手をひねるより簡単だよ。単純だから」
台湾の友人たちによくこう言われる。との書き出しで始まる
ノンフィクション作家 秋尾沙戸子さんの記事を3月28日付け
の静岡新聞の朝刊のなかに見つけました。
読んでくれますかという見出しで民主党の議員
に宛てて、 「三国志」 を座右の書にしていただきたいと
いう主旨の記事でした。
ここでは、その内容には踏み込みませんが、一言で言えば
中国人の思考回路を見抜く努力を怠らないで下さい。 という
お願いのようなのです。
また、
同紙の裏紙面上では、詩歌逍遥 84 に、三枝昂之氏
(歌人)による 謎解き、桜の歌人230首 と題して
謎の多い西行の短歌も桜にからめて紹介されていました。
ねがはくは 花のした(もと)にて 春死なむ
そのきさらぎの 望月のころ
願いが叶うのであれば、桜の花の下(もと)で死にたい。
あの釈迦入滅の、如月(二月)の満月の頃に …。
いつの作品かは不明ですが、まだ丈夫だった頃のもので、
死に臨(のぞ)んでの作ではないそうです。
西行が病の床に伏したままに、文治六年(1190年)の
二月十六日に亡くなると、この歌は俄然、人々の注目を
集めることになります。
「きさらぎの望月のころ」は、旧暦二月十五日、その頭に
「その」と付くわけで、そこに釈迦入滅の日(二月十五日)と
いう特別の意味が加わるのは自明だというわけなのです。
西行の死は、実際には釈迦入滅の翌日になるのですが、
「願わくば ~ 満月の頃」 という願望の範囲内に、この世を
去ったことになります。
そこに、生前の謎と奇蹟(予言・願望)に近い死の謎とが
西行伝説を生むことになるわけです。
桜の歌人230首とは、西行の作品に登場する植物では、
桜がもっとも多く230回、以下、松が34回、梅が25回です。
230回という数の多さに、「花のした(もと)にて 春死なむ」
という願望を納得させるのに十分な数字である。 として、
三枝氏は記事を結んでいます。
もっとも、その願望がそれだけ強固なものであったのなら
ば、死をもコントロールできる精神作用はあり得べきことで
あって、その謎自体に関心があるわけではありません。
ただ、正直よくわからないけど、そこはかとない不安が、
桜(サクラ)の響きのなかにあるのです。
なにが、不安なのかと言うと、漠然としたものなのですが、
散りゆく桜の花びらのその散り際にこそ無上の美しさがある
とする感性や愛でるという心情に日本人独特の気質と美学
がみえて、妙に心が落ち着かないのです。
いえ、普段なら、別にどうということもないのですが …。
時期というかタイミングというか、偶然なのか必然なのか、
紹介した新聞の記事とその内容のなかに不安材料が混在
しているのです。
日本に漂い滞っていた沈鬱な空気は、1号 さんの記事
にある謎の 「正体不明の鳥たち」 の出現で、さらなる混迷の
度合いを深めただけでは飽き足らず、中国大陸からの黄砂
の影響も加味されて、その閉塞感と息苦しさはますます増大
するばかりなのです。
半年以上前に、自民党では日本の閉塞状態を脱し得ない
として、民主党の政策に望みを託すべく有権者は行動した。
当初は、この政権の交代劇に将来の二大政党制の幻と
明るい未来に希望が湧くが如き夢が見られたようだった。
しかし、現実は、一向に改善しないばかりか、あろうことか
、喉元に引っ掛かった魚の骨を取り除こうとして飲み込んだ
はずの餅が今度は喉を詰まらせて窒息しそうになっている。
そんな“年寄りの冷や水”国家 日本といった様相を呈して
いるのです。
普天間 の問題も 郵政 の見直しも、また然(しか)り
、魚の骨に… 詰まった餅なのです。
ところで、
会うは別れのはじまり、『会者定離』 が常だから、ひとつ
ひとつの出会いを大切にして、真心を尽くして接しなくては
いけない … といった意味で広く人口に膾炙(かいしゃ)した
言葉に 「一期一会」 があります。
この言葉は、
千利休の弟子である山上宗二の著書 「山上宗二記」 の
なかの 「茶湯者覚悟十躰」 に “一期に一度の会” という
書き下ろしの一文があり、それを、桜田門外の変で有名な
幕末の大老・井伊直弼(茶道石州流の達人)が、茶会での
自分自身への戒(いまし)めとして、また茶道の一番の心得
として、その著書 『茶湯一会集』 の巻頭に茶の湯の真髄を
伝える言葉としてしたためたものが世に広まったものなの
です。
また、『葉隠』 にも 「武士道とは、死ぬことと見つけたり」
という有名な一節があります。
これをもって武士道の精神と曲解され、ある意味において
は死を美化するような誤った解釈が生まれています。
そして一期一会の出会いを大切に … と同様に、覚悟や
処世の潔さを美化する純日本的な美学に酔った人たちの
座右の銘としてどちらも持て囃(はや)され、よく利用される
言葉となったのです。
もはや二度とは出会うことはかなわないのかもしれない。
左様ならば、これにてお暇(いとま)致す。
時代劇での今生の別れは、ボクたち日本人にはお馴染み
のシーンです。
この 「左様ならば」 が、「じゃあ、また、バイバイ」 のときの
別れの言葉 「さようなら」 になったとする説があります。
説の真偽はともかくも、明日の命の保障のない武士同士が
二度と会えないかもしれぬことを念頭に置いたうえでの別れ
の挨拶であったことだけは確かでしょう。
この 「さようなら」 や “有り難し” が語源の 「ありがとう」 も
、好きな日本語なのですが、うっかりすると素直じゃないし、
ストレートにはわかりにくい。
奥ゆかしいとも言えるけど婉曲的だし、もったいぶっている
とも言えなくもない。
つまり、なにが言いたいのかというと、その曖昧模糊とした
間接的な表現にこそ問題があって、そこはかとない不安
の元凶は、そのわかりにくさのなかにあるのです。
突き詰めれば、
不安の一途に駆り立てるのは、結局のところ中国その他
の隣人たちなのかもしれない。
容姿は似ていても気質や思考回路も経路もまったく違う。
理解し難いものは人間であれ国家であれ孤立無援になり
がちです。
つまりは孤独になるということです。
人間で言えば親がいないからでも、心を許せる友がいない
からでも、恋人がいないから孤独なのではありません。
親や、友や、恋人や、妻や、夫がいようと、分身とも言える
子供がいようと、自分(わたし)と呼べる存在が、ただひとり
、唯一、自分自身しかいないから孤独なのです。
だから自分以外の他者=わたしにとってのあなたの存在
がとても大切なのです。
それは国と国でも同じことです。
独生 独死 独去 独来 … 無量寿経の法語だそうですが、
独り生まれ、独り死ぬ。独り来て、独り去る。
「生まれるときもひとり、死ぬときもひとり」 という解釈では
なく、独りの個から衆である仲間やみんなとともに与えられた
生を生きるのであって、生きている間は逆説的だけど孤独で
あってはいけないと思うのです。
そのための 「一期一会」 であって、「左様ならば…」 に
したいのです。
そこはかとなく漠とした不安はそうした日本の姿勢です。
七面鳥 どころか 百面鳥 のような 鳩山内閣
の 姿 なのです。
ボク のような 透明人間 ならまだしも 玉虫色
をした 内閣 では ホント に困るのです。
ボク の 色 はこうだよ。 日本 の 姿 はこうだから
「一期一会」 や 「左様ならば」 ではなく世界に向かって、
繰り返し何度でも 「再見(ツァイチェン)」 と
言いたいのだけど…
こうしてブログを読んでくれているアナタ とは、
「もう、二度と会えないのかもネ。 どうか、お達者で … 」
って、結局のところ、
「さよならだけが人生だ!」 ってこと?
それじゃあ
なんにもならないよ
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透明人間2号
鱒二と修司
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