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聖書と共に

御子の降誕

今日は、「岩から出る蜜」(蔦田二雄著)より
ご紹介します。

イエス・キリストの誕生について、問題になる
論点は、その歴史性よりも、はたして、その
お方が神の子であったか、そうでなかったのか
、すなわち受肉降誕についてである。

しかし、もしキリストが神でないとしたならば
、聖書の教えも、約束も、根拠のないものと
なってしまう。だから、このポイントを私達に
うなずかせ様として、聖書は至る所で、この
問題を取り上げている。

ピリピ2章5~11節は、御子の降誕の代表的な
みことばである。
「あなた方は、キリスト・イエスの心を心と
しなさい。即ち、彼は神の貌(かたち)であられ
ましたが、神と等しくある事を固保しようとは
思わないで、かえって、自分を空しくされ、
僕(しもべ)の貌をとって、人と同じになられま
した。

既に、人の姿で現れて、自分を低くして死に至
るまで実に、十字架の死に至るまで従われま
た。この故に、神は彼を高く上げて、これに
全ての名に優る名を授けられました。

これは、天にあるもの、地にあるもの、地の下
にあるもの、皆、イエスの名によって、膝を屈め、かつ全ての人の『イエス・キリストは主なり』と言い表して、栄光を神に捧げるためです。」

1、神の貌(実質)を、栄光のうちにもっておら
  れた方(キリストの神性)
2、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、
  人間と同じ様になられた方(キリストの人性)
3、受難から十字架の道を、真っ直ぐに、
  たどられた、お方
4、贖罪を全うされ栄光の座に高揚されたお方
5、万有を支配、統治されるお方

「膝を屈め」とは隷属を意味し、奴隷のとる
態度。私たちの一致、謙遜の動力が、これであ
る。
 神が、その昔、預言者たちにより、多くに分
かち多くの方法をもって語られた事(ヘブル1-1)
が、御子によって成就したのである。

何千年にもわたる偉大な計画を持たれた神は、
又、弱者を顧みられる、お方である。この二つ
の調和が新約の宗教、新約の恵みである。

高く上げられ、統べ治められるイエスは、人間
的な、色々な問題に干渉しておられ、私たちの
生活と無関係ではあられない。

驚くべき降誕の事実に、歓喜と悲哀の両面を
とらえる者である様に。
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