実母からのモラルハラスメント

実母からモラルハラスメントを受けて数十年。
終焉を迎えました。

火種

2008-09-24 | ~3年前の爆発~
母と私に亀裂が入ったのは
3年前のあの日からだった



~3年前の夏~


夫の転勤が春に決まり、一足先に現地へ赴任してしまっていた
引越しはすべて私の肩にのしかかっていた
これまで何度も引越しはしたけれど、海外引越しの大変さといったら
それはそれは想像以上のものだった


すべて終えて、実家で数日過ごしてから出国することにしていた
滞在は1週間ほどだったと思う

実家へ帰省する


世の中の女性 特に子供を持った女性にとって実家で過ごすことは
とても心地よく、楽しみなことであるようだ
おばあちゃんは孫の世話や娘の世話をせっせとしたがる。
母娘水入らず、おしゃべりに花が咲き
「あ~実家って最高!」
そんな娘にお客さん扱いはそうそうしないよ!なんて多少は迷惑そうにしながらも
娘の帰宅を喜ぶ母 



そんなものは私にとっては夢物語だ

このとき、すでに子供は9歳
そのずっと以前から、私達が帰省することにいつもケチをつけていた
子供が4歳頃から、帰省するたびに嫌な思いをすることになるので
だんだんと憂鬱になっていたものだ


それでも、私は実家が自分の負担になっていること、
母が私の帰省を心底歓迎していないことに気付かずにいたのだ




私の周りのママ友はみな、実家に帰るのを楽しみにしており
それこそ年に数回の大切なイベントのように見受けられた

私が住んでいたそこは、転勤族が多いので、実家と離れて暮らしているひとばかりだった
子供が小さいと、日々の暮らしが制限されることが多いので、
「実家へ行けば普段はできないあれができる、これができる」
と盆、正月、GW前後はそんな話でもちきりだった

私もそんなママ友達と自分はなんら違いはない
母は文句は多いけど、心の底では私や孫を歓迎しているのだと
思い込んでいたのだ

話が前後するが、
子供がまだ1歳半くらいの頃の話に戻そう


「帰省したら美容院に行かせてもらいたいんだけど」

と言った


周りの友だちはだれでも、実家に帰ったら行きたいことのひとつに
「美容院」があった
子供を親にみてもらって、ゆっくりと美容院へ行く
その頃はそんなこともささやかな夢のようなものだ
私も周りの友だちと同じように母に助けてもらえる娘像を
浅はかにも思い描いてしまった

美容院にもオチオチ行けないくらい大変な生活をしている娘
それを喜んで助け、孫とのふれあいをも喜ぶ
そして娘は母に感謝し、母も同じように苦労してきたのだと母としてますます尊敬する



私はこれをやりたかったのだろうな



だが、


母は私の手を払いのけた





嫌よ!泣くもん!!


泣いたらどうすんのよ!!


アンタ、旦那にみてもらって日曜に行ってくればいいじゃない!!!




私は唖然としてしまった





思い描いていた画像


少なくとも、周りの友だちはそれを普通にやっていること


とっさに言った


そんなこと言う母親初めて見た・・・



↑この言葉は少し母には堪えたようだった



つづく










今度は言わなきゃ

2008-09-17 | 母というひと
昨日、久々に母から電話があった
銀行のことでひと騒動あって以来なので、20日ぶりくらいか?
これまでは開いても1週間だったので、母もかけずらい何かを私に感じているのか
そんなことは全く関係なく、ただ自分のことで精一杯だからなのかは
わからない

いずれにせよ、母と話さなくていいのは快適だった

昨日は私の誕生日だったので、「電話くるな」とは予想していた

朝からずっと外出していて、帰宅したのは、日本時間でいう夕方だった
家にはいって一服していると、15分そこらで電話が鳴った

母だな

と思ったので、取るのをやめた
友人に誕生日を祝ってもらい、ハッピーな気分で帰宅したから
台無しにされたくない


30分後

また電話が鳴った

やはり取らなかった 

私は私の気分を邪魔されたくないのだ


そのまた30分後 電話


幸福感に浸っていたいあいだは電話に出る気はない



そして夜(日本時間7時ごろ)
この電話は仕方ないから出た
私もだいぶ浄化されていたので(苦笑)


やはり母だった


何度もかけたのにいなかったとは言われなかった
(さすがに言えないのか?)



誕生日おめでとう


「ありがとう」と一応応える



そのあとは、みんな元気か?とお決まりのセリフ


そして、いつも私の神経を逆なですることを言う



いつまでそこにいないといけないんだ?


そんなことわからない

そろそろ(日本に)帰らないといかんわ



会社が決めることよ



これを何度繰り返しただろう



いつも「帰らないといけない」という言い方をされる
まるでここに住んでいることが悪いことでもしているみたいだ



・近くに来て親の面倒を見ろ
・外国生活なんかしていい気になっていてはいけない
・見てないところでなにをやってるんだ?
・支配が届くところにいろ





昨日、気がついたのだが、私は
ここが好きだからもっといたいと言ったことはない


なぜだ?


面倒だから
母のやり返しが予想される、
また私が怒り、打ちのめされた気分になる
そのやりあいする気力がない

など。。。。


ようそんなところに住んでるわ!!!


と、ここはちっともいいところじゃないみたいな言い方をされたことがある


私が住み心地がよい土地で幸せにしているところは全部嫌なのだろう
ここに限らず、以前住んでいた○○市のことも

私は○○市 大嫌い


といつもけなしていた




大切なことを言ってなかった

私はここが好きで、まだまだ離れたくないのだ
やっと楽しくなってきたし
言葉もだいぶできるようになった
学べることも多い


そしてなにより、母から遠く離れているということがなによりも幸せなのだから



今度、同じ話になったら言わなきゃ


ここが好きだ

と。
もちろん、転勤で来ているサラリーマンだから、個人の要求など通るわけないのは承知しているうえで。
好きは好きなのだから  
土地も縁あって住むことになったのだ
その土地に対する愛着
これは私の大切な気持ちのひとつだ

母はいつも私が大切にしているものをめざとく見つけてけなすのだ



それと。
帰国したくない一番の理由は


母の存在なのだと



これはまだ言うのは早い?

言ってしまうかもしれないな

言うかも・・・


言うべき?




*******************



昨日は、「帰ってこなきゃいけない」の理由を
夫の両親が年老いているからと言った
それに対しても怒りが湧いてしまう

普通はもっもなことだと思うが


母の場合は
こうやって罪悪感を抱かせる

主語は夫の両親じゃなくて

「自分」が困るからなんじゃないの?

夫は3人兄弟
実娘と同居中





さんざん 私を役立たずと罵ってきたんだから
まさか、帰ってきてほしいなんて
いまさら言えないよね?

ね?



勝気でなにが悪い?

2008-09-12 | 母というひと
子供の頃から母によく言われていた言葉で

嫌いな言葉がある



勝気


私が生まれ育った地方では「負けず嫌い」よりも「勝気」をよく使う

そもそも「勝気」は人をけなすような言葉ではない

でも、母がその言葉を私に使うときは、褒め言葉でなかったことは確かだ

もちろん私には「勝気」な部分はある
だからといって、人を思いやる気持ちがないわけではない

普通に負けず嫌いな部分もあり
普通にやさしい心を持っている


母に言われて嫌だったのは
「この子は勝気だから」
ということと
「この子は思いやりがない嫌なコだから」
が同意語として使われていたからだ



明らかに「勝気」が原因ではないことでも

この子は勝気だから


ということにされた。。。。



今思うと、なんでそうなる?と馬鹿らしく思うこともたくさんある



学校で良い成績をとる

~勝気だから~


いやいや、アナタに怒られるのが怖くて必死に勉強してたんですよ




親の手伝いをする
~勝気だから~

そうそう もう何十年も前のことなのに、はっきりと覚えている


それは、私が高校生の時のことだった
当時大学生だった兄が大病を患い、数ヶ月間入院生活をしていた
母は兄につきっきりでほとんど家には帰って来なかった

私は受験をひかえていたのだけど、兄の重病は我が家の一大事で
受験勉強のかたわら、家事もこなしていた
高校生ともなれば、ひととおりのことは大体できた

元々、掃除は億劫ではないタチで、特に台所が汚いのは我慢できない性分だった
いつも、ガスコンロをピカピカにしていた(油が飛び散ったままはイヤ!)

近所のひとも協力してくれて、おかずを持ってきてくれたり、私が学校に行っている間、制服にアイロンをかけてくれたりもしていた

そんな忙しい毎日の中、母がちょこっと戻ってきた
そのとき、お世話をしてくれている近所のおばさんもいた

おばさんは言った
「アッちゃん 偉いわね~ こんなに台所もピカピカにして!」


ああ~ このコって勝気だから まだまだ私みたいにはできないけどね


その瞬間、煮えたぎるような怒りがこみ上げてきた

たぶん、母に

まったくなんて事を言うんだ!!!

とかなんとか言って、家を飛び出した

その時の近所のおばさんのひきつった笑顔
母の「しまった」といったような表情



高校生だった私の「家のために」「兄のために」「母のため」「父のため」
今よりもずっと純粋だった気持ちを
土足で踏みにじったような言動だった





その数年後の兄の結婚式のときの話


兄はあまり派手な人間ではない
我が家の親戚はお酒もあまり飲めず、静々とした雰囲気だった
披露宴はそれほど盛り上がりもせず、淡々と進んでいた

祝辞、歌の披露など まあよくあるごくごく普通の結婚披露宴
どちらかというと、新婦の親戚のほうが積極的に歌を歌ったり、野次をはさんだりしていた

私は○○ちゃん(兄嫁)の親戚のひとたち、がんばって歌ってるな~
と、ちょっと感心した




披露宴が終わったら、母はさっそくいつもの品定め、いや粗探しを始めた

やれ嫁さんの友人の服装がどうだの
父親が歌った歌の内容が結婚式にそぐわないだの

私:○○ちゃんの親戚のひと大勢で歌ってたね

とちょっと感想を述べた



その後、自分の親戚たちとふたたび本日の披露宴の反省会 ではなく、粗探しを始めたとき


むこうは嫁側なのに出すぎやわ
アッちゃんは勝気やから 「なんであっちばっかり歌って!」って怒ってたわ





(このときから母の虚言癖はあったのかもしれない)


勝気

今はわかる


それはアナタ自身のことですね

それは自分の中でもてあましている感情なのですね

負けたくない、勝ちたいという気持ちにいつも支配され

昂じて、不安、恐怖となり

自分で抱えきれなくなったものを
娘に背負わせていたのですね




思い出すままに書いたものですが
「勝気」ネタはまだまだたくさん。。。。





鮮やかによみがえる


恐怖の電話結果

2008-09-04 | 母と私の現在
前回の結果報告です





http://blog.goo.ne.jp/acchan-smile/e/b0d339f4587f674e9629e5024f571663



「殺される!」とまで言わしめた事件ですが


うまく処理されたようでした



書類を発送してからというもの
気が気ではなく
恐怖心がつのって夢にまでうなされました



やはり
こんな私はまだまだ母の呪縛がとけてないんだと実感させられました




ただ、今回は自分に言い聞かせ、今までならついやってしまいそうになることを
しないよう努力したことが何点かあります


①発送したことを母に報告しない
②届いたか?と聞かない
③受理されるかどうか不安なことを訴えない
④銀行にも確認しない



もう知らん!アンタが銀行とちゃんとやってよね


と言ったのは母なのだから、なにも私が母に報告する義務はないわけです
だから①、②、③はしなかった

今までは間違いなくやってた
思うに、私のこういう行為が余計、母を苛立たせていたのかもしれない
母自身、報告義務を望んでいたわけではなかったのかもしれない
「銀行から届いたか?」「発送したか?」と矢のように催促がくるかと思っていたら来なかったから
私が負うべき不利益なことに関わりたくないのだろう


④はなにか不都合があったら直接電話をしてほしいと、こちらの連絡先を添付しておいたのでそれで充分であろう

銀行へは「届いたか?」「受理されたか?」と何度も確認したい誘惑にかられたが・・・

こらえた!(苦笑)



唯一、EMSはウェブ上で確認コードさえ打ち込めば追跡できるので
月曜の朝はチェックしてしまった


朝の7時45分(日本時間)に窓口受け取りと出ていたので
まずは一安心


そこから推理が始まる
封を開けて、確認されて、きっと上司に出されて、そこから他の書類やなにやら
がチェックされていって、昼ごろ終わって・・・・
電話が来るとしたら午後イチ?


↑これがいけないクセ  染み付いてしまった私


事実、月曜はほとんど電話を離せなかった・・・





そして翌日の夕方


母から電話が




今日やっと銀行が開設されたわ あのお金がなくて本当大変だった




私:そう それはよかったね


自分でも驚くほど冷静に答えた
謝罪はもうしなかった もちろんこの数日のアタフタも報告はしない




母は再び私の謝罪とか、迷惑かけられた優越感を得たかったのかもしれないが
そういう気回しはやめた



それじゃね



とビジネスライクに
電話を切った私




もう当分電話はかかってこないかな?
私からかけることは少なくともない








恐怖の電話②

2008-09-01 | 母と私の現在
勢いで仕上げます!


銀行が直接こちらへ書類を郵送してくれることになった
私は拇印を捺印して銀行へ送り返す
EMS(書留のようなもの)でやりとりできるので大丈夫だろう


銀行さんがちゃんと見本を入れておいてくれた
拇印はサインにかからないようにとの注意書き
やはり、直接指導のもとにやったほうがよかったな 
拇印を押すにしても、そんなことまで気がまわりそうにない
サインの上に押してしまいそうだ(汗)


そのうえ、住所を日本語でも追記するようにともあった


ええーー(-。-)・・・


確かに、サイン証明書は住所表記は日本語
でも、在留証明書は日本語、英語両方記載されている
そして銀行提出の遺産分割協議書の住所欄なんて当然ひとつ
ふたつ書かなきゃ!なんても思わなかった・・・
みなさんだったらどう?


一応、銀行へ朝電話して、確認し、今日(4日前)郵送するつもりだと告げた


日本語での住所表記のことも一応、聞いたら
「署名証明書は日本語で書いてあるので」とのこと
じゃあ英語では書かなくてもよかったのかな?(とはもう聞かなかった)
担当さんも「署名証明」を見たのははじめてで~~と告白。
そうですよね!私もこんなこと初めて!!



そして事件が!!


私ってば私ってば



日本語住所の字を一文字間違えてしまったの~~~!!!



何度も見直したのに・・・
緊張でバクバクしながらやったのに・・・



ああ・・・・目の前まっくら・・・・・
万事休す・・・・



これまでの人生のなかで、何度かこういうことをやる

大事なときにどーーーってことないことを間違える

神様~(>。<) お父さん!助けて





震える指で銀行へ電話

事の次第を告げると



ええっ そ、それは・・・全員直してもらわないと!




一番恐れていた答えが返ってきた。。。。




お願い!そんなこと言わないで!!なんとかして~!!!殺される!!!!!


↑本当に言いましたよ



銀行:そんな・・・私の一存では・・・ちょっとお待ちください 折り返します




2分後



間違えたところに線を引き、拇印を押してください それで大丈夫とのことです



よ、よかった・・・・



寿命が10年くら縮まった





******************



が、この4日間 恐怖で恐怖で・・・・

銀行からそれでいいと言われたのに
「もしかしてこれで通らなかったらどうしよう」
100回くらい見直ししたのに
「もしかして他にも間違いがあったら?」
郵便の控えも持っているのに
「届かなかったらどうしよう」




ここまで蝕まれている私ってやっぱりヘンですよね・・・


母に怒られることがまだまだこんなに怖いなんて・・・・



たぶん、今日、銀行に書類が届いている

いまにも銀行から


「これはだめです」

と電話がかかってきそうで



恐怖!



これを書いているあいだ、電話はない

もうすぐそちらはお昼だ


午後からも安心できな~い!!



恐怖の電話

2008-09-01 | 母と私の現在
今日、いや正確には4日前から私はおびえている


ややこしいい問題発生!



亡くなった父の銀行口座を再開すべく、
銀行へ提出する遺産分割協議書に親族の署名、実印捺印が必要である

海外在住の私の場合、実印登録がないので遺産分割協議書にはこちらで署名登録したサインをする(印鑑の代わり)
「署名証明」と「在留証明書」も提出する


記入とサインは先日の四十九日の日に行った
先にも記事にしたが、実家へ着いて早々

アッちゃん!書類!!サインサイン!!


と仏壇に手も合わさせてもらえず急かされた



その書類はすでに母、兄の住所、署名、捺印もしてあった
当然私が一番下


記入するのは住所、氏名、捺印
住所は当然英語で、氏名を書き、捺印のところは登録してあるサインで。





これで万事OK!と思ったのだが~~~






こちらに戻った先週月曜の朝
半狂乱になった母から電話が




あんた!あれほど言ったのにちゃんとそのとおりに書いてない!!!




受話器を持たなくても聞こえるくらいの大声



拇印が押してないじゃないの!!


ほんっとに私はこのためにどんだけ酷い思いをしてきたと思ってんのよ!!何回も何回も銀行へ行って○×▲■#@:●~~~~!!!!!!



拇印???


署名証明をもらうときに確かに拇印は押させられた
だが、銀行の書類には印鑑の欄しかない そこに印鑑の代わりにサインするものだと思っていた

母が半狂乱になっているので銀行のヒトに代わってもらった

私:拇印の話は聞いてないんですけど。そのためのサイン証明書でしょ?

銀行:はぁ。でも署名証明書には拇印が押してありますので・・・



とにかく署名証明書のとおりにとのこと
母からは「そのとおりに書け」と100万回言われていたのだが、「署名証明書」のとおりとは思っていなかった サインをそのとおりにだと認識



もうこんなことばっっっかり嫌や!!!!
私もう死にそうや!!!!銀行とアンタとでやってよね!!!!!!!



久々に恐怖を感じた あんなに怒る母 こちらにも落ち度がある
体が震える
心臓がバクバクする



私のミス・・・・いや、これはミスというのか?

認識の違いだ 私は決していい加減にやったわけではない
慎重に慎重に記入した サインと拇印が両方いるなんて思ってもみなかったのだ



どうせすぐに母から電話があるだろうと思ったので、ロールプレイし、言いたいことを紙に書いた

少し落ち着くことができたところで電話が鳴った

もちろん母から



ギャーギャーが始まった
だがそこを遮って




すみませんでした。でもね、私はいい加減に書いたわけでもうっかりしてたわけでもない
認識が違っていたの
それでも拇印を押さなかったことは私のミスだから、これからのことは私が責任持って処理します


母はちょっとだけトーンが落ちた とりあえずおさまったみたいだった
そしてお約束のどんなに自分ひとりで大変かを力説された
お金がかかる、お金がないとそればかり言われて、罪悪感を植えつけようするいつもの手口

私:ええ。だからお金はいらないって何度も辞退したでしょ
  私だってすごいお金がかかりました。でもお金がもったいないから行くのやめ  ようとか思ったことない。お金が出て行ったことでだれかを恨んだりもしま   せん





前半終了です・・・


つづきあります。。。



ここまで読んでくださった方ありがとうございました