年が明けました、いかがお過ごしですか?
私も家族とゆっくり暮らしつつお正月を味わっていますよ。
年末に私たち夫婦、そして妻の姉、それら姉妹の老いた母とで、
都合この4人連れになって、近所のレストランで会食しました。
最近これは私たちが毎月の恒例にしている昼食の集まりですが。
この食事会、年寄りから振舞ってもらう名目で開いておりますが、
定期的に、こういう形で催して、お互いに声を掛け合えばこそで、
この面子が顔を揃え会うという機会にもなったりしています。
別に近所に住んではいます。でも、特に何か用でもないと、
一緒の場所に集まるというのは、設定なしに起こりませんし。
ましてや、今どきの住宅事情。自分で住むには足りていても、
何人も集まれる部屋の用意だなんて、貧乏所帯には望み難く。
身内で集まり外食は、一見贅沢な人聞きに取られそうでも、
そこはむしろ現実というのは、真逆な話がありまして。
だから、これは貧困社会にこそ、社会資源が充実していないと、
そこの厳しさについて、なおさらに救われないことです。
それは表面的に物質的な恵みに満ち溢れているようでも、
それを作ったり、運んだり、提供するための人々が、
それなしで生活は立ち行かない背景がある意味だし。
消費することが成立するというのは、そこでは、
使う側と、それを使ってもらう側で、一セットになり、
買いに行けば、売っていますというのも、同様で、
入り口と、その出口が、循環するように出来てます。
ここには選びようもなく、そこへ参加しないと、
誰しも、自分自身、生きること自体が行き詰まる。
仮に、私みたいに、ほとんど外出すらも少ない人間でも、
この社会のおかげで生活をしつつ、生活するから社会は、
こういう為し方で、自ずと為されいくという話です。
家にいる時間ばかりで、特段そこで社会との繋がりは、
薄いんじゃないかと考えちゃうけど、そうでもなくて、
街の中で生きてる以上、毎月まいつき私一人だけで、
直接間接に、金銭にして数十万の経済が生じてくる。
確かに、自分の手元で動いたお金は、10何万でしょ。
でも、医療にかかっても、自己負担こそ低額でも、
健康保険にしても、自立支援にしても、私一人は、
たかが知れてますが、こういう人間が一定割合で、
こうして居ること自体で、他の人たちの生活に繋がる。
その繋がった流れというので、世の中の動きを形作ってる。
正月早々、大風呂敷ではありませんが。
誰もが、そこに、そのようにして、ある。
そこに生きる。生活するということ、そのものが、
取りも直さず、この社会の成り立ちと、分け隔てようなく、
それ含んで、全てみんなみんな含み込んだ上で、
この地上の生活の一助を為して世界がある。
というお話でした。
だから、そのひと個人が何をするか、しないかと。
それは別の意味で、あなたも、そうやって、
生きていてください。あなたが生きていることが、
別の誰かを養う足しにもなるし、その人がいることで、
ほかの人も、今こうして、共に地上に、
こうしてあることが、できている。
そういう壮大で遠大なお話でした。
またね。今年もどうぞ宜しく。
旧年中は、ありがとさんでしたん~んんん!!!
蛇足として、でも、とやかく言って、
何があっても、文句や小言で、注文や要求が、
好きで好きで、大好きで止まない連中も、
そういう事で、そういう役割を務める立場を、
そのようにして帯びていることで、自己実現しとるんちゃう?
まあ、ええよ。正月だし。好きにさせたるっちゃ。
まあ、ええよ。正月だし。好きにさせたるっちゃ。