なんでも評論家

フラクタル

 ここでは、数学関連で最も印象深かった、フラクタルについて書いていきます。「よくこんなことを考えたものだ」と、驚嘆しました。本格的な定義について論ずるには私の数理力は程度が低過ぎて手が届きません。が、直感的に感じた感想くらいは書いてもいいでしょう。





 上の図はカントール集合の変形版である。カントール集合とは、線分を3等分して真中を消去し、残った両端の線分を再度3等分してという操作を繰り返すものだが、これだと次元数が無理数になってしまうので、線分を4等分し、真中の2つを消去し、残った両端の線分を再度4等分し、後は同じ操作を無限回繰り返した末に出来上がる図形を第二カントール集合とする。この場合、次元数はlog4-2=0.5次元となる。なんと! 0次元と1次元のちょうど中間の次元数なのだ。
 フラクタルの発想の素晴らしさ。卓越ぶりには本当に感銘を受けたが、素人ながらいくつか気になることがあるので列挙してみる。数学の専門家からは、「なんといういい加減なことを書いているのか」とお叱りをうけるかもしれないが、指摘したい人は遠慮なく書き込んでください。
 フラクタルをご存知の人にはあらためて説明するまでもないが、特定の図形を形成したあと、同じ操作を無限回繰り返してできるということになっているが、無限回繰り返すには無限大の時間が必要になり、ということは、永久に到達しないのではないのか? 
 上の図の第二カントール集合だと、線分を4等分して真中の2つを消去するという操作を、かりに毎秒毎秒10000$(超階乗)の10000$乗回連続して行い続けるとする。この操作を10000$の10000$乗年間も連続して行い続けたとする。それでも、無限大までは遠く及ばない(すなわち、真のフラクタルには到達しない)。
 
 無限大という言葉は安易に使ってはいけない!

 話がそれてしまうが、ここで無限大という概念がいかにとてつもなく、軽々しく使ってはならないということの説明をしてみたい。今述べたことの強調になってしまってうんざりされるかもしれない。
 グラハム数なる表記法の(N↑↑↑↑N)について、Nに10000$↑↑↑↑10000$を代入してできた数をAとし、(A↑↑↑↑A)にAを代入して計算された数をBとし、(B↑↑↑↑B)にBを代入というふうにして、Zまでこの操作を行ったとする。ここで行われた、A→B→Cという操作について、Zで到達した数値の回数だけ、再度Zから→を行うとする。さて、最終的にどんな数値に到達するのか? おそらく、世界最高速のスーパーコンピューターですら桁数を計算することは不可能だろう。
 では、、いくらかは無限大に近づいたのかというと、とんでもない! こんな途方もない数値でも、無限大には足元にも及ばない微々たるものに過ぎない。というよりも、どんなにとてつもない数値でも、無限大の前にはすべて無限小にまで圧縮されてしまうのだ。

 フラクタル次元の厳密な数学上の定義については言及したり論ずるだけの知識と能力がないので自信はないが、次のことは指摘できそうな気がした。

・非整数次元が定義できるとしても、それはあくまで1次元空間内か2次元空間内に存在する、図形の一種としての非整数次元であり、非整数次元空間は存在しない、というか意味がない。

・次元の概念を拡張し、非整数次元が定義できるようになったが、これはあくまで、たとえば上図の第二カントール集合の場合だと、線分を「4等分」するという、特定の操作を行った場合にだけ定義できるのであり、かりに、線分を2倍にしても、0.5次元なのだから、2を0.5乗した√2の長さになるのかというと、そうはならない。元の相似形が左半分にだけにあり、右半分は何もないのである。そもそもこれは元の図形の相似形ではない。正確には、(対数の「底」^N)で、Nが整数(負数でもよい)の場合のみ、分割された、あるいは増幅された図形が相似形になり、次元数乗だけ増える(減る)。

 上記の事情について
 ハウスドルフがどうの、という難解な話には手が届かないが、たとえ虚構上とはいえ、1次元空間はそれだけで自律的に存在し得るし、その内部の幾何学的構造についても分析できる。ところが、第二カントール集合だと、存在自体が完全に直線の1次元空間に依存しており、第二カントール集合空間とか第二カントール集合の世界とかは自律的に存在し得ない。というか、定義できない。1次元空間とか1次元の世界というものは、それだけが存在して、それ以外は何も存在しないのである。これらは観念上は思考可能だが、非整数次元には不可能というか定義不能だ。第二カントール集合が0.5次元だとか、線分を4等分すると、元の相似形が2個できるとかいうことがわかるのも、1次元空間内に存在する特殊な図形だからであり、たとえその数が無限大だとしても、散らばった無数の点だけが存在し、それ以外は何も存在しない空間(?)など、観念の世界ですら存在しない。もしそんな世界が想像できる人がいるのなら、報告してほしい。というよりも、第二カントール集合の定義自体が無意味になってしまうだろう。

 ペアノ曲線のパラドックスについて

 この図を貼り付けようかとも考えたが、面倒なのでやめた。知っている人は知っていると思うが、ペアノ曲線という複雑に入り込んだ曲線をどんどん複雑にし、というか、一番上側に貼り付けたコッホ曲線のように、無限回折り曲げを繰り返した果てには、面を完全に埋め尽くすことが知られている。で、次元の本来の定義である「その空間に存在する点の位置を指定するのに必要な変数の数」に反する事態が出現してしまう。面は2次元であり、変数は2個必要である。それなのに、ペアノ曲線は1次元なので、1個の変数でも特定できる。2次元である面に存在する点の位置を特定するには最低2個の変数が必要な筈なのに、ペアノ曲線を使うと全面的に覆い尽くしてしまうので、どの位置に存在する点でも特定できてしまう。ペアノ曲線は1次元なので、1個の変数だけでよい。これが有名な「ペアノ曲線のパラドックス」だ。
 この問題についてはこう考える。

1そもそも、面を完全に埋め尽くすには、折り曲げの操作を無限回繰り返さなくてはならず、この状態には永久に到達しない。

2あえて到達したとする。それなら、到達した時点で、それはもはや「曲線」ではなく、平面になってしまう(ペアノ面化)。

3線の、すなわち1次元の状態のままで平面を埋め尽くすことは不可能である。長さが無限大になってしまうので。1次元とは、その空間上に存在する点の位置を1個の変数だけで特定できるものの筈である。ところが、平面をペアノ曲線が完全に埋め尽くしてしまうと、長さは無限大になってしまう。これは、ペアノ曲線の始点から終点までの長さだけが無限大になってしまうということではない。埋め尽くされた平面内の、原点を除くあらゆる位置(場所)に存在する点までの距離がすべて無限大になってしまうのである。これでは、点の位置が特定できない。このことは上述の2と一致する。

 フラクタルの解説書には、「ペアノ曲線をフラクタルの定義によって再定義すると、これは実は2次元だということになり、ペアノ曲線のパラドックスを解消した。」というようなことが書いてあるが、上述のように、もともとペアノ曲線のパラドックスは存在しなかったのである。





 これをお読みになっている賢明な読者にはお分かりのように、この上に表示してあるコッホ曲線についても同じことが当てはまる。コッホ曲線は線分を3等分し、真中の線分から正三角形状の突起を出し、これ以降それぞれの線分に同じ操作を繰り返してできる図形ということだが、もしこの操作を無限大回繰り返せば、その時点でこの図形は、線を超えた別の存在へと変質してしまう。それゆえ、コッホ「曲線」という命名は厳密には正しくない。ペアノ曲線の場合は2次元の面へと飛躍したが、コッホ曲線は線から「超線」とも形容されるべき概念へと飛躍する。これは、線<コッホ超線<面であり、線でも面でもないのである。コッホ曲線についての解説で、有限の空間内に無限大の線を閉じ込めるという不思議なことが実現している。というような記述を見かけるが、これも厳密には正しくない。このほか、コッホ曲線の長さを測定すると無限大になる。というのも誤りであり、線ではないのだから、その空間量は長さではない。しいて言うなら、「超長さ」(?)とでも呼ぶべき空間量の筈である。
 コッホ曲線の長さ(しつこいが、長さは誤りだ)を測定するということは、「1リットルは何平方メートルか?」という設問と同じで、本質的に異質な空間量を混同してるのだ。落ちこぼれの小学生が犯す、長さと面積を混同して計算しているのと同じ水準なのである。

 第二カントール集合について。

 ここで再度第二カントール集合について考えてみたい。
 まず、第二カントール集合の長さ(後述するが、長さは誤り)を測定してみる。線分を4等分し、真中の2個を消去し、残った両端の線分にも同じ操作を施し、これ以降も同様の操作を繰り返していく。一度の操作で線分の長さは半分になるので、lim n→∞ 0.5^nで0になる。次に、これらのそれぞれの切片の数は、1度の操作で2倍になるので、lim n→∞ 2^nですから、無限大になる(これもじつは誤り)。
 この説明は解説書によく載っており、理数に不向きな私でもすぐに理解できる簡潔かつ分かりやすいものだ。さてここで、第二カントール集合の世界についてもう少し詳しく考えてみる。





 上図の中央の間隙部よりやや左側に、「←A」という表示があるが、これは、最初に真中を消去した残りの左側の最右端部を示している。この場所をAとし、もしも第二カントール集合空間、あるいは第二カントール集合の世界というものが存在するなら、Aにとって具体的にどのような性質を持つのか考えてみた。
 当たり前のことだが、Aにとって右側は、何も存在しない「無」であり、空間自体存在しない。これは0次元の世界である。この特徴は、Aだけでなく、第二カントール集合上のどの点についても当てはまる事態である。
 では、Aの左方向はどうなっているのかというと、これが常識を超えているらしいのだ。もしも、Aから眺めて左側方向に、それがたとえどれほど微小な幅か空間領域といえども、連続した線分の拡がりを持つのなら、上記の内容と矛盾する。なにしろ、長さとしての空間量は0なのだから。
 では、それなら、第二カントール集合を構成する無限の各点(後述するが、これは誤り。「超点」)同士が、それぞれ互いに隔絶しているのか? というと、そうでもない。もしそうだとすると、その間隔が、たとえば0.000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000001mm
か、あるいは10^-グラハム数といった、途方もなく短いものだとしても、点の数は有限になってしまう。これも上述と矛盾する。
 もうお分かりのように、ペアノ曲線は複雑化を無限回繰り返すと2次元へと変質し、コッホ曲線も無限回繰り返すと線から「超線」へと変質してしまうように、線分の真中を消去するという操作を無限回繰り返すと、単なる線分が無限大の数の点によって構成された図形ができるような印象がするがそれは間違いであり、点<第二カントール集合<線、という、点の存在を超えた「超点」とも呼べるべき存在へと変質してしまうのではないかと考えられるのだ。この超点の性質は、点と線の中間に位置しており、Aの左側は、何も存在しないのではなく、かといって線分のように連続しているわけでもない。このどちらでもない中間の状態にあるのではないか??? だから、Aの左側は、隣の空間(?)と隔絶孤立しているのではないし、連続しているのでもない。この中間の謎の状態にあるらしいのだ。ただ、それを正確に図示することは不可能であり、この未知の概念を表す単語も存在しない。常識を超えた何からしいのだ!

 非整数次元の空間量を測定する!

 前述の、「非整数次元空間は意味がない」ということといくらか矛盾するかもしれないが、非整数次元空間内の空間量の測定法について考えてみる。
 とりあえず、最も簡単そうな第二カントール集合を取り上げる。上図の第二カントール集合の下側に、左側から「0、1、2、3、4」という目盛りを記入した。単位はmでもkmでも尺でもかまわない。
 さきほど、第二カントール集合を2倍にしても計算が合わないと書いたが、じつは当然であり、元の図形と相似形になっていないからだ。2次元で説明すると、面積の基本単位は、一辺が1mの正方形の面積を1㎡と定義されている。ある正方形の一辺を測定したところ、5mあった。この場合は基本単位の図形と相似形なので、5を2乗すればよい。なお、個人的に、半径が1mの円の面積を1㎡と定義しても問題はない。ある円の半径を測定すると、3mあった。両者は相似形なので、3を2乗して9㎡になる。公的に通用しないだけである。
 では、相似形でない、長方形の面積を計算するときは、相似形の正方形に分解してからそれぞれの面積を計算し、あとで合計すればいい。そんな面倒なことなどしなくても、縦が2mで横が9mの長方形なら、2×9=18㎡でいいではないかと指摘されるかもしれないが、この計算法は上記の方法を簡略化したものである。
 さて、では第二カントール集合の「亜長さ」あるいは「準長さ」を測定してみる。上の図を見ながら一緒に考えてみていただきたい。
 ←A部の1の目盛りを基本単位とすると、原点0から右端の4までの図形は相似形なので、4の亜長さは、4^0.5=2となる。第二カントール集合を含む1次元空間の長さが4倍になると、第二カントール集合の亜長さは2倍になるのである。このことは、図を見てもすぐに納得できる。
 では次に、相似形ではない場合のを計算してみる。図の目盛りで、「3.25」までの亜長さである。まず、目盛りの1を0.5乗して1になる。つぎに、右端が3.25の相似形の部分の長さは0.25ですから、これを0.5乗して0.5。これが半端な部分の亜長さで、1+0.5=1.5となる。
 
 空間量の単位表記について。

 長さはm、面積はm^2、体積はm^3というように、指数の位置に次元数を記入してその空間量の基本単位としていることに倣い、第二カントール集合の亜長さの単位を、m^0.5、コッホ超線の超長さの単位をm^(log3-4)と表示することとする。どちらも長さとは異質のものであるということを意識させ、これらの単位に計算してから空間量を比較するようにする。1mを4等分して真中の2つを消去するという操作を無限回繰り返した末に残った空間成分で構成された単位を「1m^0.5」とし、面積を「平方」メートルと呼ぶように、「第二カントール」メートルと呼ぶこととする。同じく、1mを3等分し、真中から正三角形状の突起を生やす操作を無限回繰り返した図形の空間量を1m^(log3-4)と定義し、これを1コッホメートルと呼ぶ。これによって、非整数次元空間の空間量を測定し、大小関係が比較できる。

 非整数次元界の奇怪な性質を発見!!

 前から気にはなっていたが、それがどういうことなのか具体化した。
 まず、上に貼り付けた例の第二カントール集合の図を見て頂きたい。さっき説明した、第二カントール集合の亜長さの測定法に則って、B→(目盛りだと3)の亜長さを測定してみる。Bは、一番最初に行った、線分を4等分して真中を消去して残った右側の線分の最左端部である。まず、1^0.5=1。これに、B部の長さは0なので、0^0.5=0。1+0=1。で、なんと、目盛りの3の亜長さは1m^0.5で、目盛りの1(←A)と同じなのだ(!?)。

 都筑卓司氏流の解釈と見解

 ブルーバックスシリーズで有名だった物理学者の都筑卓司氏が指摘していた、「1次元の世界にはそもそも曲率という概念そのものが存在しない。われわれが曲がっているとか真っ直ぐだとかを説明できるのは、背後に2次元空間が存在しているからだ。」という記述のように、1次元の世界では、直線も放物線も双曲線も正弦波もみな同じである。これらの曲率という性質は、じつは2次元空間の性質に関してのものなのだ。
 この認識に基づいてさきほど説明した第二カントール集合空間の亜長さについての奇妙な性質を説明すれば、目盛りの1~3までは何もない空隙なのであり、この間隙は1次元空間のみ存在しているのであり、第二カントール集合空間は空間自体存在しないのである。それなら、1(←A)と3(B→)が同一だというのもなるほどと納得できそうだ。
 当然のことながら、1~3のみならず、第二カントール集合のあちこちに無数に存在するすべての間隙についても当てはまることであり、空隙を挟んで隣り合う両側の点は同一のものなのである(!) 奇妙な感じがするが、それはわれわれが1次元空間内に存在するものとして認識するからなのだろう。
 ささきほど点←A部について、「当然のことながら右側には何も存在せず、0次元状態だ。」というようなことを書いたが、訂正する。これは1次元空間に存在する第二カントール集合として考えているからそう思うのであり、これもじつは1次元空間について述べていたのだ。
 何も存在しないのに空隙になっているのは不自然だ。と感じて、では、1~3や、その他の間隙部も全部無くして左側に寄せてしまったらどうなるか? これでは単なる点になってしまう。当然といえば当然だ。長さの空間量は0なのだから。
 それなら、空隙部を0にしてしまうのではなく、すべてを同じ長さの極めて短い線分にしたらどうか? これだと、長さが無限大になってしまう。どちらも×なのである。
 
 非整数ではない、われわれが従来から知っていた通常の1次元、2次元、3次元空間は、一辺がどのような数値を採ろうとも、すべてについて基本の空間単位の相似形が存在する。ところがフラクタルの非整数次元では、「底」の整数乗の空間単位しか相似形にならない。相似形でない場合は、上述のような面倒な計算をしないといけなくなる。
 見た目からして、たとえば第二カントール集合だと、真中が歯が抜けたように抜け落ちており、場所によって密度が異なるような不自然さを感じる。ではそれなら、抜けた間隙の密度を平均化すればどうか? これはさっき説明したとおりで、長さが無限大になってしまうのだ。結局は、あのような形でしか表示できない。このことは、フラクタルの非整数次元空間は、やはり自律的に存在することは不可能であり、かりにそんなものが存在していたとしても、人間の認識外(ただし、高度な数学を駆使すれば図を使わなくても分析できるのかもしれないが、私の能力を超えているので言及できない)の事柄なので、学問の対象外だろう。

 本当のフラクタルの世界とは?

 いちばん上側に表示してあるコッホ曲線では、よく、正六角形の雪印風のが載っているが、これはあまり好ましくない。非整数次元空間というのが存在するなら、自己相似性の図形が、上下左右前後の方向に、宇宙の果てまで続いているというものでなくてはならない。

 非整数次元の空間量の測定法

 さきほど説明した方法で、実際にフラクタルの空間量を測定してみる。
 一番の問題は、測定する対象の空間量が「底」の整数乗でない場合は、計算がやたら面倒なことになることである。よほどの偶然でもないと、ぴったりと整数乗にはならない。そこで、「底」の整数乗の空間量を適当に設定し、それを基準の空間単位としてかってに設定すればよい。例えば、1kmを4等分してできる第二カントール集合の「準長さ」あるいは「亜距離」を測定するには、4を5乗すると1024になるので、1024^0.5=32なので、1024mを4等分してできる第二カントール集合の亜長さは、32m^0.5となり、1m^0.5の32倍になる。次に、1000÷1024=0.9765625(m)になるので、長さが1000mの第二カントール集合の亜長さは、全長約98cmの第二カントール集合の亜長さの32倍あるということになる。
 月までの平均距離を38万kmとする。38万kmを3等分してできる巨大なコッホ超線の超長さ(超距離)を測定する。3の18乗は387420489になるので、全長が387420489mのコッホ超線の超長さは、387420489^(log3-4)≒68720146497m^(log3-4)になる。38万kmは3億8千万mなので、380000000÷387420489≒0.98。ということで、全長38万kmを3等分してできる巨大なコッホ超線の超長さは、全長約98cmの線分を3等分してできるコッホ超線の超長さの68720146497倍、つまり687億2014万6497倍に達するということになる。(感覚的に分かりにくいので、月までの距離を3等分したコッホ超線の超距離は、月までの距離の約177倍に達するということだ。ただし、長さの177倍という意味ではなく、コッホ超線の増大の比率を線と比較しての数値だ)

 さらに簡単な計算法

 第二カントール集合の長さを倍にしても相似形にはならない。そこで、拡大鏡を使用したように、倍の長さの相似形の図形を作成、あるいは想定すれば相似形になる。





 1の長さが2になった。この場合、2を0.5乗して√2。図を見ただけでは、この亜長さが√2倍になったのかは判らない(常識を超えているので)。そこで、この長さを再度倍にしてみる。すると亜長さは再度√2倍になり、最初の操作で亜長さは√2になっているので、√2・√2=2になり(正確には、√2^0.5・√2^0.5=2^0.5と書くべきだろう)、第二カントール集合の長さを4倍にすると亜長さは4^0.5=2になるので一致した。これでいいのではないか。
 第二コッホ超線の長さを倍にした図で計算してみる。





 2^(log3-5)≒2.760584^m(log3-5)となった。第二コッホ超線の長さは倍になると、超長さは約2.76倍になるということらしい。
 ということで、従来からわれわれが馴染んでいた通常の次元空間のように、拡大した相似形を設定してやれば、すべての倍率について計算することが可能なようだ。これを使えば、非整数次元空間にまで幾何学を拡張できそうだ

フラクタル図形の長さや面積を測定するという行為は無意味である。例えば、「長さが無限大」というのも無意味である。「無限大」という数値は存在しないので。
 同一の非次元数同士で、相互に相似形である場合にのみ、両者の空間量の比率を比較することは可能だ

 追加すると、地球から太陽までの距離(天文単位)を4等分して完成する第二カントール集合の準長さ(準距離?)は、1億5千万を0.5乗して、約12247^(0.5)kmになり、3等分して完成するコッホ超線の超長さ(超距離?)は、1億5千万を(log3-4)乗して、約186055^(log3-4)km。つまり、約18億6千万コッホキロメートルになる。

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