といって言いのか分からないけれど、中学・高校のときを思い出してみる。
今、革を使っていろいろを作っているけれど、もともとは高校受験の合間に始めた洋裁が始まり。
中学の始めのころは服なんかまったく興味なかったし、あるのはバレーボールくらいだったかなぁ。常にジャージだったからね。
それが、中2のときに親の関係で小林さんに出会ってから少しずつ変わった。
なんだか、全体のバランスとか色の使い方とかに気を使ってみたり、そういうのが楽しかった。そんな中、HRMのロンTを見て作ってみようと思ったんだった。
裁縫のさの字も知らない俺が作るんだから、もちろんしょぼい。とても人に見せられる代物じゃあないけど、小林さんが記念として撮ってくれたんだろう、その服を着ている写真が今でも俺の手元にある。
それから、次に大きかったのが小田さんとあけみちゃんとのの出会い。
それまで東京コレクションで活動していた小田さんの仕事を間近で見てから、やることの質を求めるようになった。それまでスタイリストをしていたあけみちゃんはバイヤーになってて、東南アジアやヨーロッパに買い付けに行ったときの話を聴くことやモノを見ることが楽しかった。
中学の終わりのころからだったかな、俺はよく仕立て屋の店に通うようになった。お目当てはロックミシン。普通のミシンではどうしても出来ない布端の処理をしてくれる特殊なミシンなんだけど、本体が高いうえに糸も結構な額がするからね。でも、実際に行ってみると、ロックミシン以上の価値のあることを教えてもらえた。テイラーに見てもらいながら服を作るんだから、それこそ仮縫いから箱ポケット、テイラード仕立て、などなど色々と。そのお陰で今のジャノメのミシンとも出会えて、今の技術がある。
高校になってからは、棟ちゃんとcacoさんと。
60歳くらいになる棟ちゃんは、二十歳のころにイギリスに美容師として留学していた。そのころの俺は、その勇気とセンスに脱帽したものだった。また、cacoさんは徳山のショップのオーナー。高校で割と裁縫技術が上達したころに出会った人で、俺をとても可愛がってくれている。当時、彼女のショップで扱っているcomme des garconの洋服に俺はとても衝撃を受けた。comme des garconを張っている川久保は世界のファッション界を塗り替えた人間である。そのころの山本耀司と三宅一世とともに。
これまで服から受けた影響とリンクさせて作ってきた服を見返してみると、どうも当時好きだったもののテイストが織り交ぜられている。中学、高校の始めはコットンやキャンバスを使い、高校2年のころはギャバジンやベロアを使い、って感じで。
そして、これまで自分が作って売った服たちのリストを見てみると、14点あった。中には俺の記憶にまったくないものもあってびっくりした。けれども、それだけあのころは服作りに夢中になっていたんだと思う。服作りは好きだった、けれども職業として選ぶほどの勇気が俺にはなく、今の大学に落ち着いた。
今、人生の進路が決定し、これから社会人になる俺の学生時代はあと6ヶ月。
将来について考えることは多々あるけれど、やっぱり挑戦したいこと。
装苑賞。
高校の時に応募したときは落選した。
今回もそうなる可能性が高いけれど、面白そうだからやってみる。
文化やモードを出ている人間がやっぱり活躍するんだろうけど、たまにはこういうアウトロー的な存在も必要なのではないかな、と。(かなりビッグマウスかな…)
ともかく応募締め切りはあと2週間。
間に合うか知らないけど、とりあえず出してみようかと思う。審査員は、山本耀司、丸山敬太、高田健三、信国太志。
さぁ、どうなるかな。