涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

80日目 兵庫西宮 甲山

2018-06-10 09:21:44 | 山登り
昨日、土曜日。梅雨のシーズンではあったが、天気が良かったためお絵描き教室を休んで、甲山(かぶとやま)309mに登ることにした。

阪急仁川(にがわ)駅から、まずは日大アメフト部の事件で有名になった関西(カンセー)学院大学を訪れる。


大学の正門の後ろにも甲山が見えるが、甲山森林公園を抜け、亀やコイやアヒルが沢山生息するみくるま池から甲山を望んだのが表紙の景色。

甲山の登山口は、神呪寺(かんのうじ)の境内の裏側にあるが、「神を呪う」とは奇妙な命名であるため調べてみると、元は「神の寺」で、「神呪(じんしゅ)」とは呪文、マントラ、真言とほぼ同義とある。その寺の背後にも甲山がキレイに重なって見える。


山頂までは急登ではあるが、標高差150m。山頂はごらんの通りで、ケルンというものが積まれており、二等三角点がある。


帰りは西に降りて阪急甲陽園の方に向かったが、途中、ガイドブックにあるカフェ・ザ・テラスなるレストランに寄ることにした。


美味しくてビールもワインも飲めたが、ローフトビーフのランチしかなく、カロリーも予算もオーバーしてしまった。


昭和7年の記事は、5年、6年に比べて非常に少ないです。やはり長女の誕生のためと思いますが。

第11回 昭和7年7月15日 午前1時半
 林は先月中頃より左の手首急性関節リュウマチスに罹り医師の治療受けしも渉々しく治らず、先刻より弥八地蔵様、御首様、本庄薬師様、虚空蔵様、御四方の介抱を受く。
祖父 どう云う事じゃな、皆があんたの言いなさる様にせぬのでいかんわ。
   今度は私共がさすらして貰うわ
○ お祖父様は手の方、お祖母様は胸の方をさすって貰うわ、そうそう そこそこ。
祖父 大変腫れてひどいものになって居るなあ、痛いじゃろ。
○ 痛くて 痛くて
  竹鼻地蔵様ですか。
仏 どうしなさった、大変痛むそうじゃが
○ 子供大変おとなしなったでしょう。そうでしたか、重い病気になるのを守っていて下さって有難う。

第13回 昭和7年
 夕食過ぎ柱にもたれ乍ら眠って、
○ 仏様がおいでになった。どうぞこちらへ
 口中にてお経文を読誦せらる
○ ミヤウジキ ソクゼ

第14回 昭和7年10月15日 午後8時
 この頃左手関節リョーマチに冒され渉々しく全治せず
○ この重い病気に冒されて、早う寝る者ばかりで話出来ん、あの高い位から今は下の方へ下って、どうぞよろしくおっしゃって下さい。じゃそうします。さようなら

第15回 昭和7年12月12日 午後9時30分
 本日は大垣工業の配属将校の先生の歓迎宴あり、帰宅遅し。玄関に腰かけられたら直ぐうとうとと眠られ、やがて大声にて
○ あ、有難うございました。
 其の後二階に上られ就寝さる。
祖父 この方、余り飲まっしゃると又病気になるで、折角もう少しで治る所、今日は接待係じったで仕方ないけれど、飲ません様にして居たが、踊りがうまい、ダンスがうまいので女もほかっておかん、お前(妻)は機嫌が良いでよいけれど又病気が起るといかんから明朝起きしゃったらそれとなし「酒はいかん」と云って、余りひどく云うと御気に障るといかんから。この方もお前達知らんが寝さっしゃる時と朝方と御経読まっしゃる。そのお経も普通の御経と違ってとても有難い、諸菩薩も御詣りなさる。毎日こうして行をなさるのじゃ。それをお前達は口答えなどして勿体ない。北の戸が、がたがたするで又お経が始まるで、よう寝さっしゃらんが、きちんとしておけ。もうわし帰るで。子供風邪引かせん様にせよ。
                                   昭和7年 終