平々凡々 されど日々新たなり  ~この指に 止まってくれる 風を待つ~

ゆく川の流れは絶えずしてしかも、もとの水にあらずとか-。「今までのこと これからのこと 何気なく感ずる小さな夢のことを」

OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (11) ~4年目Ⅰ期単位認定試験と心房細動の危惧~

2014-07-31 | 放送大学(OUJ)

        

              ~散歩道にある百日紅の木や草花たち~              ~妻が栽培する裏庭畑の茄子~

’14.7.31(木)

以下は、

放送大学滋賀学習センターの仲間に本日昼間、私から送信したメールの全容である。

 

平成23年の春に入学して以来、4年間で卒業したいという目標を持って今までが過ぎ、

いよいよその4年度目にあたる今年つまり平成26年度Ⅰ期終了間近を迎えた今の我

心境変動の所以を正直に述べた内容であり、今年度の後半Ⅱ期終了となる半年後、

春の到来と同時に卒業するという今までの流れの最終時期を迎える中、思わぬ形で

出現した心身事情の変化を事柄の一現象として記録にとどめておくために、今回送信

したメールをここにそのまま載せておくことにする

 

私が4年間で放送大学卒業ということにこだわったのは、大学は4年で卒業するという

普通の流れ以上に、卒業と認定心理士のタイトル取得は70歳のうちにやり遂げたい、

いう人生節目にあたる時期だからであり、”古希に卒業と認定心理士” の台詞は

日常生活の目標設定として唱えやすいわが心への語り項目だったのである。

 

さて、今期(平成26年度Ⅰ期)の単位認定試験終了直後の8月5・6日、

OUJ滋賀学習センターで開かれる面接授業の中の1科目に愛知の私が出席すること

は以前科目選択をした時点で滋賀の3人の仲間に伝えてあり、その初日5日の授業

終了後、4人で1年ぶりに団欒ることになっていた。

 

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 放送大学滋賀学習センターの3人さんへ

暑いさなか、こんにちは。

単位認定試験への取り組みなど皆さん如何お暮しでしょうか。

 

今期認定試験、当方は目下8科目に挑戦中です。

昨日も名古屋の愛知学習センターまで出かけてきました。

7月27日2科目、昨日2科目、8月2・3日2科目ずつ。

今日までの試験で印象に残った点など書いてみますと以下の通りです。

 

「世界の中の日本」は記述式。

時迫り前日の夜に的を絞って「外国人労働者について」の論文を事前にまとめておいたのが見事

に外れ、出された「人口問題」「イスラム問題」の2テーマに対しうまく文をまとめきれませんでした。

逆に、

昨日受験した「格差社会と新自由主義」はテキスト持込み可でしたが結局テキストを開いたのは

15問中1問だけで30分後には退室できました。遅い7時限目でしたので帰りの新幹線の時刻が

気になるのです。

 

「色を探求する」は今までの択一・記述併用方式から択一だけに変わっていましたが結構ややこ

しかった。

じっくり向き合えば面白い科目であること間違いないと思ってはいるのですが---。

 

「睡眠と健康」もそういう点では身近で関心深い科目でした。

 

N江さん推奨の「比較行動学」は前期、無事通過しましたが確かに興味深かった。

“猿まね”という言葉がありますが、実はチンパンジーでさえ模倣(猿まね)は無理。

模倣のできるのは我々人類だけというところが特に印象深かったですね。

 

ところで

皆さんに謝らねばならないことがあります。

8月5・6日に予定していた滋賀学習センターでの面接授業「健康の社会的格差」には出席いたしま

せんことをご報告します。

どうしてかと申しますと、

この7月27日で古希を迎えた身体になにやら異常が出たようで、目下自制中なのであります。

 

1か月くらい前から「心臓がいつもばくばくしている」ということを自覚するようになり場所が場所です

から地元のS城市民病院の総合診療内科で診察してもらったのが、7月初め。

血液検査・心電図などから所見するに「特に異常がありませんが---。」とのことでしたが--。

しかし、

その後も自覚症状はあるのです。

何かが起きている、どうも変だと思わざるをえない日々が続くなか、衝撃的なテレビに出会いました。

 

7月16日NHK「ためしてガッテン」。テーマは、「夏に!心臓けいれんがあなたを襲う」です。

番組を見終えて「なんだこれは自分じゃないか」と、まさにその相似性にびっくり。

いきなり聞いた「心房細動」という怖そうな病名に、たじろぎました。

 

すぐに思いついたのが「24時間心電図」のこと。歩いて3分、近くの個人クリニックでやってもらえる。

さっそく翌日そのことを言って診てもらいましたが、24時間心電図の前に普通の心電図をとってみま

しょうということになり、隣室でとった結果、

「不整脈がでています。」と心電図見ながら説明あり。

「紹介状を書きます。T橋市民病院の循環器内科で予約とりましょう。心臓そのものの検査が必要です。」

ガクッ!

 

そしてこの7月22日(火)、

自宅から約1時間の地にあるT橋市民病院に出かけ心電図、その他エコー、血液検査、レントゲンなど

ざっと検査したたあと、ドクターが言うには、

「そんなひどい状態ではなさそうですが、あなたが自覚しているという以上、とりあえず24時間心電図

(ホルター心電図)で調べてみましょう。結果は29日に説明しますから来てください。」

同日その場でホルター装着。

24時間そのままで過ごし翌日妻と一緒に行ったT橋病院で取り外しました。

(痕がかぶれ皮膚が数日間赤くなりかゆいかゆい)

 

そして一昨日7月29日(火)。結果を聞きに行ってきました。

放送大学、認定試験の合間で予定していた翌日30日の試験対策がままならなくなってしまいますが

そんなこと言っていられない。

最初心臓の模型を使って、ここが鼓動を発生するところ、ここが心房、その下に心室などと言っていて、

やおら、「大したことはないと思っていましたがあなたの心臓は確かに時々震えています。」

ヤバイな?

「(上室性期外収縮)が多発しています。このままだと、(心房細動)という症状になりかねません。」

 

「この症状が続くと(脳梗塞)になる確率が非常に高い。抗凝固薬で血液を流れやすくするのも予防に

はなりますが、逆に(心不全)になる率が高まります。

脈拍も100を越えています。

まずこれをゆっくりさせるクスリで2週間様子をみましょう。」

 ヤッパリわるかったんだ!!

 

どうして健康そのものだった自分がこういう状態になっているのか?????

酒の飲み過ぎか???

晩酌兼晩ごはんは毎日夜の9時~11時。

直後就寝し朝の4時半頃起床。睡眠時間毎日5時間余。

この蓄積された時間観念の過ちが原因なのか???

ストレッチのやり過ぎか?汗の出し過ぎか???

 70年間の疲労の故か??

今は亡き両親にもこのような素養があったのか??

 

こうなったら仕方ない、心機一転、この時、私が自律的に決めたこと。

・規則正しい生活をする。

・暴飲暴食はしない。

・禁酒する。

・植物性タンパク質の摂取を多くし塩分は控える。

・しばらく遠出はしない。(何が起こるかわからない)

・身分を示す名札を常時首からぶらさげておく。

 などであります。

 

以上、私の自重の決断を報告し、残念ながら滋賀学習センター行きを断念したことご理解くださいませ。

ホテルの予約もキャンセルしました。

 

この状態で考えました。

①   放送大学は来春必ず卒業しよう。

②   認定心理士資格はそれと同時に必ず取得する。

早めにそうしておかないと、この命どうなるかわからない。

③   従って卒業研究はとらず早く確実に卒業できる方法を選択する。

  (卒業研究とると卒業が1年遅れてしまう)

 

以上、大袈裟に覚悟しました。

従って、

今期あと残っている4科目、必ず征服しなければならない。

(心理と教育を学ぶために)

(特別支援教育総論)

(教育と社会)

(言葉と発想)

の4科目は必ず。

 

蛇足ながら、科目「言葉と発想」はメチャ面白い。

目からうろこ、とはこのことをいうのでは----。

 

いつものクセで超長くなってしまい申しわけありません。

皆さんが日々生活するその営みこそ真実で正義なのだ。

 

こんな私も含め4人の26年度1期認定試験が無事通過できますこと祈りつつ----。

真夏のS城の地より

 

K.A

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追記1;

7月29日(火)、

病院からの帰宅途中、処方されたクスリをS城市内、家の近くにあるM原屋薬局店にて買い求めた。

クスリの名前は「メインテート(2.5mg)」錠。心臓の動悸を収める効能がある。

朝夕食後、半錠づつを一日2回服用、2週間分。

 

追記2;

滋賀学習センタの仲間の一人N江さんより耳寄りな情報が与えられた。

放送大学の選択科目の中に「循環器病の健康科学」という専門科目があるという。

心臓について科学的な学習ができる絶好の機会ではないか。

8月15日から始まる次期のための科目登録にもちょうど間に合う。

卒業記念としてこの科目を選択しておこう。

心臓の仕組みなどについて詳しく学習してから卒業するのも何かの因縁に違いないから。

 この情報をくださった滋賀のN江さんに深く感謝申し上げたい。

 

【補 足】 (後日寄稿)

上記、滋賀の学習仲間へのメールで、卒業研究を選択することを一旦諦め、なるべく早く

卒業したのち認定心理士資格申請に持ち込むという流れを覚悟した、のであるが、

その後の心情変化により、卒業研究論文執筆活動に挑戦せず単純に卒業するだけでは

せっかくの機会を逃し勿体ないではないかという気運が盛り上がってきて、最終的には、

この後一年かけて卒業研究論文を書き上げ、合計5年の学習で卒業という運びとなった。

 


OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (10) ~ボランティア・Sしろ にほんご ひろば~

2014-07-18 | 日本語ボランティア

   

                 ~AグループはN2目標、BはN3目標、CはN4の漢字目標、Dは初心者及び対話主体のレッスンで~

'14.7.18(金)

S城市国際交流協会では毎週水曜日の午後7時半から9時まで、にほんご教室を開いている。

教室の名前は「Sしろ にほんご ひろば」。

 

もとはと言えば、約3年前にS城市国際交流協会をもとに日本語教室を立上げようという気運が

高まり、S城市国際交流協会メンバー2人とどういうわけか私の3人で愛知県国際交流協会が

主催する複数の日本語教室研修会に参加して立上げの段取り作りに着手したのが始まりで、

その後広報誌などで日本人ボランティアを募り地元での研修や他市での現行日本語教室を

見学しながら一応の基礎固めをしたあと約2年前、S城市国際交流協会が主体となって期待

と若干の不安のなか、平成24年(2012年)4月14日(土)14時、日本語教室、

「Sしろ にほんご ひろば」

がこの地に誕生し、そのまま何とか現在に至っている 。

 

当初はS城市内に在住する外国人を対象に、生活するために必要な会話主体の対話型日本語

教室を目指しそれなりに出発したのであるが、集まる外国人も徐々に減ってきて途中で解散する

かもしれないという危惧を抱きつつも何とか今日まで続いてきた。

そして、

スタートから2年経ってみると、3年前の立上げ時核要員や初期に集まった日本人ボランティア

メンバーは、私を除いてもう誰もいない。

 

その道のりは紆余曲折。

昨年度の最後の頃になると学習者の数も平均1~3名、参加日本人ボランティアが2・3名という

消極的なレッスンになる日もあったが、とにかく「にほんごひろば」という組織が組織として保たれ

てきたのは一ひとえに国際交流協会事務局の辛抱と苦心のおかげであると強く思っている。

 

入れ替わりながらも継続されている日本人ボランティア集団は、もちろん私も含めてのことである

が、いつまでもおんぶにだっこの状態で、結局は事務局の負担ばかりが大きいことに変わりはなく、

日本人ボランティアが主体となって運営を担務するということは、その間ついぞなかったのである。

 

そういう時、

いろいろな道程を経て今年度のスタートを迎えるに当たり、国際交流協会事務局ばかりに負担を

かける従来からのやり方では進歩が望めない、新しいやり方に変えましょうという新事務局サイド

の考えが出されてきた。

(今までの事務局職員が退任し同年輩の若い女性が新しい国際交流協会事務局員として採用さ

れたのが半年前のこと)

それは、

「にほんごひろば」のコンセプトを今までの会話や対話主体のレッスンから変え、思い切って、

日本語能力試験(JLPT)対策主体のレッスン内容に変えたらどうかという提案であった。

事務局サイドとして、もちろんそれなりの根拠があった故の改革案だったのは確かなことである。

 

実は、

今年度の「にほんごひろば」を開講するにあたり、S市国際交流協会の名前で事前に地元外国

人世帯からこの地の日本語教室に望むアンケート調査を実施していて、その中で最も期待の多

かったのが日本語能力試験に合格したいという項目だったと言うのである。

そして何の前触れもなくそのまま試験対策用N1~N5のテキストや参考書が揃えられていた。

 

新しいこの方針に内々大いに賛意の念を抱いた私ではあったが、事務局のこういう誰のヘルプ

も頼ろうとしない、ボランティア個々の実力や経験を問題外視する空気、新方針への気持ちが

先行し過ぎていることなどに危機感を覚え、初めて、

これは、事務局だけでは持ちこたえきれない、今まで企画や運営に関し意識的に沈黙を保って

きた私であったが何とかしなければと、やむにやまれず遅まきながら、新事務局員に寄り沿う形

をとりつつ、

一緒に問題を表面化させ二人で対策、検討lしながら、ぎりぎりスタートの日を迎えたのである。

 

胸襟を開き語り合ってみれば、「にほんごひろば」以外にも存在する数多い国際関係のイベント

全部の企画や実施を一人で切り盛りせざるを得ない現環境下における新事務局員の方の思い

も伝わってきて、今まで半年間味わってきた「にほんごひろば」への心の内にあるわだかまりに

共感しうるものが多々あることがわかってきた。

 

目指すところは同じである。

S城市内に居住する外国人の方々に日本語を自由化したい。

 

彼女が経験してきた主にスペインでの海外生活や陶器作りの話しにも関心が及んだりして、

最終的にはお互いなるべく合理的な「にほんごひろば」の運営を目指しつつ、一気にできそうも

ない所は時を待ちながらスローに、しかし一歩ずつ踏襲と変革の折り合いをつけつつ歩むことで

合意できたと思う。

 

私としては、

・新しい方針を全面的にバックアップすること、

・折々で、やりやすい具体的な目安を提示していくこと、

という2点に徹し、

若々しく新鮮で意欲的なそのモチベーションに水をさすようなことや先輩じみた主張は避けるよう

につとめている。

 

早い機会に日本人ボランティア全員の意見交換会を持とうということを前提にしつつ、メールの

やりとりや、二人ミーティングを数回持つうちに共通の的が見えてきた。

最終的に、

「にほんごひろば」の第一回目をどのように幕開けし、どんな台本をもって進めばいいのかという

ことなどが確定したのは第1回目の「にほんごひろば」が始まる当日の午前中のことである。

 

会場に初めて集まってくる学習者をどのように迎えるか、部屋の中の配置はいかにあるべきか、

最初の個人面談の内容や各人のレベル判定をどのようにするか、など今までの知識と経験に

加え事務局からの新鮮なアイディアが加味された初回のシラバスがようやく煮詰まった。

 

平成26年(2014年)6月4日(水)、午後7時半。

こうして、例年よりやや遅く連休明けに今年度の「Sしろ にほんご ひろば」がスタートした。

 

その後すぐに、

レベル分け、グループ分けされた学習者の仕草にこれまでにない活気が漂うようになり、今では、

出足は遅かったものの参加学習者の数は、予想をはるかに越え常時20名近くの地元外国人が

やってきている。

対応する日本人ボランティアも昨年に比較すればずっと数が増え、その状態が6月以来継続して

いて心強い。

 

思い切って新しいレベル別にほんごレッスンスタイルに舵を切ったあのときの新事務局の決断が

間違いでなかったことを支持すると共に、

今後間違わない展開を望むならば、今までの勝手な信念から脱皮し、日本人ボランティア自身の

意識変革と協調が問われるであろうことに気づいていかなくてはいけないし、そのような振る舞い

を見せなくてはと思う。

 

真の問題は裏側に山ほどあるが、今はただ学習者が依然多く来てくれることを有難く思い、彼ら

の期待を吸収することと、それに応える具体的な方策を工夫していく心を相互に持つようにする

ためにも、ボランティア同士のコミュニケーションが大切であることは言うまでもない。

 

昨日、7月17日(木)の夕方7時より、初めての、

「Sしろ にほんご ひろば・日本人ボランティア全員ミーティング」の開催にこぎつけることができた

ことを最後に記しておこう。(台風接近により一週間延期してのミーティング開催)

ミーティング前後、舞台裏で事務局の方とかなり綿密な二人ミーティングやメールのやりとりをした。

 

今回のボランティアミーティングの特徴は以下の通り。

①ミーティング開催前にどんな問題意識をもっているかボランティア全員からアンケートをとった、

②そのアンケート内容を集約したペーパーを準備し当日配布して説明した、

③ミーティングスタイルを全員参加型方式とした、

④我々とは初面識となる中立なファシリテーターに来ていただいた、

⑤3つに分けたミーティンググループを恣意的に配置できるよう工夫した、

 

こうして初めて皆んなと討議しあった今回のメインテーマは、

「グループレッスン」のあり方についてであった。

決まった結論は、できる項目から即実行していくこととした。

 

残っている最大の課題、それは、

この「Sしろ にほんご ひろば」の企画・運営主体は、ボランティアなのか国際交流協会事務局

なのかについてのテーマである。

ボランティア間に感情的な齟齬が生まれかねないこういった本質的なテーマを討議し合うのは、

時期尚早、もう少し時と間を待つべきだという気が、今はするのだが---。