ababa ...ひびのおたけび

CRPS・脊髄損傷…
病は体の自由を奪い痛みで蝕む
それでも私の心は自由で在り続ける
大空を羽撃く鳥の様に...

薬・・・・・・骨

2004-11-03 20:00:00 | 日記

日曜の深夜だったかなぁ、某国営放送局の番組を見ていました。
その番組は、今も定時制高校の教師をしながら
夜の町にたむろする少年・少女に声をかけたり、個人的に更生に手を貸して
自分と共同生活をしたり、薬物・シンナー等の中毒から立ち直させたりという
活動をされている先生の、講演や夜回り風景・江川紹子さんとの
インタビューで構成されていました。
ある高校に講演活動に行かれた時の様子が放送されていました。
その中で、薬物中毒を繰り返す男子生徒との関わりを話されていました。
その男子生徒の最期はシンナーを吸った後、ラリっている状態で
大型トラックの光に誘われトラックの前に走り出て、亡くなったそうです。
先生はその生徒の死の前に、嘘をついて生徒を退けてしまった事で
生徒の死に責任を感じ、自分が殺したと後悔しているそうです。
そして、男子生徒を生徒の母親と二人荼毘に付した後、
お骨を拾う事になったのですが、薬の中毒の為に骨はボロボロと崩れ
箸で拾う事など出来なかったそうです。

話しは変わるのですが、私は二十歳の時にバイク事故で
中学からの友人を亡くしました。
その時は、焼場まで着いて行き、お骨を拾わせて頂きました。
その時、親戚の伯母さんと思われる方二人が、
やっぱり若くて薬なんか飲んだことないから、お骨も綺麗ねと話されていました。
確かにお骨を拾わせて頂く時、あまりのお骨の美しさが
何倍にも、悲しみを募らせました。

本題なのですが、私は4年前の24歳から
病気の為、麻薬である塩酸モルヒネを服用し始めました。
耐性があるので年々、服用量が増えています。
最初は塩酸モルヒネ錠10㎎・2錠、20㎎から服用し始めました。
服用開始から4年以上経った今の服用量は、1日200㎎を超えています。
疼痛の治療として、医師の指導の下服用していますので、
服用量が増えても精神まで侵されてしまう、薬物中毒にはなりません。
しかし、先生の講演されているテレビを見て、
「あぁ~、私が死んで荼毘に付した時も、骨はボロボロで
形なんか残らないんだ。」としんみりと思ってしまいました。
どうせ死ぬんだから、骨がボロボロで形が崩れてしまおうと
何か違いが在るのか?・・・・
死んでしまった自分には何の感情も湧く事はないでしょう。
しかし、生きている私が、その事を考えてしまうと
辛いし、哀しく、憤りを感じてしまいます。
それに、もし母より私が先に死んだとしたら・・・・・
ボロボロで箸でも掴めない骨を骨壷に入れる・・・
その時の母の悲しみを思うと...子供としてなんて親不幸で
残酷な事をさせてしまうのだろうか。
母より後に死んだとしても、その時居るかもしれない、私にとって、
お互いにとって大事な人にどれ程辛い事をさせてしまうのだろう・・・・・
今、それを考えても私には如何する事も出来ません。
今の私の生活には塩酸モルヒネが必要不可欠です。
塩酸モルヒネがなかったら今出来ている事の半分
否1/5の行動すら出来ないと思います。
それでは、活きていることにはならないと私は思っています。
正直なところ、これだけの薬物を身体に入れているのです、
人より長く生きる事は出来ないだろうと、自分でも冷静に感じています。
しかし、私は痛みを我慢し自分の好きな事も出来ず長く生きる事よりも、
身体に悪いと解っている薬でも効果が確実に得られている実感があるのならば、
その薬を内服し、痛みの中でも出来る事を続けて短くても良いから、
ただ生きるのではなく活き続けていたいのです。
その結果、母若しくはこれから出会うかもしれない大事な人を
悲しませる事になろうとも、今の活き方を変えたくありません。
このまま活きていこうと思っています。その思いは変わらないでしょう・・・