今回は、いつものテーマと少しずれますが、
賢治さんに影響を与えた方として、
菅原隆太郎との親交についての浅沼さんのお話です。
以前のお話はこちら
「早池峰と賢治」の展示館には、
菅原氏と賢治さんの親交をあらわすような展示物があります。
初版本の「春と修羅」、「注文の多い料理店」。
これは、賢治さんが直接菅原氏に贈ったものだそうです。
また、賢治さんは遺言で、
“法華経を千部印刷して、知己友人にわけるように”
と願いました。
その願いは、家族らによって遂げられますが、
菅原氏もまた、賢治の遺言である「法華経」を
受け取っており、展示館には、この法華経が展示されています。
菅原氏と賢治さんの出会いは、大正12年。
賢治さんが、大迫小学校をたずねたことで始まります。
賢治さんのことを菅原氏は、「私のしたっている方だ」と
日記に記していました。
最後に、浅沼さんのお話を抜粋します。
保坂嘉内さんも、妹トシも。
賢治に影響を与えたひとってば
いっぱいいるけども。
菅原隆太郎先生との親交やダルトンプランでの出合いが
賢治さんの作品を変えたんでねぇかな。
菅原隆太郎と親交が始まって以降の賢治さんは、
作品の中で乱暴な言葉遣いや見下した表現を
使わねぐなったもの。
それが、すべてとは限らねぇけどさ。
展示館にお出かけの際は、ぜひ、じっくりとご覧ください。
賢治さんに影響を与えた方として、
菅原隆太郎との親交についての浅沼さんのお話です。
以前のお話はこちら
「早池峰と賢治」の展示館には、
菅原氏と賢治さんの親交をあらわすような展示物があります。
初版本の「春と修羅」、「注文の多い料理店」。
これは、賢治さんが直接菅原氏に贈ったものだそうです。
また、賢治さんは遺言で、
“法華経を千部印刷して、知己友人にわけるように”
と願いました。
その願いは、家族らによって遂げられますが、
菅原氏もまた、賢治の遺言である「法華経」を
受け取っており、展示館には、この法華経が展示されています。
菅原氏と賢治さんの出会いは、大正12年。
賢治さんが、大迫小学校をたずねたことで始まります。
賢治さんのことを菅原氏は、「私のしたっている方だ」と
日記に記していました。
最後に、浅沼さんのお話を抜粋します。
保坂嘉内さんも、妹トシも。
賢治に影響を与えたひとってば
いっぱいいるけども。
菅原隆太郎先生との親交やダルトンプランでの出合いが
賢治さんの作品を変えたんでねぇかな。
菅原隆太郎と親交が始まって以降の賢治さんは、
作品の中で乱暴な言葉遣いや見下した表現を
使わねぐなったもの。
それが、すべてとは限らねぇけどさ。
展示館にお出かけの際は、ぜひ、じっくりとご覧ください。