goo blog サービス終了のお知らせ 

外川目ときどき賢治さん

「早池峰賢治の会」会長の浅沼利一郎さんと巡る宮沢賢治の作品原風景。

菅原隆太郎さんとは

2011-01-07 11:31:55 | 取材
前回の記事でご紹介した菅原隆太郎さんについて
簡単にですが、補足してご紹介していきたいと思います。



■菅原隆太郎(1879年~1963年)

・岩手県師範学校(現・岩手大学教育学部)を卒業後、教員になる。

・大迫尋常小学校(現・大迫小学校)や盛岡市の桜城小学校の校長を歴任した後、
 大正12年から「ドルトン・プラン」と呼ばれる自由教育を約10年間行った。

・1955年 岩手日報文化賞受賞

・1962年 大迫町名誉町民第一号に推戴される。


賢治さんとの関わりは、菅原隆太郎さんの日記から追うことができます。

大迫の教育に尽くし、当時としては画期的な教育法に挑んだ菅原隆太郎さん。

賢治さんのことを「私のしたっている方だ」と記し、
国語の授業を参観した賢治さんに
「いいいいといはれたのに汗が出た」とも。

賢治さんの遺言として贈られた「國訳妙法蓮華経」には、
「日 第参拾号 昭和九年六月 謹呈 菅原隆太郎様」とあります。

「宮沢政次郎」という鉛筆書きの付箋が挟み込まれていたことから、
賢治さんの父・政次郎が贈ったものと考えられています。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。