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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 鑑定法(改)

 「鑑定法」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、

100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。

記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、

正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。

 

ダ・ヴィンチの罠 鑑定法 - 透明人間たちのひとりごと

このページの画像は、故あって表示されませんが、連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、別途、新しく作り直すことにしました。同じ内容ですが、画像はその限...

goo blog

 

 url『ダ・ヴィンチの罠 鑑定法』

 上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの

重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を

果たさなければならないのですが、漸くこれで42作目です。

 さてと、それでは、ここからが、

『ダ・ヴィンチの罠 鑑定法(改)』

 の記事になります。

 (以下、本文)

 

 今から一年程前の西暦2017年11月15日、
ニューヨークで開催されたオークションで、

 レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたとされる
キリストの肖像『サルバトール・ムンディ』が
美術作品として史上最高となる4億5030万
ドル(約510億円)で落札されました

  
  サルバトール・ムンディ(救世主)

 この落札劇を世界中のテレビや新聞は、
現存する作品が十数枚だけのダ・ヴィンチ
の絵を個人が手にすることのできる最後
の機会であるとして「ラスト・ダ・ヴィンチ」
、あるいは「男性版のモナリザ」であると
称して一斉に報じました。


   出典:www.kitaguhillaw.jp

 まもなく、死後500年が経過しようとする
この時期に奇しくも、ダ・ヴィンチの真筆で
あるとされる署名のない500年前の絵画が
史上最高価格で売買されるとは ・・・

 当のダ・ヴィンチは、

 「よくぞ、見抜いた」と喜んでいるのか

 それとも、

 「わたしが描いた作品ではないのに」
と呆れて嘆息をもらしているのか

 果たして、

 
 ミラノ・スカラ広場のダ・ヴィンチ像   

 彼は草葉の陰からこの騒動をどう思って
眺めていたのでしょう。

 さて

 『サルバトール・ムンディ』
(救世主)の真贋をシロウトである小生
が見極めるうえで、重要な要素となり得る
出来事として「サルタレッリ事件」
挙げられます。

 1476年4月、当時24歳だったダ・ヴィンチ
は、4人の若者とともに男色の廉(かど)で
訴えられます。

 この「サルタレッリ事件」と称される
出来事においては、訴えられた4人の若者
の中に、ロレンツォ・ディ・メディチに繋がる
名家トルナブオーニの子弟がいたことで、

   
   ロレンツォ・ディ・メディチ

 メディチ家からの圧力が掛かり無罪放免
となったとされているのですが、

 その2ヶ月後にダ・ヴィンチは再び匿名の
密告によって同性愛容疑で逮捕されます。

 それは、

 17歳の金工師ヤコポ・サルタレッリとの
ありもしない関係を云々する告発で、

 ダ・ヴィンチに対する露骨な嫌がらせや
彼を貶める意図をもった者の卑劣な謀略
であったと思われます。

 こちらもダ・ヴィンチの父セル・ピエロが
辣腕の公証人であったことから 事なきを
得るわけですが、彼に対する不穏な噂は
後を絶たなかったとされています。

 

 ここからは想像であり、推理・考察でも
あるのですが、ダ・ヴィンチの手記にある

「わたしが神様を嬰児として描いたとき、
あなたはわたしを牢屋へと投じた、が、
わたしが神様を大人に描けば、あなたは
もっとひどい目にあわせるにちがいない」

 と記したことと「サルタレッリ事件」
とは決して無縁ではないと考えられます。

 なぜなら、

 この件以外にダ・ヴィンチが投獄された
とする履歴は確認できないわけで、

 最初に逮捕された時の取り調べと拘禁
(投獄)の経験が、あまりにも酷いもので
あったが故に、ある意図を抱いて描いた
嬰児の姿と「神をも恐れぬ行為」
された男色における冤罪とをダブらせて
綴ったのではないかと思われるのです。

 ある意図をもって描いた嬰児の姿とは、


     『カーネーションの聖母』(1473‐75年)

 『カーネーションの聖母』
おける赤子のイエス・キリストです。

 ダ・ヴィンチの手記の内容にがなく、
そこに 一片真実があるとすれば、
投獄されたのは1476年で、それは
「サルタレッリ事件」に他なりません。

 そして、

 1476年以前に描かれた嬰児といえば、


     『ブノワの聖母』(1475‐78年)

 『ブノワの聖母』でのイエス
『カーネーションの聖母』
でのイエスのほかには可能性がない
わけですので、

 「神様を嬰児として描いた」ことで牢屋
へと投じられたとするからには「神」
を蔑(さげす)み、愚弄し、誹謗中傷する
表現や描写があったということでしょう。

 それに該当する表現があるとすれば、

 『カーネーションの聖母』
おけるイエスの表情や仕草の他には
考えられないわけです。

 この2枚を見比べて、

 
   画像元: renessance.jugem.jp

 すぐに気づくのは光輪の有無です。



 同時期に描かれた絵画にも関わらず、
一方には光輪があって、もう一方には
ないのですから 単なる気まぐれの仕業
では済まされず、そこに何らかの意図を
感じさせるわけです。

 さらに言えば、

 ここに描かれるイエスには、お世辞
にも可愛くて、愛くるしさを覚えるような
表情はなく、何か異常性を秘めた狂人
めいた相貌に表現されているようです。



 聖母が持つカーネーションでも、

   

聖母の顔と窓とカーネーション ja.wikipedia.org

 母であるマリアを見つめるでもなく、
瞳は中空を泳ぎ、あらぬ方向へと視線
の定まらない様子のイエスが両手で
懸命に掴もうとしているモノは、

 
  「カーネーションの聖母」部分 

 目には見えないどこか得体のしれない
代物のようですが、


         カーネーションの聖母(部分)livedoor.blogimg.jp 

 イエスの瞳には何かが、あるいは誰か
が見えているような気配です。

 その仕草を教会等から追及された場合
でのエクスキューズとしては、聖母マリア
が差し出す赤いカーネーションをイエス
が握ろうとしている瞬間だとでも弁解する
つもりでいたのでしょうか?

 聖母の帯は『岩窟の聖母』での


     『岩窟の聖母』(ルーブル版)

 聖母マリアの腹帯を想起させる金色で、


   『岩窟の聖母』腹帯(ロンドン版)

 4つの窓から望める切り立った山々は、

 
「カーネーションの聖母」窓の部分 livedoor.jp

 『聖アンナと聖母子』の背景
にある山々との類似性を彷彿させ、
 

 『岩窟の聖母』での大きな岩石や

 

          画像元: sumiremainte.jugem.jp

 尖った岩山や岩礁などを連想させます。

      
カーネーションの聖母(窓の外の景色部分) ja.wikipedia.org

 さらに、

 4つの窓は『最後の晩餐』での
3つの窓との関連性を匂わせていますが、
それはまた、後日に改めて解説したいと
考えています。



 そして何よりも聖なる人々に冠される
光輪を描いた最後作品である
『ブノワの聖母』と、



 描かなくなった最初作品である
『カーネーションの聖母』
対比というわけで、



 この絵からは、ダ・ヴィンチの仕組んだ
「罠」に通じる伏線的な要素や萌芽の
兆しがいくつも見つかるのですが、

 その詳細は紙面の都合上、割愛します。

 ただ、

 「窓」の外の景色「窓」
重要なるであるということだけはヒント
として付け加えておきましょう。

 ついでに言えば、(くだん)の手記も
「罠」を解くとなる手掛かりとしての
メッセージなのかもしれませんねpeace

 したがって、小生式の鑑定法では、

     

 それが、ダ・ヴィンチの真作であるか
否かは、そこに「罠」に繋がる痕跡の
有無や「罠」そのものが見つかれば、

 それこそが、

 
    出典:sputniknews.com

 ダ・ヴィンチの真筆であるとする根拠や
証(あかし)になるという判断です。

 

 そのような意味合いから冒頭における
『サルバトール・ムンディ』
観察すると『モナ・リザ』を思わせる
風貌に仕上げているということ以外には
これといったサインは見つかりません。


  モナリザとの顔比較 cardiac.exblog.jp

 制作は1500年(1490年から1519年)頃
と幅広く、特定されてはいませんが、

 フランス王ルイ12世の庇護下において
制作活動をしていた1506年から1513年
の間の時期と推察されます。

 問題と思われるのは、

 科学的事実や実証を重んじるタイプの
ダ・ヴィンチにしては水晶玉の描き方に
大きな疑問が生まれてしまうことです。

  

 一見すると、水晶玉はその透明度など
から科学的緻密さに基づいて描かれて
いるかのように見えますが、



 ガラス玉でも水晶玉でも球体は、通常、
光の屈折により、歪んだり、拡大するか、
上下が逆さまになった像を映すわけで、


            画像元:yukawanet.com

 彼なら、きっと歪んだり上下が反転した
像を水晶玉の表面に反射させて描くもの
と思われるからです。

 要するに、

 この絵をダ・ヴィンチが描いたとすれば、
通過する光を屈折させたり、歪ませたり、
反射しないような「空洞のガラス玉」仕様
に描いているということになります。


         上下反転した像を映す水晶玉 pakutaso.com

 彼があえて現実と違うかたちに水晶玉
を描いたとすれば、この絵にダ・ヴィンチ
の存在を見つけることが可能になるだけ
ではなく、そこに「罠」サイン
隠されていることになるわけですが ・・・

 少なくともそこに特別の意図がない限り
、ダ・ヴィンチの技術力を持ってすれば、

  

 このような水晶玉の描写はあり得ない
わけですから、意図的であったとなれば



 この作品はダ・ヴィンチの真筆という
ことになり、そうでなければ、他の誰かの
作品(贋作)か、ダ・ヴィンチ工房の弟子
による作品という結論になるわけです。

  さらに付け加えれば、

 先の手記における内容の検証も必要で

 ダ・ヴィンチが懲りない性分だったのか、
 
 それとも、

 何者かに貶められたのかは別にしても、

 投獄によって手ひどい仕打ちを受けた
トラウマ(精神医学での心的外傷)から

 「神様を大人に描けば、あなたはもっと
   ひどい目にあわせるにちがいない」

 と綴った言葉に、一定の信頼が置ける
とすれば、キリストを大人として描く場合
でのリスクは極力回避するはずですね。

 つまり、逆の意味での

 モチベーションが指摘されるわけです。

   すなわち、それは、

 ダ・ヴィンチの手記に、素直に従えば、
大人のキリストを描く蓋然的要素は
かなり小さなものになるということです。

 だからといって、

 この作品がダ・ヴィンチの真筆では
ないと断定するものではありませんが、

 一見した当時の偽りない感想としては

 これが、本当に、

 「ダ・ヴィンチの真筆なのか」

 と首を傾げたくなる印象(疑念)をもった
ということです。

 つまり、ファースト・インプレッションでは


    『サルバトール・ムンディ』 変遷  cardiac.exblog.jp

 「どう見ても怪しげな奴」

 という感触でした。

 
    出典:sputniknews.com

 ボケた顔に斜視気味の瞳は虚ろで暗く、


     『サルバトール・ムンディ』 部分  出典:sputniknews.com

 覇気のない存在感だけが妙な神秘性を
醸し出すものの、生気のない顔は亡霊の
ようで気味が悪く、全体の筆感はモタモタ
したタッチで精彩も輝きも威厳にも欠ける
凡庸なる作品だと思ったわけです。

     

 仮に 小生が途轍もない大金持ちだった
として、このが欲しいかと問われれば、
即座に「NO」と答えるでしょう

 それは、

 このに 510億円のがついたから
ではなく、嗜好的に「NO」であって、

      

 それは『モナ・リザ』でも同じです。

 しかし、

 よくよく考えてみたら、「罠」の宝庫
である『モナ・リザ』の第一印象も



 「気味の悪いおばちゃん」
であったことを考慮に入れると、

 このにも何からしきものがある
のかもしれないので、次回も引き続いて

  

 『サルバトール・ムンディ』
での考察を深めてみたいと思いますが、


        『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』 www.eiga-square.jp

 神様を大人に描くことに躊躇があった
はずのレオナルド・ダ・ヴィンチが、

 何故に大人のキリスト(救世主)の
肖像を描くに至ったのか!?


         『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』 kaigablog.com

 まずは、その辺りの事情から推理して
みたいと考えます。

 ところで、

 精神的な意味で権威に屈しないのは、
己に自信があるからに他なりませんが、

 ダ・ヴィンチもそんな覚悟を持って
救世主を描いたのでしょうか

 たとえば、

 死ぬまで手放さなかった3枚の作品と


『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』

 その制作時期が微妙に重なりますが、

 果たして

 「罠」の痕跡やシグナル・サイン
などが見つかるのでしょうか

         
      (期待しすぎやで)

 
 なるほど、なるほど ・・・

 
 演繹法・帰納法 www.direct-commu.com 

 「風が吹けば桶屋が儲かる」
に鑑定するのが「演繹的鑑定法」

 さすれば、ここまでは、 

 「帰納法的鑑定」じゃろうな

 そもそも、

 「罠」有無真贋を見極める
なんて、シロウトでもメチャクチャだよね

 

 それでは、ここで「なぞかけ」です。

   

 今回の「鑑定法」とかけまして、

 朝飯前のウオーキング状態から唐突に
マラソンをした結果と説きます。

  そのこころは ・・・

 

 「片腹痛いわ !!

  

   ・・・ っておいおい

 それもジョギングなしの付け焼き刃の
走法で横っ腹が痛いのなんのって・・・

 

 字余り気味の言い訳というか、

  「やたら説明多くね」


            鑑定法イメージ takken-sikaku.com

 前回からの繰り返しになるけれど、

 つまり、これなのです  

 いやいや、ホントに、   

  
 『サルバトール・ムンディ』   修復前(白黒写真)

 「オレ、救世主だから・・・」

 それでは、また、次回に、  

 

     

 … to be continued !!  

コメント一覧

小吉
一度絵画の「相関図」みたいなものが見られるといいですね。
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