ハワイに親子留学!!

パンチボール 国立太平洋記念墓地 アメリカへ渡った叔父とシベリア抑留の祖父の事

パンチボール、ホノルル国立太平洋記念墓地に行って来ました。

レディコロンビアの像が墓地を見守っています。

レディコロンビアは
アメリカ大陸を発見したコロンブスに由来します。

レディコロンビアは
アメリカを保護して導く架空の存在として認識されていて
色んな場面で描かれています。

ジョン・ガスト(John Gast)が描いた
「アメリカの進歩(American Progress)」
という有名な油絵がありますが
アメリカの入植者を西に導き
野生動物とアメリカ先住民の暗い土地に
光をもたらす存在として
レディコロンビアが描かれています。

アメリカ開拓時代から光ある方向に導く
レディコロンビアが
アメリカの為に戦った
色んな宗教を持つ英雄達を見守っている
国立太平洋記念墓地。

そこには第二次世界大戦でのアメリカが
どのように勝利したのか描かれています

激しい陸地戦があった沖縄


沖縄だ!と喜ぶ子供達。
まだあまり歴史を知らないんです。


同じく激戦地になった硫黄島。



こちらはアメリカから見た
第二次世界大戦からの勝利の歴史。


1943年の日本の領地


縮小した1943年の日本の領地


たった1年でここまで追い込まれたんですね。
地図で見ると改めて壮絶な戦いがあったんだと分かる図です。


頂上から見たハワイの景色。

我が家もしっかり見えてます。

幸運にも今まで東京の学校では戦争に関する事を
押し付けられる事があまりなかったようですが
2年後、沖縄に帰ると
一方的な反戦教育を受ける事が予想されます。
子供達には日米両方から見た歴史を学び
自分で考える力を養って欲しいです。

日本の歴史を一方的に批判して
反省を教え込むようなやり方では
ロシアや中国、韓国、北朝鮮の脅威と
向き合っていけるとは私は思えません。

歴史をそのまま正しく学び、
自分で考え判断して、
未来はどうするべきか、
子供達が一人一人考えを持つ事こそ
日本が平和であり続ける事に繋がるのではと
私は考えています。

幸い英語を習得する機会にも恵まれた子供達には
未来の日本の為に
沢山の事を吸収して欲しいと思ってます。

残念ながらそんな立派に育ってないのが現実ですが。

私の祖父の弟は戦前にアメリカ本土へ渡った移民でした。
頑張って働き一時期は羽振りが良かったらしく
祖父へ珍しいアメリカの商品を送ったり
日本の母校へ寄附したりしていたそうです。
しかし戦争が始まると
一方的に財産を没収され、収容所に入れられたそうです。
収容所から悲痛な手紙が何度も届きましたが
当時の祖父はシベリア抑留で
戦後すぐには帰って来れませんでした。
帰国後祖父は弟を帰国させようと頑張ったそうですが
当時の移民1世にはアメリカ国籍は与えられませんでした。
1952年、移民国籍法が制定され
移民である一世も市民権が取得できるようになりましたが
国別の移民数割当制度は残されていて
移民は制限されたままだったので
アメリカ国籍を得られる事はなく
日本政府が帰国の手助けをしてくれる余裕はありませんでした。
アメリカの英雄となったダニエル・イノウエをはじめとする日系人の活躍で
1967年に移民法が改正され
移民数の国別割当制度が廃止となったのは
戦争が終わってから20年が経過していました。
その頃には体調を崩して帰れる状態にはなく
日本国籍のままアメリカでこの世を去ったそうです。
祖父は戦争やシベリア抑留の話は
子供達が聞くもんじゃない、
と一切話しませんでしたが
寒さで肺をやられていつも咳をしていて
60代で肺の疾患が原因で亡くなりました。

私が小さい頃は
家には当時は珍しかったアメリカの蓄音機があったのを覚えています。

その後は教育熱心な母と
アメリカが身近だった父により
海外留学をさせてもらい、
今はハワイに住んでいる私ですが
子供達にも自分と同じように
海外を知る機会に恵まれて
感謝しかありません。




























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