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「大志の森」

大志の森プロジェクトを中心とした森のくまさんの奮闘記です。

無事帰国

2009-08-17 23:55:37 | その他
13日からの 中国黒龍江省方正地区慰霊訪中団
26人全員無事帰国しました。



銅版プレートの字 見覚えありませんか?
そう今年最初のブログの写真にあった世界平和の文字です。

今回の慰霊訪問地 方正にある日中友好・世界平和の塔に
刻印されてます。 不思議な縁を感じました。



2002年8月に立正佼成会により建立された「日中友好・世界平和の塔」

神戸教会の皆様 お預かりしていました折鶴は無事献鶴させて頂きました。

 訪問中のご報告はまた





折鶴

2009-07-16 22:16:23 | その他
方正慰霊の献鶴の千羽鶴のため、折鶴を作成してます。
1人40羽なのですが、何十年ぶりの折り紙に悪戦苦闘です。

今年4月 インフルエンザの影響にて神戸教会の訪中方正が
中止になったそうですので、その時の千羽鶴を私たちが
献鶴させて頂く予定です。



下刈り

2009-07-12 17:33:20 | その他

昨日から心配していました雨もふらず
今日 もりメイト 第2回目 下刈りに参加しました。

この下刈りが1番の重量労働 杉の育成を助ける為、杉のまわり
の下草を大釜にて刈りました。

指導員さんより、ト石にて釜磨きの手ほどき、よく切れるようにしておかないと
後で苦労することに、身を持って体験しました。 
道具を大切に手入れをする意味がよく解りました。



もりメイトヘルメット・大釜です。 一回で切れるのと2回3回で切れるのでは
大違い、重労働もやはり回数に比例します。 体で実感



作業後です杉がニョキリ、わかりますか? 
下草のこれ以上大きくならないので、この杉たちの下刈りは今回で終わりだそうです。 
おおきくなれよ。

それといい事聞きました。 同じ時期に植えた杉、山の上の方が育ちがよくないんです?

日光が上の方がよく当りそうなもんですが、目でみてもあきらかに杉の大きさが
違ってました。てっきり上の杉を遅く植えたとばかり思ってました。

答えはどこの山でもそうですが、栄養素が雨で上から下へ落ちますので
山の下の方が土の栄養分が多いそうです。 ですので山の下の方が
よく育つ。 土の栄養の方が重要なのですね。





中国方正地区慰霊訪中事前教育

2009-07-06 14:29:07 | その他

昨日広島教会にて8月13日~17日まで行われる 「第1回中国黒龍江省方正地区慰霊訪中団」の事前教育がありました。くまさんも縁あり参加させて頂ける事になりました。

方正地区慰霊とは?NHKの番組「大地の子」にもありました残留孤児・婦人の
お話をしなけばいけません。

方正は朝鮮半島の北に位置します。戦前日本国が満州国を建国し国策として多くの人を入植させます。(主に寒い地方長野・東北・北陸の人びと)

しかし、20年8月ソ連が満州中央部目指し侵攻、開拓民は避難を開始しなければならなくなり殺戮略奪、集団自決などで多くの子ども・女性が亡くなられました。

終戦を迎え、悲惨な状況の中で、生きていく為に中国人に預けられた子どもたち、現地の中国人の妻になった女性たちが中国残留孤児・婦人です。

かなり簡略な説明になっていますが。

方正は受入所があった為、多くの人が亡くなっています。
そして中国で唯一の日本人公墓が有りその慰霊が大きな目的です。
















そろそろ寒修行

2009-01-17 21:39:13 | その他
 来週から寒修行ですが。
広島教会では22日朝6時からはじまります。

 大志の森会議では旧中国ブロックの教会を使わさせて
頂いておりますが、各教会にて寒修行もさまざま

始まる時間(朝5時)が違ったり
やり方(3番を2人で交代であげたり)が違ったりお題目修行が
あったりと

 これも各教会ご当地にあわせたやり方なのでしょうね。



 昨年12月15日に聖堂に行かせていただきました。
その時の写真です。なんと道場当番長は東教会長さんでした。
びっくり



思いはもっと広く高く美しく 

2008-04-12 00:58:25 | その他
久々の投稿です。私事ですいません。

4月10日に、青年部の時に、いっしょに活動していました
元支部女子部長さんが、永久の旅におたちになりました。
ついこの間38歳になられたばかりでしたが。

 手取り・法座・青年部行事など平坦な道ではありませんでしたが、彼女との青年部活動は楽しい思い出がいっぱいでした。 今思えば拙い私は随分と背伸びをさせてもらっていたのかもしれません。

病魔と戦い死と向き合い さぞ辛かったのだろうと思いますが 
お見舞いにもいけず なにも力になれなかった自分自身 

元気な時に街であっても、軽く挨拶する程度
もっと話かけてればと悔いばかりが頭をよぎる。

奇しくも、教務員だった馬籠青年本部次長さんが、大志の森担当
として広島にこれらた時に、

今 この瞬間思う事は 命はいつ終わるか誰にも解らない
だからこそ一瞬 一日を悔いのないようにしなけらば
 女子部長さんがさあ頑張りましょうとまた背中をおしてもらって
いるよな気がしてなりません。

 支離滅裂な文章になり、すいません。

彼女のご冥福を心よりお祈りしたします。 

天国で見ててくださいね。