごくシンプルなはなしなんです。

『やられたらやり返す、倍返しだ』では遅いという事です。
それは、
命の危険のない
破滅のない
遊びのなかでの話です。
やられる前に準備だ! です。

先生に叱られる前に、宿題を出す。
入試に失敗する前に学習です。
スリに合う前にプロテクトしている
初心者はこれだけ覚えておけばいいと思います。
合気道をするということは、
少なくとも、以上のことをふまえてやっていれば
はじめの所はO.K.です。




⇧ 多治速比売神社道場での居合

合気道難民とならないために

合気道を何年かやっていくうちに
本質は、身体操作にないことに気付くときがやってきます。
そんなことはないという場合は
武術として合気道をしていないからですが
それはおいておいて、

ちょっとだけ言えば
身体操作についても実は意識の動きがもとになっています。
誤解を招くといけないので追記しておきますと
身体操作が無駄だとか、意味がないとか言っているわけでは100%ありません。
身体操作、技は知っておかないとダメです。
じゃないとコケ脅しに終わるからですが

そういう皮相を言っているわけではなくて
動物の戦い(狩りや縄張り争い)は本能プログラムで行っています。
これも意識です。

しかし、
人間は動物の本能がない
動物と同じ本能があれば、人間全て同じような戦い方になるからです。
しかし、
そうじゃないということです人間の戦いや防御は。

その人の四肢を動かしているのは、
見た目は身体ですが
その動かし方に、必要な武術意識があるということです。
形を習う、覚えるのには関係ありません。
健康体操的にするのにも関係ありません。
武として、身を護る手段としての合気道であるとき
特定の意識(氣という概念も含む)が必要だという事です。
これは大事なことです。
それを知らないと、
武術・武道をしていても苦しみが付いて回ります。
本質からかけ離れているところだからです。




では、
合気道の元ネタは何かというと、
それは「刀法」です。




刀が元ネタじゃなくて、起倒流が元じゃないかとか
そういう近年の話ではなくて

もっと奥深い所です。
弥生時代の飾りとしての意味合いが強い刀(鉄器)まで遡りませんが
室町末期ごろの話です。
おそらくその時代です。

江戸時代でもなく
明治でもなく
大正時代でもなく
室町~関ヶ原の戦いまでの間で間違いないと考えます。



《現代に通じる合気道の核》

いろいろと書いてみましたが、
以下のところが大事だということで合気道から学び取れるようにしましょう。

・護身術は、技のみを重視してみても使えないし、危ないこと。
・我の強い方は、破滅するよ!! という事。
 (神様も世間からも見放される)
 つまり、
 自分以外の人、モノに気を配ること。
・数回や数年で身につく(身に染み入るように)わけではないこと。
・身体操作から意識操作という順に学ぶということ。 ※逆も可
・相手を尊重するという意識が大事だと気づく。
 (モラルや平凡なことを意味しているわけではなく武術極意のこと)



『2021年の生徒さんの募集』

合気道は、二年以内にやめてしまうのはもったいない。
そういう事です。

以上最後まで読んでいただいた方で
合気道をしたいと思っていただいた未来の生徒さんを
大歓歓迎いたします。



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