敬宮様が着袴の儀の後、両陛下と共に、お出ましになられた御写真です。
着袴の儀とは違う装束でしたので、皇室について書かれている、ブログで、当時いろいろと書かれたようです。
しかし何故、この装束だったのでしょうか?まずこの装束は、袿袴といいまして、明治になり、考案された近代的な装束です。
袿袴を御召しの昭憲皇太后と女官達、明治6年撮影。(明治初期には早々と考案されたようです)
袿袴は、道中着といわれますが、この衣装が考案されたのは、恐らく馬車に、乗られる為のものだったと思います。色々と御出ましの機会も増えましたし。
それ以前は皇后様や、上級女官が袿、または小袿を、御召しのさいは基本、長袴を御着用されるのが、普通でしたしのでそのままの装いでは、馬車に乗られるのは、不自由です。
その為、乗られる時に楽な様に、恐らく昭憲皇大后や女官達が考案されたのではないかと思います。そして明治初期には、袿袴の御姿で各所にお出ましに成られました。
敬宮様も、着袴のさいは濃長袴を、御着用になられています。
このままでは、御年4歳の宮様は、御車に乗られるのは、御無理でしょうし、大変な思いをされます。それで、楽に自動車に乗られる様に儀式の後に、袿袴に御召変えになられたとシロガネは、考えます。
又、袿袴を御召しになる際は、ヒール状の靴を履かれるのですが、敬宮様も同じく、履かれています。袿袴と同じく明治より履かれているのですが、ずいぶんと斬新な発想をされたものです。
その後、賢所に御参拝されましたがその時には、細長、長袴に御召変
えなされたはずです。
宮様が御召しになられている、袿の配色も当時、ずいぶん話題になったようですが、この重ね色目は、櫨紅葉(はじもみじ)襲というので、「表は淡紅▪裏は黄」です。秋の重ね色目です。
平安時代から伝わるもので、けして朝鮮風などではありません。(笑い)
どこかの皇室ブログで、そんな事を書かれているのを見ましたので、念のために。
敬宮様が着袴の儀で、御召しに物は、よく袿だと言われますが、正確には、細長というので、オクミがなく、又身頃が、細いのが特徴です
細長を御召しの敬宮様
細長を、御召しになられた敬宮様は濃振袖、濃長袴を、お召しですが
この、細長の重ね色目をシロガネは、調べましたが、ちょっと分からなかったです。
敬宮様が御召しの細長は、「表紅、中陪淡紅、裏萌黄」それに比較的近く該当するのは▪▪▪▪
▪紅葉襲(表紅、中倍淡紅、裏朽葉)
▪紅菊襲(表紅、中倍淡青、裏萌黄)です。
▪紅菊襲(表紅、中倍淡青、裏萌黄)です。
いずれも表は紅で、秋の配色なのですがどれも、一色ずつ違いまして、重ね色目は、たくさんありますが、表、裏の場合は結構簡単に見つけられますが、中倍があるのは、なかなか探すのは、大変です。
敬宮様が御着用の櫨紅葉襲(表淡紅▪裏黄)の袿の、地文は唐草模様です。この模様は平安時代よりある美しい模様で、源氏物語でも出てくる由緒あるものです。
花の形が、少し違いますが唐草の部分は同じです。別冊太陽「源氏物語の色」より。
両陛下にご挨拶の後、ちょっと気取られた様な、照れられた感じでな動作をされた敬宮様が、とても御可愛らしかったです。(BSで、当時録画していたのですが、画像が劣化してしまい申し訳ありません)
この時は御習礼のさいの映像との事ですが、多分両陛下も、その場におられたと思います。
敬宮様が御持ちになられておられる檜扇、どんな絵が描かれているのか分かりませんが、多分こういう絵が描かれていると思います。