性格やコンプレックスのせいか昔までは「男らしさ」に強いあこがれを抱いていました。背が低く体力もなく、泣きやすい人間なのでよく馬鹿にされることも珍しくなかったです。大人になるにつれて同性にも異性にも「男らしくない」と指摘を受けてきました。劣等感や感情の不安定さもそれを後押ししていたと思います。
しかしこの「男らしくなるべき」という縛りが生きづらさの原因の一つになっていました。枷にしかなっていなかったのです。中高生ころは「俺」という一人称を使ってましたが、ただの強がりのようなものでした。今では主に「僕」にしています。
たまたまその世間一般的な「性別らしさ」を持っていた人間にはいいかもしれませんが、合わなかった人間には毒でしかありません。押し付けてられるのは勘弁してほしいです。それに僕は今までの経験から、「~らしさ」がまるっきり合う人間はいないと思います。
どうしてもネガティブな例えになってしまいますが、僕は女性から暴力を振るわれることもありましたし、男性から陰湿な方法で傷つけられることもありました。多分、「そういう傾向がある人がこの性別では多い」そのくらいのぼんやりした認識でいいんだと思います。「~べき!」はストレスにしかなりません。
自分が好きな様にいきるのは一番です。
しかしこの「男らしくなるべき」という縛りが生きづらさの原因の一つになっていました。枷にしかなっていなかったのです。中高生ころは「俺」という一人称を使ってましたが、ただの強がりのようなものでした。今では主に「僕」にしています。
たまたまその世間一般的な「性別らしさ」を持っていた人間にはいいかもしれませんが、合わなかった人間には毒でしかありません。押し付けてられるのは勘弁してほしいです。それに僕は今までの経験から、「~らしさ」がまるっきり合う人間はいないと思います。
どうしてもネガティブな例えになってしまいますが、僕は女性から暴力を振るわれることもありましたし、男性から陰湿な方法で傷つけられることもありました。多分、「そういう傾向がある人がこの性別では多い」そのくらいのぼんやりした認識でいいんだと思います。「~べき!」はストレスにしかなりません。
自分が好きな様にいきるのは一番です。
〜なくては。
とても重たい自分を縛る言葉です。
出来ないなりに
〜でありたい。
〜になれるかな。
少しづつ私も私を許し初めています。
僕もこころさんのいう、「許す」ことに挑戦中しています。
私は母の「でなくては」「しなさい」「しなきゃ」苦手です。
疲れている時、落ち込んでいる時、とても負担な言葉でした。
勿論、躾として有難い時は多々あります。
自分に対しては「しなくては」「ありたい」より譲れる部分は「なれたらいいなぁ」と少し言葉を変換し気持ちを楽にします。
出来る時は「しよう」「やろう」「なろう」に変わります。
無理はしない事。
そのままのご自身を受け入れるブログとても素敵でした。