「昭和史 戦前篇 1926~1945」 半藤一利著 平凡社
はじめの章 昭和の根底には”赤い夕陽の満州”があった
日露戦争に勝った意味
明治時代(1868年~1912年)、日本は列強の植民地にならず近代国家を築いていく。日清戦争(1894年~95年)・日露戦争(1904年~1905年)にも戦勝し、開国後の40年で近代国家の仲間入りを果たす。しかし、その40年後、太平洋戦争に敗北(1945年)し、国を滅してしまった。その後、米軍の占領下の7年を経て、40年で、世界でトップグループの経済大国を築くも、更にその後は、国を亡ぼす方向へ向かって何十年も過ぎている。
日本は開国後40年で近代国家の仲間入りを果たし、日露戦争により満州の利権も得た。そして、朝鮮を併合(1910年)、満州の資源を手に入れたことで列強に並ぶ力を蓄えて行く。1912年清国は崩壊し蒋介石率いる中華民国が誕生する。やがて、中華民国は共産党軍に勝利し、1926年(大正15年=昭和元年)、北伐を開始し中国統一が完成に近づく。一方、想敵国ロシアでは、ロシア革命(1917年~1923年)によりソビエト政権が成立し、日本の生命線となっていた満州への外圧は増す。しかし、日本は、軍備を増強し、昭和にかけて40万人~50万人の日本人を満州に移住させるなど満州に注力する。昭和史の諸条件は、満州問題と絡んで起きると半藤氏はいう。この章のタイトルである「昭和の根底には”赤い夕陽の満州”があった」と結ぶ。満州は、かつて日本の「理想の植民地」とされ、「五族協和」「王道楽土」などのスローガンのもと、夢のような国家を築こうとしていた。しかしその理想は、やがて破綻し、夕陽のように沈んでいった。司馬遼太郎は、その没落を「夕陽」にたとえ、哀愁と郷愁の入り混じる風景として描いたのである。
この章では、半藤氏は、ワシントン海軍軍縮条約(1922年)と日英同盟の廃止(1921年)は、アメリカが関与したものであるが、この世界体制が昭和期に大問題になることを、記憶にとどめるようにと結んでいる。