うさぎの楽園を散策した後は、時間も早いので「大見島」にも渡ってみました
大見島には『大山祇神社』があるので行ってみたかったし
実は忠海港に車を停めて島に渡ったので、盛港からの交通手段が…
結局タクシーで
でもタクシーのおじさんが『大山祇神社』についていろいろ話してください
帰りもフェリーの時間に合わせて待っていてくれて、境内の説明をしてくださいました
これだから人とふれあえる旅は止められない
総門
天然記念物 大楠
神門
拝殿
境内を散策
木の中に階段
ここには宝物館があって誰でも知っている歴史上の人物の名前がずらり
国宝を見ることが出来るんです
「源頼朝」「源義経」「武蔵坊弁慶」「河野通信」「護良親天皇」etc.....
どんなものが展示されてるかは是非訪れてみてくださいね
【由緒】愛媛県神社庁HPより
瀬戸内海のほぼ中央、芸予諸島の中心をなす大三島は、平成11年5月全通した愛媛県今治市と広島県尾道市の間を10本の橋で結ぶ「せとうち・しまなみ海道」拠点の島であり、瀬戸内海国立公園のなかでも景勝の地として知られる。
大山祇神社は島の西側宮浦に位置し、国指定天然記念物楠群に覆われた境内に鎮座している。「三島宮御鎮座本縁」によれば、はじめ島の東側にあたる瀬戸にまつられたが、のち現在の大三島町宮浦字榊山一番耕地に大宝元年から霊亀二年まで首尾十六年をかけて大造営をなし、養老三年四月二十日正遷座が行われたと記されている。天孫瓊々杵尊の皇妃として迎えられた木花開耶姫命の父にあたる大山積神は、皇室第一の外戚として日本の建国に大功をあらわし、全国津々浦々にその分社が祀られている。
大正4年11月10日、四国唯一の国幣大社に昇格するのも右の由緒によるものである。古来日本総鎮守として尊称せられ、三蹟の一人藤原佐理が、日本総鎮守大山積大明神と揮毫奉納した神額は、国の重要文化財に指定され大切に保存されている。
伊予風土記に「御島(みしま)に坐す。神の名は大山積・・・」と見える当社は、延喜式神名帳にも大山積神社と記されるが、土地の人々は三島明神、または大三島さんと呼んで崇め、記録にも残されている。古事記に「山ノ神、名は大山津見神」とあり、日本書紀には「山の神等を山祗と号す」と、そして伊予風土記に「大山積の神、一名を和多志の大神」とあって、山神である一方海神・渡航神としての神徳を兼備、鉱山・林業は無論のこと農業神として、さらに瀬戸内海を航海する人々の篤い信仰を集めてきた。悠久の歴史にあって、75代崇徳院に雷神と高龗神が増祀されたことがあるが、やがて康治元年8月下津社が、久安3年6月上津社が創建されると、上津社に雷神が下津社に高龗神が遷されて本社は大山積神一座の元姿になる。尚、これ以降本社・上津社・下津社の三社をもって汎く大山積神社と崇めまつる信仰となり今日に及んでいる。
現今、官国幣社の制は廃せられたが、全国10326社の大山積神をまつる総本社として、日本一の甲冑・刀剣を所蔵する神社として、四季を通じ多数の崇敬者、拝観者が訪れる。
なお当社ではご祭神名「大山積神」、神社名「大山祇神社」として積と祇を書き分けている。
【宝物館】
武将たちが戦勝祈願と戦勝のお礼に奉納した鎧(よろい)、兜(かぶと)、刀剣などの武具類を収めた紫陽殿と国宝館、昭和天皇の海洋生物研究に使われた葉山丸などを展示する大三島海事博物館の3館がある。収蔵されている国宝は8件、国の重要文化財132件、県重要文化財6件。日本最古の大鎧、源平の戦いに源義経を助けた河野通信、河野一族、源義経などの鎧や刀など展示している。
大山祗神社
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大見島には『大山祇神社』があるので行ってみたかったし
実は忠海港に車を停めて島に渡ったので、盛港からの交通手段が…
結局タクシーで
でもタクシーのおじさんが『大山祇神社』についていろいろ話してください
帰りもフェリーの時間に合わせて待っていてくれて、境内の説明をしてくださいました
これだから人とふれあえる旅は止められない
総門
天然記念物 大楠
神門
拝殿
境内を散策
木の中に階段
ここには宝物館があって誰でも知っている歴史上の人物の名前がずらり
国宝を見ることが出来るんです
「源頼朝」「源義経」「武蔵坊弁慶」「河野通信」「護良親天皇」etc.....
どんなものが展示されてるかは是非訪れてみてくださいね
【由緒】愛媛県神社庁HPより
瀬戸内海のほぼ中央、芸予諸島の中心をなす大三島は、平成11年5月全通した愛媛県今治市と広島県尾道市の間を10本の橋で結ぶ「せとうち・しまなみ海道」拠点の島であり、瀬戸内海国立公園のなかでも景勝の地として知られる。
大山祇神社は島の西側宮浦に位置し、国指定天然記念物楠群に覆われた境内に鎮座している。「三島宮御鎮座本縁」によれば、はじめ島の東側にあたる瀬戸にまつられたが、のち現在の大三島町宮浦字榊山一番耕地に大宝元年から霊亀二年まで首尾十六年をかけて大造営をなし、養老三年四月二十日正遷座が行われたと記されている。天孫瓊々杵尊の皇妃として迎えられた木花開耶姫命の父にあたる大山積神は、皇室第一の外戚として日本の建国に大功をあらわし、全国津々浦々にその分社が祀られている。
大正4年11月10日、四国唯一の国幣大社に昇格するのも右の由緒によるものである。古来日本総鎮守として尊称せられ、三蹟の一人藤原佐理が、日本総鎮守大山積大明神と揮毫奉納した神額は、国の重要文化財に指定され大切に保存されている。
伊予風土記に「御島(みしま)に坐す。神の名は大山積・・・」と見える当社は、延喜式神名帳にも大山積神社と記されるが、土地の人々は三島明神、または大三島さんと呼んで崇め、記録にも残されている。古事記に「山ノ神、名は大山津見神」とあり、日本書紀には「山の神等を山祗と号す」と、そして伊予風土記に「大山積の神、一名を和多志の大神」とあって、山神である一方海神・渡航神としての神徳を兼備、鉱山・林業は無論のこと農業神として、さらに瀬戸内海を航海する人々の篤い信仰を集めてきた。悠久の歴史にあって、75代崇徳院に雷神と高龗神が増祀されたことがあるが、やがて康治元年8月下津社が、久安3年6月上津社が創建されると、上津社に雷神が下津社に高龗神が遷されて本社は大山積神一座の元姿になる。尚、これ以降本社・上津社・下津社の三社をもって汎く大山積神社と崇めまつる信仰となり今日に及んでいる。
現今、官国幣社の制は廃せられたが、全国10326社の大山積神をまつる総本社として、日本一の甲冑・刀剣を所蔵する神社として、四季を通じ多数の崇敬者、拝観者が訪れる。
なお当社ではご祭神名「大山積神」、神社名「大山祇神社」として積と祇を書き分けている。
【宝物館】
武将たちが戦勝祈願と戦勝のお礼に奉納した鎧(よろい)、兜(かぶと)、刀剣などの武具類を収めた紫陽殿と国宝館、昭和天皇の海洋生物研究に使われた葉山丸などを展示する大三島海事博物館の3館がある。収蔵されている国宝は8件、国の重要文化財132件、県重要文化財6件。日本最古の大鎧、源平の戦いに源義経を助けた河野通信、河野一族、源義経などの鎧や刀など展示している。
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