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土塊も襤褸も空へ昇り行く:北村虻曳

随想・定型短詩(短歌・俳句・川柳)・写真
2013/11/11開設

ナイアガラの死の文字

2014-03-18 | 随想

五十歳(1997)を越えて初めて、アジアを離れた。トロントのホテルで二日目、家から電話が入った。クレディット・カードの会社から、「100万円以上使用されているが、大金なので支払いを抑えている。この金額支払っていいのか」という問い合わせが来たという。わけが分からず頭の中が真っ白になった。とりあえず払わないように頼んだが、わずかの現金とトラベラーズチェックしか持たない。これからの滞在をどうしようかと思った。使用限度額は30万円ぐらいだっただろう。

ホテルに着いたとき、こちらの身元保証としてフロントにそのカードのチエックを許していた。それ以外に使っていないのでホテルに詰問した。ホテルの経営者などとやりあったが得るところはなかった。お互いの不信で、さまざまな人種からなるフロントやキーパーとの友好的雰囲気も壊れて嫌な状態になった。トラベラーズチェックでしのいで、焦燥の2日ほどが立った頃フロントから電話があった。「I'm sorry. I checked your credit card but I forgot to cancel it.」ホテルに到着した時の話だ。中学生ぐらいにも見える少年だった。仕方ない「I understad.」

二十日ほどの滞在であったろうか。海外の買い物、食事なども初めてで負担であったが、カードも安心して使えるようになり、どうにか軌道に乗った。

帰る前に日本人の友人の誘いで、トロントからナイアガラの滝を見に行った。私の着く少し前は吹雪いていたと聞くが、大陸らしく五月で一気に汗ばむ季節に転じたところである。行き帰りはブーツを履いた頑健な男が運転する greyhound bus であった。まったく良い気分転換となった。

対岸の滝(アメリカ滝)の下には、おそらく部屋ほどもあろうかという巨大な氷の固まりが重なり合っていた。この陽気で溶けて流れ落ちたのであろう。氷は汚れて黒い模様をまとっていた。一つの石の模様が、死という漢字に見えた。友達に指摘すると彼もほんまやと認めた。この旅で死ぬのかなと感じた。もともと験を担いだり恐れたりする質ではないのであるが、もろもろの事態で疲れて軽くなった脳に、他所事のようにそんな感じが浮かんだのである。


                        <ナイアガラの死の文字>



軽はずみで懲りない質であるので、それ以後何度も海外に出かけた。三つの経験(ポーランドの犬:2013-12-07、湖南の家:2014-02-07、空席:2013-11-24)はすでに紹介したが、今後もいくつかの私に印象の深い話を紹介しようと思う。
なお、写真は同じトロントであるが2011年の秋である。

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