偕楽園を訪れた沢山のお客様に、笑顔で応える美しい振袖姿の梅大使・・・。
今年梅まつりに行ってみると、なんだか去年自分が梅大使だったのは夢だったかのような錯覚をおぼえました。
タイトルは大袈裟(某書籍っぽくw)ですが、自分の梅大使としての梅まつりを思い出してみました。
そもそも私が梅大使に応募したきっかけは、実際に偕楽園での接遇を拝見し、ふれあうお客様の多さに驚き、まさに「観光最前線」で活躍できることに憧れたからです。
実際に偕楽園に立ってみると、主なお仕事である「お客様との記念撮影」に本当にたくさんの方が喜んでくださいました。
でも最初、私の心は複雑でした・・・。
来る日も来る日も写真撮影。容姿に自信があって梅大使になったわけではない私には荷が重く、だったらモデルを雇えばいいのにとすら思ってしまいました。
しかも もっと積極的にご案内をすべく動いたり、需要もあるので園内アナウンス等もやってみたかったのですが、それは梅大使に求められていることではありませんでした。残念ながら、チームワークやイメージの問題もあるので、おきまりの活動以外は難しいのです。
・・・それなら 求められていることをしっかりやっていこう。
私達の姿を目にしただけで顔をほころばせてくださる方、毎年「梅大使」を楽しみに来てくださるとお話ししてくださる方、そのなかにはリピーターの方も多く、梅大使の重要性、伝統、知名度などを身をもって再認識できました。
梅大使は写真撮影要員であっても、それはそれで「水戸の貴重な観光資源のひとつ」になっている稀有なことなのだと感じました。
また、本当に沢山のお客様とご挨拶をしたりお写真に入ったり、数日連続勤務の夕方などは疲れてしまうこともありましたが、私にとっては500人目のお客様も お客様にとってはただ1人の梅大使。一瞬で水戸の印象が決まるかもしれない。 写真もどなたかの大切なアルバムに一生残るかもしれない、そう思うと気が引き締まると同時に自然と笑顔も出てくるのです。
梅大使としてお客様と言葉を交わしたり、お写真に納まったり。
できることは限られていても、自分は本当に有り難い経験をさせていただいていること、立場であることにあらためて感銘を受けました。
私にとって2007年の早春は、梅まつりの40日間どころか 1月初旬の梅花祭から、ドピューンと一気に駆け抜けた感じです。
4月1日、世の中が桜の4月になっていることに妙な感じを受けたものでした。
それくらい必死だった梅大使の活動。単なる素敵な思い出で終わらすのではなく、この貴重な経験をこれから進んでいく上での指針のひとつとして 大切にしていきたいです。
そして、関わってくださった皆様に 心からありがとうございます。
今年梅まつりに行ってみると、なんだか去年自分が梅大使だったのは夢だったかのような錯覚をおぼえました。
タイトルは大袈裟(某書籍っぽくw)ですが、自分の梅大使としての梅まつりを思い出してみました。
そもそも私が梅大使に応募したきっかけは、実際に偕楽園での接遇を拝見し、ふれあうお客様の多さに驚き、まさに「観光最前線」で活躍できることに憧れたからです。
実際に偕楽園に立ってみると、主なお仕事である「お客様との記念撮影」に本当にたくさんの方が喜んでくださいました。
でも最初、私の心は複雑でした・・・。
来る日も来る日も写真撮影。容姿に自信があって梅大使になったわけではない私には荷が重く、だったらモデルを雇えばいいのにとすら思ってしまいました。
しかも もっと積極的にご案内をすべく動いたり、需要もあるので園内アナウンス等もやってみたかったのですが、それは梅大使に求められていることではありませんでした。残念ながら、チームワークやイメージの問題もあるので、おきまりの活動以外は難しいのです。
・・・それなら 求められていることをしっかりやっていこう。
私達の姿を目にしただけで顔をほころばせてくださる方、毎年「梅大使」を楽しみに来てくださるとお話ししてくださる方、そのなかにはリピーターの方も多く、梅大使の重要性、伝統、知名度などを身をもって再認識できました。
梅大使は写真撮影要員であっても、それはそれで「水戸の貴重な観光資源のひとつ」になっている稀有なことなのだと感じました。
また、本当に沢山のお客様とご挨拶をしたりお写真に入ったり、数日連続勤務の夕方などは疲れてしまうこともありましたが、私にとっては500人目のお客様も お客様にとってはただ1人の梅大使。一瞬で水戸の印象が決まるかもしれない。 写真もどなたかの大切なアルバムに一生残るかもしれない、そう思うと気が引き締まると同時に自然と笑顔も出てくるのです。
梅大使としてお客様と言葉を交わしたり、お写真に納まったり。
できることは限られていても、自分は本当に有り難い経験をさせていただいていること、立場であることにあらためて感銘を受けました。
私にとって2007年の早春は、梅まつりの40日間どころか 1月初旬の梅花祭から、ドピューンと一気に駆け抜けた感じです。
4月1日、世の中が桜の4月になっていることに妙な感じを受けたものでした。
それくらい必死だった梅大使の活動。単なる素敵な思い出で終わらすのではなく、この貴重な経験をこれから進んでいく上での指針のひとつとして 大切にしていきたいです。
そして、関わってくださった皆様に 心からありがとうございます。