2008年1月10日(木)晴
午後6時30分から、「柏健康センターみのりの湯」で大衆演劇観劇。劇団は「新演美 座」(座長・旗丈司)。劇団紹介のパンフには「プロフィル・東京大衆演劇協会所属。前身である「演美座」は東京を中心に絶大なる人気を誇った劇団。平成15年1月に劇団名を「新演美座」と改め、座長・旗丈司と二代目座長・小林志津華を中心に活動。その斬新かつ派手な舞台は大衆演劇界に新たな波を巻き起こしている」「二代目座長 小林志津華・昭和58年5月2日生まれ。大阪府出身。血液型O型。14歳で初舞台を踏み、その後「樋口劇団」より「新演美座」に移籍。二代目小林志津華として芝居・舞踊の演出を手掛ける。斬新かつ衝撃的なその舞台は「大衆演劇の革命児」とも呼ばれ、今や関東の大衆演劇には欠かせない役者である」とある。また「老舗の伝統を重んじながら、常に新たな実験・挑戦を試み続ける劇団。涼やかな面差しに、野心あふれるエネルギーを秘めた二代目小林志津華と、それを大いなる懐で受けとめる座長・旗丈司。先代の名優・深水志津夫(故人)の愛娘、深水つかさらの活躍も見逃せない」という説明もあった。
私が大衆演劇を初めて観たのは、昭和47年8月、東京・千住壽劇場、出演は「若葉しげる劇団」であったが、その次に観たのが「東京を中心に絶大なる人気を誇った」「演美座(座長・深水志津夫)」だった。大宮敏光(デンスケ)「もどき」の喜劇が得意で、明るく楽しい舞台が印象に残っている。当時、旗丈司は「花形」として若い客層の人気を独り占めしていたかも知れない。東京では「演美座」の他に「長谷川正次郎劇団」「金井保劇団」「五月直次郎劇団」「辻野光男劇団」「桂木日出夫劇団」「若葉しげる劇団」「梅澤武生劇団」などが活躍していた。実力においては「梅澤武生劇団」が突出していたが、その後を「演美座」「長谷川正次郎劇団」が追いかけていたように思う。
現在、東京の大衆演劇界をリードしているのは「劇団虎」の林友廣だろうか。彼は、長谷川正次郎・若水照代(長谷川の死後、劇団「ママ」の座長として活躍)夫妻の実子である。壽劇場の木戸口あたりに腰掛けてアイスキャンディーをかじっていた小学生時代の林友廣を、私は憶えている。以後30余年、各劇団はどのような経過(離合集散)を辿って現在に至ったか、詳細は知らないが、かつてのスター、旗丈司、松川友司郎、金井保、金井保夫、若水照代、若葉しげる、藤川智昭、三門扇太郎などは、今も「健在」であり、「草の根」として「雑草」のように生き続ける大衆演劇のエネルギーに脱帽する。
さて、「新演美座」の舞台。芝居の外題は「ちゃんばら流し」。一家の代貸し(旗丈司)が親分(金井保夫)の姐さんと「間男」して、親分を追い出す。その時、一太刀浴びせたが、とどめを刺さずに逃げられた。親分は必ず復讐に来るだろう。代貸しは、そのことを思うと夜もおちおち眠れない。子分に親分の居所を探らせると、戻り橋の下に林立する小屋に潜んでいることが分かった。子分に「殺(や)ってこい」と命令するが、尻込みする。これまでの親分に手向かうことは良心がとがめるのだ。代貸しは「それもそうだな、じゃあ、おれが行こう」と出かけようとしたとき、一家にわらじを脱いでいる旅鴉(小林志津華)登場。「一宿一飯の恩義、あっしに任せてください」と言って、小屋に向かう。旅鴉は、手負いの親分を見つけ出し、一太刀浴びせた。とどめを刺そうとしたとき、どこからともなく聞こえる法華太鼓、良心がとがめて首を落とせない。そこへ親分腹心の子分(女優・深水つかさ)がやってきた。あわてて隠れる旅鴉。子分は動転する。「親分!どうしなすった!?」「代貸しが雇った旅鴉にやられた」、「チクショー」、子分があたりを見回すと、あっさり見つかる旅鴉、「おまえか、親分を切ったのは!?」、「そうだ。渡世の義理だ。文句があるか!」「ゆるせねえ!叩っ切ってやる」たちまち始まる立ち回り。しかし、意外にも旅鴉は弱い、すぐに刀を墜としてしまった。(戦意喪失、初めから負ける気で立ち合ったのだろう)子分があっけにとられていると、「あの代貸しは悪党だ、あっしに助っ人させてください」と言う。かくて、めでたく「敵討ち」となる筋書きだが、この芝居に、なんと2時間あまり延々と「付き合わされた」観客の反応が面白かった。いつも来ている常連の客は、顔をしかめて「もう8時すぎてるよ、やんなっちゃう。いつまでやる気かしら」と怒り出す。もう一人が「惹きつけるものがまるでない」と吐き捨てる。芝居の中に「楽屋話」(役者の私情)「世情のニュース」をアドリブで取り入れることは、大衆演劇の常道である。いわゆる「型やぶり」の演出だが、その効果があるのは「型」八分、「やぶり」二分くらいの割合を守る時だろう。今日の舞台は、その反対で「型」二分、「やぶり」八分という状態であった。つまり、通常は1時間で終わる内容の芝居を、「型破り」の演出で、倍以上に「水増し」したことになる。常連客の反感を買うという、気の毒な結果になってしまった。「常に新たな実験・挑戦を試み続ける劇団。野心あふれるエネルギーを秘めた二代目小林志津華と、それを大いなる懐で受け止める座長・旗丈司」という説明は、まさにその通りだが、「実験」「挑戦」「野心」が「型やぶり」に集中しすぎると、舞台の景色は混乱してしまう。この芝居の眼目(主題)は、登場人物が「良心の呵責」を感じることであり、その心情表現が「惹きつけるもの」になるのだが、演出者は「型やぶり」イコール「惹きつけるもの」だと誤解してしまったのではないだろうか。
「新演美座」には、旗丈司、金井保夫という「実力者」が揃っている。かつての「新国劇」、辰巳柳太郎、島田正吾のような「二枚看板」をめざし、小林志津華を緒方拳のように育てられれば、大衆演劇界の「革命」も夢ではない。
舞踊ショーのラストで演じた「役者音頭」は、「梅澤武生劇団」の十八番であり、懐かしかった。「踊り手」を「上手」に選抜した演出は見事であった。
)
。
にほんブログ村
午後6時30分から、「柏健康センターみのりの湯」で大衆演劇観劇。劇団は「新演美 座」(座長・旗丈司)。劇団紹介のパンフには「プロフィル・東京大衆演劇協会所属。前身である「演美座」は東京を中心に絶大なる人気を誇った劇団。平成15年1月に劇団名を「新演美座」と改め、座長・旗丈司と二代目座長・小林志津華を中心に活動。その斬新かつ派手な舞台は大衆演劇界に新たな波を巻き起こしている」「二代目座長 小林志津華・昭和58年5月2日生まれ。大阪府出身。血液型O型。14歳で初舞台を踏み、その後「樋口劇団」より「新演美座」に移籍。二代目小林志津華として芝居・舞踊の演出を手掛ける。斬新かつ衝撃的なその舞台は「大衆演劇の革命児」とも呼ばれ、今や関東の大衆演劇には欠かせない役者である」とある。また「老舗の伝統を重んじながら、常に新たな実験・挑戦を試み続ける劇団。涼やかな面差しに、野心あふれるエネルギーを秘めた二代目小林志津華と、それを大いなる懐で受けとめる座長・旗丈司。先代の名優・深水志津夫(故人)の愛娘、深水つかさらの活躍も見逃せない」という説明もあった。
私が大衆演劇を初めて観たのは、昭和47年8月、東京・千住壽劇場、出演は「若葉しげる劇団」であったが、その次に観たのが「東京を中心に絶大なる人気を誇った」「演美座(座長・深水志津夫)」だった。大宮敏光(デンスケ)「もどき」の喜劇が得意で、明るく楽しい舞台が印象に残っている。当時、旗丈司は「花形」として若い客層の人気を独り占めしていたかも知れない。東京では「演美座」の他に「長谷川正次郎劇団」「金井保劇団」「五月直次郎劇団」「辻野光男劇団」「桂木日出夫劇団」「若葉しげる劇団」「梅澤武生劇団」などが活躍していた。実力においては「梅澤武生劇団」が突出していたが、その後を「演美座」「長谷川正次郎劇団」が追いかけていたように思う。
現在、東京の大衆演劇界をリードしているのは「劇団虎」の林友廣だろうか。彼は、長谷川正次郎・若水照代(長谷川の死後、劇団「ママ」の座長として活躍)夫妻の実子である。壽劇場の木戸口あたりに腰掛けてアイスキャンディーをかじっていた小学生時代の林友廣を、私は憶えている。以後30余年、各劇団はどのような経過(離合集散)を辿って現在に至ったか、詳細は知らないが、かつてのスター、旗丈司、松川友司郎、金井保、金井保夫、若水照代、若葉しげる、藤川智昭、三門扇太郎などは、今も「健在」であり、「草の根」として「雑草」のように生き続ける大衆演劇のエネルギーに脱帽する。
さて、「新演美座」の舞台。芝居の外題は「ちゃんばら流し」。一家の代貸し(旗丈司)が親分(金井保夫)の姐さんと「間男」して、親分を追い出す。その時、一太刀浴びせたが、とどめを刺さずに逃げられた。親分は必ず復讐に来るだろう。代貸しは、そのことを思うと夜もおちおち眠れない。子分に親分の居所を探らせると、戻り橋の下に林立する小屋に潜んでいることが分かった。子分に「殺(や)ってこい」と命令するが、尻込みする。これまでの親分に手向かうことは良心がとがめるのだ。代貸しは「それもそうだな、じゃあ、おれが行こう」と出かけようとしたとき、一家にわらじを脱いでいる旅鴉(小林志津華)登場。「一宿一飯の恩義、あっしに任せてください」と言って、小屋に向かう。旅鴉は、手負いの親分を見つけ出し、一太刀浴びせた。とどめを刺そうとしたとき、どこからともなく聞こえる法華太鼓、良心がとがめて首を落とせない。そこへ親分腹心の子分(女優・深水つかさ)がやってきた。あわてて隠れる旅鴉。子分は動転する。「親分!どうしなすった!?」「代貸しが雇った旅鴉にやられた」、「チクショー」、子分があたりを見回すと、あっさり見つかる旅鴉、「おまえか、親分を切ったのは!?」、「そうだ。渡世の義理だ。文句があるか!」「ゆるせねえ!叩っ切ってやる」たちまち始まる立ち回り。しかし、意外にも旅鴉は弱い、すぐに刀を墜としてしまった。(戦意喪失、初めから負ける気で立ち合ったのだろう)子分があっけにとられていると、「あの代貸しは悪党だ、あっしに助っ人させてください」と言う。かくて、めでたく「敵討ち」となる筋書きだが、この芝居に、なんと2時間あまり延々と「付き合わされた」観客の反応が面白かった。いつも来ている常連の客は、顔をしかめて「もう8時すぎてるよ、やんなっちゃう。いつまでやる気かしら」と怒り出す。もう一人が「惹きつけるものがまるでない」と吐き捨てる。芝居の中に「楽屋話」(役者の私情)「世情のニュース」をアドリブで取り入れることは、大衆演劇の常道である。いわゆる「型やぶり」の演出だが、その効果があるのは「型」八分、「やぶり」二分くらいの割合を守る時だろう。今日の舞台は、その反対で「型」二分、「やぶり」八分という状態であった。つまり、通常は1時間で終わる内容の芝居を、「型破り」の演出で、倍以上に「水増し」したことになる。常連客の反感を買うという、気の毒な結果になってしまった。「常に新たな実験・挑戦を試み続ける劇団。野心あふれるエネルギーを秘めた二代目小林志津華と、それを大いなる懐で受け止める座長・旗丈司」という説明は、まさにその通りだが、「実験」「挑戦」「野心」が「型やぶり」に集中しすぎると、舞台の景色は混乱してしまう。この芝居の眼目(主題)は、登場人物が「良心の呵責」を感じることであり、その心情表現が「惹きつけるもの」になるのだが、演出者は「型やぶり」イコール「惹きつけるもの」だと誤解してしまったのではないだろうか。
「新演美座」には、旗丈司、金井保夫という「実力者」が揃っている。かつての「新国劇」、辰巳柳太郎、島田正吾のような「二枚看板」をめざし、小林志津華を緒方拳のように育てられれば、大衆演劇界の「革命」も夢ではない。
舞踊ショーのラストで演じた「役者音頭」は、「梅澤武生劇団」の十八番であり、懐かしかった。「踊り手」を「上手」に選抜した演出は見事であった。
)
。
にほんブログ村
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます