
突然ですが、数学について語りました!
▼AfroDaikon声のブログ~私と数学の不思議な関係
ふわぁ~☆こんにちは、こんばんは。
あふろだいこんです!
上記動画内で、普段はあまりチェックしませんが、内容が内容だから(無いよ~じゃないよ?)チェックしたら、すごく変なこと言っていたため、ここで修正したいと思います。
最初の方で、時間の計算について語ってましたが、変なこと言ってますね。自分w
たまたまだけど、今の時間37分に対して、57分の電車とかに乗る場合、と話していて、近い数値で把握し、別腹で(なぜベツバラ?別脳の方が合ってるかもw)端数を計算していると言っていました。
ここで変なこと言ってますね。ここで修正しときます。
(実際にはイメージ計算してるので数値で計算してませんが、)37分は40分に近い。だから「40」と把握する。57分はほぼ60分(00分)と近いので「60」と把握する。
ここまでは良かった。
対してベツバラ、って説明してましたが、ここで何言ってるんだ?アフロ?状態になっておりました。
それぞれに足りない、もしくは足した数値を別に計算するという話の中で、47分に対してはマイナス(?)3分と言っていたような。57分に対してだったかな?忘れましたが、マイナスとプラスでゼロだと言ってましたがそれは間違った表現ですw
それぞれが3分追加でしたね。
あぁ・・・そこがアフロの残念なところで、話しながら計算するのは難しいという。プラマイゼロだよね、と言っていますが、プラプラで6分じゃないか!と自分で自分にツッコミました。
ここでイメージ計算の話を追記しておきたいと思います。
なんとなく動画内でも言っていた別腹計算。
これを私はイメージでくっけたり離したりしていることがあります。
そのため、上記で語っていた「3分」という粘土的な塊が脳裏にありました。
同じ「3分」の塊があるっていうことは、それが時間の場合で、同じような方向で近似値を選んでる場合は帳消しになる!というアタマがあり、だから方やプラスで方やマイナス(おい!違うだろ!)、だからプラマイゼロだよね、と言ってしまっていたと思われます。
このイメージ計算は、独特な計算方法なので、アタマに浮かんだAという3分の塊と、Bという3分の塊が消えてなくなる=だからなかったことになるよね、と言っておりました。
このイメージ計算は説明が難しい・・・。
ということで、補足でした!
言葉にすると間違えた説明になっており、失礼しました
( ^ω^)・・・。
っということで、動画の話の補足は以上です。
そして、大人になってからも、数学の参考書買ってしまったり、たまに開いては問題を解いてみたりしていたという話。
そういえば、なぜ今までブログで語っていなかったんだろう?自分にもわかりません。
だからせっかくなので、文章でも書いておこうと思います。
なぜだろう?なんか計算含めて証明とか、面白いよね。とずっと思っていました。
例えば苦手なのは、仕事でたまに「もや~ん」とすることってないですか?人々がたまに発動してしまう、非論理的、非効率な「もや~ん」です。
自分もあったりなかったりするかもしれませんが、アフロはこの「もや~ん」が苦手です。もっとすっきり、しゃっきり、単純化したいという欲望が出てしまいます。
いつの日だったか、ある人からある仕事を引き継いだりしますよね?
そして完全に引き継いだ時、前任者の残した「ブツ」の「もや~ん」とした部分を発見したりしますよね?
もう我慢ができません!マイクラ整地!!!因数分解!!!とばかりに、すっきりと無駄をなくし、必要な部分のみを切り出し、中途半端な部分は寄せて寄せて、どうにかしたい!
・・・という作業が始まりますw
そういう意味では、数学的に対処する行為ともいえるかも?と今、思いました。
なんで数学を学ぶべきなのか?って思いますよね。
もちろん単純計算できたほうがいいですし、単純な足し引きもわからないのでは、買い物一つとってもやっかいなことになりますよね。
でも、私にとっては違います。
数学的なものの考え方、考えの至り方こそが大事だと思うんです!!!
だからすべての社会人には、改めて数学を学んでほしい・・・と思うことがしばしばあるんです・・・。
やっぱり、非効率&非論理的な大人の「もや~ん」率が高い人って、どうしても発生してしまうから。
それを引き継ぐのがどれだけ大変なことか。
「誰が見ても明らか」であることほど、すっきりしゃっきり気分爽快なことはないから!
とはいえ私の頭も相当バグるので、無意識に「もや~ん」胞子が噴出してしまうことがあるかもしれません。
だから、自分の場合は、けっこう意識して、数学のテキストを眺めて、問題も数個解いたりする隠れた習慣があったんだと、
いま、思いました。。。
後付けです。
完全に、後付け発想。
ご容赦ください!
でもねでもね、やっぱりさ、「コレとコレ、同じ種類、まとめておく」とか、「これはちょっとしたアレだから、それはそれで別にしておく」とか、それらを改めて構築し直し、わかりやすくする、とか、「補助線を引く」とか・・・。
数学的なものの考え方って、とってもしびれるほどスマートで、カッケーな、って思うんですよね。
文系(?)の私ですら・・・。
いや、動画の中でも言っていますが、自分のこと文系だって思ったことありませんが・・・。
むしろ学生時代の部活の仲間からは、音大に行くと思われていたり、音楽の先生になるのでは?と思われていましたし・・・。
とかなんとか言っていても、文章を大量に書いている結果がある以上は、やっぱり文系なのかな、とも思えてきたり。
でもねでも、やっぱりたまに、本屋さん行くと、数学の参考書のコーナーと、地図のコーナーは必ず見に行きたくなるんだよね。
それでたま~にだけど、買っちゃうんだよね。
わざわざ”物理で”買いたくなる。
数学的な考え方で、いまでも不思議だな~っと思うのは、やっぱり何よりも基本中の基本、数字の捉え方なんだよなぁ・・・と思うに至っております。
っと急にまた語るんだけども。
例えば数字をわざわざ「+4」とか「-5」とか書いて、「(+4)+(ー5)」って書いたりしますよね。
これって、小学校まではあまり教えてくれない、数字のとらえ方だよね。
私がはっきり覚えてるのは、この類の、「数学的に数字を捉えるセンス」が好きだ、という気持ちなのであります。
例えば、単純な計算でもね、「ー8」+「+4」=「ー4」なんだけど、この中には、実は、「ー(8-4)」っていう数式めいた世界が存在してるんですよね。
これは「4-8」って書くよりも分かりやすい。
「ー(8-4)」という表現を見ていると、「絶対値」ってありますよね、あれを思い出します。
数字には「絶対値」ってのがありますよ~って、けっこう昔に教わりましたが、大人になってもそれを覚えている方いますでしょうか?
「なんかコレ好き。」って思っていたのを思い出しますw
なんか、いちいち、カッケーなって思っていたんです。
小学校の算数から、中学校のレベルにアップした直後くらいの時期にあったレベルの話だと思うんですけど・・・。
頭の中に、常にイメージがあって、それで計算をしているっていう話をしましたが、まさにそれがベースになってる感じでもあります。
マイナスだろうと、プラスだろうと、どこから見ても、その数値だけの絶対値があるっていう感覚。それが、自分の頭の中で、なんか変な形というか、粘土的なイメージになっている感覚があります。
だから時計を見ても、それがデジタルだった場合、数値しかないわけで、数値=絶対値的なイメージの塊で捉えて、いわゆる私的に言う別腹計算も発生している、っていう状態になってるんですね・・・
ってわかりにくい!!!
文章的に書くとすっごくわかりにくー!!!
ってことで急にですが、補足説明終わります。