4年ぶりに読み返してます。
大学に入る以前はまったく小説なんか読まなかったけど、この本を読んで小説の魅力を感じ、読むようになったかな。読んだときのシチュエーションを思い出てみると、油山の青年の家だったかな。僕の尊敬するFlの先輩から借りたのでした。
世間に生きていると、他人との接触やメディアの露出によって嫌でも情報が流れ込んでくる。自分自身、自分の範疇の外にあることに対して影響を受けやすいと感じる。それは感受性が豊かということだけど、僕の場合(誰もがだと思うけど)、あるベクトル方向に対してしか受け止められず、大局としては同じ方向に進んでいる。ぶれるとしてもほんの少し。180°パルスみたいなことはめったにない。
以前誰かがピボットって言葉を使ってたけど、世間で認められてるルールを犯さないならばぶれたっていいと思う。し、ゴールっていうのも、ある段階でのゴールっていうのは一つしかないから、その時間のときはひたすらそれを目指せばいい。決勝戦の後半10秒前ってシチュエーションはまだまだ先のことだし(それがあるかどうかもわかんない)、今自分がやっているのも所詮練習試合で、色々な作戦を試す段階。
この本自体はイタリアの話で、それぞれの都市の美しさなどがそこに生きる人間とともに描かれていて、いつかそこを訪れたい、という思いに駆らされる、そんな物語です。
大学に入る以前はまったく小説なんか読まなかったけど、この本を読んで小説の魅力を感じ、読むようになったかな。読んだときのシチュエーションを思い出てみると、油山の青年の家だったかな。僕の尊敬するFlの先輩から借りたのでした。
世間に生きていると、他人との接触やメディアの露出によって嫌でも情報が流れ込んでくる。自分自身、自分の範疇の外にあることに対して影響を受けやすいと感じる。それは感受性が豊かということだけど、僕の場合(誰もがだと思うけど)、あるベクトル方向に対してしか受け止められず、大局としては同じ方向に進んでいる。ぶれるとしてもほんの少し。180°パルスみたいなことはめったにない。
以前誰かがピボットって言葉を使ってたけど、世間で認められてるルールを犯さないならばぶれたっていいと思う。し、ゴールっていうのも、ある段階でのゴールっていうのは一つしかないから、その時間のときはひたすらそれを目指せばいい。決勝戦の後半10秒前ってシチュエーションはまだまだ先のことだし(それがあるかどうかもわかんない)、今自分がやっているのも所詮練習試合で、色々な作戦を試す段階。
この本自体はイタリアの話で、それぞれの都市の美しさなどがそこに生きる人間とともに描かれていて、いつかそこを訪れたい、という思いに駆らされる、そんな物語です。