透明人間たちのひとりごと

期待通りのフォアグラに

 「期待通りに期待外れ」 の結果となっている
スクラップブックの作成ノルマは現在進行形で依然継続中
の真っ只中にあるのですがase2

 意味不明の方は …

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/365.html(参照)

 何か問題が起こると整理整頓や片付けごとが大の苦手な
ボクに突きつけられるが「断」「捨」「離」です。

 でも、「断捨離」「断捨離」 とまるで呪文のように
唱えられても出来ないものはできないのです。

 むしろ、この三文字にそれぞれ対義する

 「続」「拾」「会」right「続拾会」(ぞくしゅうえ)
または「会」に代えて「合」を使った「続拾合」
(ぞくしゅごう)をボクとしては声を大にして提唱したい
くらいなんですから …

 そもそも、「断捨離」が昔からあちらこちらで実践され
ていたなら歴史上の貴重な資料や歴史的に重要な発見の
かなりの部分は失われていたんだろうなぁ~、とスクラップ
の整理を命じられて痛感しているのです。

 普通なら、こんな新聞の切抜きの束など、ただのゴミ屑で
しかありえない。

 しかも、ボックスに無造作にため込んでいたために焼けて
茶色く変色したり、大きさも形も歪(いびつ)で疎(まば)らで
折れ曲がったり破れたりと、そりゃーもう酷いものです

 紙くず同然の大量のゴミ …

 そう思いながら渋々整理を始めたボクが、あろうことか
ひとつひとつの切抜きの記事に魅了されてしまったのは
そこにセピア色した身近歴史が、まるでお宝
のように眠っていることを知ったからでした。

 … が、なにせ文才に乏しいのでそれをブログエントリー
に活かせないことが重ね重ねにも残念でなりませんase

 たとえば、

 いま手にしている切抜きは、4年3カ月ほど前の平成22年
(2010年)3月30日付静岡新聞 『時評』に掲載されたもの
で執筆者は日大国際関係学部特任教授 北岡和義氏です。

 日韓併合100年の節目にあたり、

 「湛山の小日本国論 今も精彩」
と題する記事の内容は …

 「前回、60年安保から半世紀がたったことを書いた。 その
 さらに50年前、1910年、日本は朝鮮半島を植民地とした」

 (朝鮮を植民地としたとする表現には疑義ありですが…)

 「ことしは日韓併合から100年である」 … で始まり、

 「司馬遼太郎の歴史大河ドラマ 『坂の上の雲』
 NHKで放送され、話題となったが、まさにことしこそ日本
 の近・現代史を問い質す年ではないかと考えている」

 として、日本の帝国主義的な大陸進出を厳しく批判、糾弾
する石橋湛山の「小日本主議論」を取り上げています。

 「石橋は『青島は断じて領有すべからず』と題した論文で

 『ドイツを支那大陸の一角より駆逐して日本が代わって
 その一角に盤踞(ばんきょ)すれば、何故に東洋の平和
 を増進することとなり得るや』と疑問を呈し『朝鮮、台湾、
 満州、樺太を棄てよ、中国、シベリアへの干渉をやめよ、
 アジアの民衆はやがて立ち上がり、われわれの手から
 独立を奪うであろう、それならば、むしろ彼等に独立を
 進んで与え、尊敬と信頼を得た方が得だ、という趣旨
 を展開した』(河上民雄著 『勝者と敗者の近現代史』)

 戦後、石橋は静岡を選挙区に国会議員となり、宰相
 なったことは周知の事実だ」 

 えっ

 「静岡出身の総理大臣はいない」

 … って、聞いてたんだけどなあ

 その疑問を2号さんにぶつけると、

 石橋湛山の家が沼津にあったそうで、選挙区はかつての
中選挙区制での静岡県2区(伊豆半島を含む県東部地域)
で、確か出身地は東京だったと思うとのことでした。

 なるほど、そういうことかと思いながら記事に目を戻すと、

 「日清・日露で勝利した、その軍事力は日本人を妙に
 (たか)ぶらせ、近代化に成功した“誇り”が“驕(おご)り”
 となった。 張作霖を爆殺し、柳条湖や盧溝橋を爆破し、
 中国大陸に侵攻インドシナに兵を進め、ついには対米
 戦争に突入
していった」

 「沖縄戦、原爆投下、敗戦」  

 「歴史からぼくら日本人は何を学んだのか」

 下線部を見るかぎりでは、旧日本軍の謀略説をそのまま
歴史の事実として是認・追認しているわけで、

 (この先生、左派リベラル系かな

 なんて、勝手な想像をめぐらせながら先に進むと …

 「自民・社会二大政党体制がスタートしたのが1955年、
 世に言う 『55年体制』 から 55年 を経て、日本
 社会党は国民の支持率1~2%という弱小政党に転落、
 強固であった自由民主党も昨夏の総選挙で、あっけなく
 野に下った」

 ちなみに、

 石橋湛山は 第55代 の総理大臣だったのですが …

 やけに 「55」 が絡むので、まさかと思いつつも切抜き
の日付を確認すると平成22年 3月30日 … 偶然にも数字
の合計が何と 「55」 になるではないですか

 まあ、それはさておき、先へ進むと …

 「新しい政治が始まって半年が経過したが、鳩山政権に
 対する国民の支持率は次第に下落しつつある」

 「いったい、日本の政治はどこへ行こうとしているのか」

 このあと、とんでもない方向に「55」=Go!Go!
しちゃうんだよね

 「歴史がぼくらに問いかけてくる1世紀の中で、石橋湛山
 の日本帝国主義批判は今もなお精彩を放っている」

 「そう言えば、『55年体制』 という言葉を世に
 送り出したのも朝日の政治記者・深津真澄だった」

 最後の最後に朝日がそっと顔を出したわけですが、

 そのこころは赤くsun紅く燃えていたのかもしれません。

 (やっぱり、この先生は左寄りだase2


 日中戦争は、1937年(昭和12年)から1945年(昭和20年)
までの8年間も続きました。

 この戦争の発端は、1937年7月7日、北京の盧溝橋という
橋の近くで演習をしていた旧日本軍に中国軍側が発砲した
のがキッカケだというのがボクの認識です。

 日本政府は直ちに拡大を防ぐ旨の方針を打ち出し、現地
では停戦協定が結ばれますが、中国軍は協定を守らずに
発砲を繰り返しました。

 そして、

 3週間後の 7月29日には、300人近い日本人居留民たち
が強姦され虐殺された「通州事件」 が起き、8月には
「上海事変」 が勃発し、日中は泥沼の全面戦争
へと突入します。

 この切抜きの記事だと、植民地政策を推し進めた日本が
主導して戦争を始めた悪い国だという印象で書かれている
ようですが、歴史はそんなに単純ではありません。

 ソ連の存在が日中戦争の陰にあることは明白です

 「満州事変」のあとも日中間にはいろいろと問題は
ありましたが、それでもしばらくは小康状態が続きます。

 これを好しとしないのがソ連です

 対ソ軍備を整える余裕を日本に与えてしまうからです。

 その当時、蒋介石の国民党軍に追われた中国共産党軍
(紅軍)は、華北まで敗走し、全滅に近い状態でした。

 こうした危機的な状況にコミンテルンは中国共産党に
「国民党と妥協し日本軍と戦え」 と指令します。

 日本軍と国民党軍が戦えば、誰が漁夫の利を得るか …

 盧溝橋の発砲は中共軍(紅軍)だと見るのが妥当だと
1号さんも同意します。

 それと記事で取り上げている石橋湛山のように、戦前に
おいて「自由主義者」 と称された人たちは、いまで
言うところの 左翼思考 の持ち主ではありません。

 右でも左でもない 「自由主義史観」 とでも呼ぶ
べきもので、戦前 とする「肯定史観」でも、
とする「自虐史観」に通ずるものでもありません。

 その意味からは司馬遼太郎の 『坂の上の雲』
「自由主義史観」 に与(くみ)するものだろうな、と
2号さんも同調してくれました。

 そうこうしているうちに、

 ああ、きょうもまた、切抜きを拾い読みしてしまったので、
スクラップブックの整理・作成の作業が一向に捗(はかど)
らないままにミッションアウトとなりそうです。

 ですが、表向きはこの現状に嘆息をする素振りを見せる
1号 さんと 2号 さんも思いのほかに、それを楽しんで
いるようにも見受けられます。

 それと言うのも、つい最近 …

 フォアグラが残酷だという話から、それが入った弁当を、
非難する声が上がったために大手のコンビニチェーンが
即刻販売を中止したという事件が話題となったことに触れ、
いみじくも 2号さんが、このスクラップブックの整理作成
作業を譬えて言った 「大量のエサ(知識や情報)を強制的
に与えて肥大化させるガチョウのレバーのようなものだ」 と
表現したわけですが、まさしくそんな感じですね

 こうして、

 仕事の合間を見つけては、もの思いに耽(ふけ)ってみた
り、議論に花を咲かせたりと「続拾会」(ぞくしゅうえ)や
「続拾合」(ぞくしゅごう)が繰り返されているのですが、
くれぐれも 「期待外れのフォアグラ」 にだけは
ならないようにしっかりと勉強したいと思っていますpeace

 そもそもフォアグラが残酷かどうかも、人為的に自然の
状態から逸脱させる行為が なのかどうかもボクには
よくわかりません。

 
 そういえば、父親からのネグレクトによって、まともな食事
も与えられずに幼い命を一方的に奪われた5歳児の悲しい
事件がありました。

 パンの袋も開けられないほどに衰弱した虚ろな瞳に映し
出された父親の姿は幼子に何を投影していたのかase

 一瞥のもとに立ち去ろうとする父親に力なくも発せられた
最後の一言 … 

 もしも、その時に 「パパ」 という軽い響きではなく

 敬愛尊敬しつつも適度依存する関係を 

 「お」「と」「う」「さ」「ん」

 日本式に訴えていたなら、果たしてどうだったのだろう

 やはり、踵(きびす)を返して立ち去ったのだろうか

 戦後の歴史教育や欧米文化への従属的風潮のなかに
あって、ふっと、そんな風に考えてしまったのですがnose3ase

 偏見以外のなにものでもないかもしれません …

 いずれにしても、

 仕事という名目でいろんな知見が得られるなら、せっかく
のチャンスだと思って「期待通りのフォアグラ」
にでも、「キャビア」「トリュフ」 にでも …

 ボクはなりたいと思いますpeace

 いやいや、きっと …

 そうなってみせようじゃありませんか

コメント一覧

透明人間5号
それほど大袈裟なものではないのですが …(汗)
江戸川ドイル
ガチョウの膨満や飽満の苦痛と相反する飢餓の苦しみとをコンビニ弁当事件とネグレクトされた幼児の事件とで対比させながら、同時に戦後日本の西欧に対する文化的・心情的従属思考に警鐘を鳴らすのみならず、右でも左でもない自由主義史観でフランス文化の象徴でもあるフォアグラになろうとも、さらにその西欧文化たるフォアグラを喰らってでもフォアグラたる肥大化した肝臓になってやろうとする気概が窺える自虐ネタ・エントリーだとして評価に値します。
ココナン
ごめんなさい。そんなつもりではなかったんです。
つまり、フォアグラの是非を問う意図ですが、
ただ、フォアグラにはなりたくないよなあ、という気持ちに同意を求めただけなんですが、舌足らずですいません。
透明人間5号
フォアグラの運命の是非を問うエントリーではないので、本文中にもあるように、そうした行為が残酷かどうかも、それが悪なのかもわかりません。
ボクのケースで考えるとしたら、そこそこに知見が広められ肥大した状態でされるのはゴメンですが、いまのボクにエサを拒む理由は見つかりません。

ココナンさんがフォアグラに否定的なのはよくわかりましたが …

そして、きっと半熟マンさんはトロ~とした真っ黄色な姿なのかも …
ココナン
そうだとしても、現実問題として、フォアグラの運命を肯定したくはないですよね!
透明人間5号
仮にフォアグラ用に飼育されなくても、食用に飼われているなら、いずれガチョウは潰()される運命にあります。
無理やりエサを食べさせられる行為がガチョウにとってMAXに近い苦痛なのか、意外と苦にしないものなのか、それはガチョウにしかわかりませんが、食べれない「苦」と食べさせられる「苦」のどちらかしか選択できないとしたら、ココナンさんはどちらを選びますか?
命じられた仕事としての責務を果たすしかない環境下でボクは知識が得られないよりも得られる方を選んだということであって、ならば貪欲に知識を食ってやろうじゃないかという意味です。
ココナン
逆説的な意図があるのかも知れませんが、たとえ、比喩にしてもフォアグラになりたいだなんて狂気の沙汰です。
無理やりに餌を詰め込まされて肥大した脂肪肝にされた揚げ句にされるんですよ!
そんなのに5号さんはなりたいのですか?
半熟マン
赤くなければ「朝日」じゃないってかぁ!
なんちゃって・・・・・・
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