脊髄小脳変性症~あなたの笑顔を私にください~

脊髄小脳変性症になってからの試練と生き様を自分に正直にブログに綴っていければと思います。

今月を振り返って

2008-10-31 17:55:20 | Weblog
何か小学生の作文みたいなタイトルですけど違います。
結局今月の目標は達成できなかった。今月は調子に乗って100人の来訪者の日を作ると豪語したけど夢かないませんでした。来月から乏しくやっていきたいと思います。当初考えていたブログとは内容が変わってきてしまいましたけど、私は何時までも変わりませんのでこれからもよろしくお願いします。

THE 豊3(とよさん)

2008-10-30 22:35:55 | Weblog
多分今まで付き合った友達の中で一番の変態と言えば豊3であろう。豊3のスタイルはガリガリで骨が尖っていて少しでも体に触れると痛かったのが思い出だ。格好がケミカルウオッシュのボン短ジーパンに上着は当時のチェックのネルシャツをボンジーの中に入れていて物凄い究極にボンジーを上に上げていた。靴は勿論どこのメーカーか解らないカンフーシューズを履いていた。彼は徹底した貯蓄家で部屋の電気のメーターがいつも止まっていた。彼は自分が部屋にいるときもメーターが止まっており真夏でもメーターが動いてなかったらしい。同じ寮の奴が様子を確認すると真っ暗な何もない部屋にお膳が置いてありヨガのポーズで浮いていたというのだ。ビビッていると豊3が気づいて蛇の目でにらんできたと言うではないか。そして「ウー、ウーー」と言って裏返った声で「早く閉めろー」と言ったらしい。

豊3は部屋にしまってある壷の中にお金を貯めていた。噂によると彼はギザ10に目がなくてギザ10ばかり集めていると聞いた。それを夜中になると毎日のように1枚2枚と数えていたらしい。

豊3は相撲にも興味がありあの肉体がぶつかり合うところがすきなんだよね。と「グヘ、グヒ」と言いながら熱く語っていた。豊3は一浪しており、ことあるごとにお前らより年上なんだぞーと威張っていた。

まだまだあるけど今日はこれくらいにしておきます。

ケ~ンジくん

2008-10-30 10:55:30 | Weblog
大学の陸上部にケンジというにやけ面でたれめではっきりいって気持ち悪い奴がいた。彼は女の子には結構まめで優れた一面を持ち合わせていた。何しろストライクゾーンが広いのである。一回女の子と一緒にいてお前は岩鬼か!とその当時は思った。今おもえば全然ありじゃんと思えるのだが・・・。

 確か陸上部に入ったら気合の入っている奴が一人はいると思っていた。俺が思っていたのとはかなり違っている人物がそこにはいた。私は過去に戻ってよく思い出してみた。前のブログにも書かせてもらったが大学のセレクションの時は確か一番だった奴だよな。あの時は確か角刈りで眉毛が半分くらいしかなくてちょっと怖かった思い出があったのに、今の彼は炭酸が抜けたように腑抜けな状態になっている。この数ヶ月の間いったい彼に何があったのだろうか。彼は金銭面でも甘いところがありしょっちゅうお金を借りていた。でも彼はストーキングが得意で私たちが部屋で集まっていると知らず知らず仲間に加わっていた。彼の思い出は豊3の部屋で飲んでいると突然部屋に侵入してきて、飲み始めたばかりなのにいきなり吐いて気持ち悪いといってゲロを置き土産にさっさと部屋に帰ってしまったことである。ちなみに豊3とケンジは同じ寮に住んでいました。

大学時代

2008-10-29 14:19:37 | Weblog
今日も言いお天気ですね。だんだんと寒くはなってきましたが。病状のほうは右にすぐに傾いてしまう。杖を突いてもバランスをすぐ崩してしまう。股関節が痛くてしゃがむのに一苦労。腰は鈍い痛みが続く。最近左の手首が痛くて四つんばいで歩いている時も痛くてひっくり返ってしまう。どうやら寝ている時に腰が痛くなってきて左の腕をそのまま腰の下にもっていっているようであった。又今年の冬はホッカイロのお世話にならなくてはならないのかと思いました。

大学時代の話。おばパーは徹三国志をやっている最中よく寝言をなんて言っているのかはよくわからないけどもじもじとつぶやいていた。突然ベッドの中でエビのように物凄いV字になったときもあってその後「誰かに襲われたんだよー」と。寝言を言っていた。その後も臭い屁をかましたと思ったら布団の中でこれは臭いぞと言ってわざわざ布団をはいで私たちにかがしてくれた。朝方の屁は臭くてキチュパがナチスガス地獄だ!と言って喜んでいた。

たまにケンジというにやけた顔をした奴がモスバーガーでバイトをしておりその帰りにペケペケプスーと三国志で登用に失敗した時の音を口で真似をしながらやってきた。しかし何をするまでもなくじゃあねという捨て台詞と共に10分くらいでいつも帰って行くのであった。

徹三国志Ⅱ

2008-10-28 18:15:36 | Weblog
昨日の続き。
徹三国志に伝説の男キチュパがやって来た。彼もおばパー同様部活を一応続けていたらしい。彼は正直な男と言うか裏がないと言うか真っ直ぐな男で決して頭のほうはいいとは言えなかった。彼は脛毛と言うか足のほうの毛はべらぼうに濃いが腕毛は大したことはなかった。よくあまりにも足のけが濃いため冬の時などはケンジというにやけた奴がよくキチュパの足の毛に自分の足を絡ませていた。私も負けてはおらず、海に行った時カメラに私が写っていたら一人だけジーパンを履いている奴がいる。というので良く見ると私であった。
キチュパが徹三国志の仲間に加わって又三人ですることになった。この頃になると一人だけ国が大きくなりすぎたり人材が豊富になりすぎるなどして皆序盤戦から諦めることが多かった。そのためルールを作って諦めたらラーメンをおごると言うことにしたらキチュパが燃え出してきた。しかし私たちは大学生なんだからもう少し高く設定したほうが良いのではないかと助言を私がしたらキチュパが烈火の如く怒り出したので車屋ラーメンにしようかいう具合に決まった。それから序盤戦は他のプレイやーの領地をせめてはいけないとか、同盟など組んで物資の補給や金銭の成就なども可能にした。
徹三国志を進めているとその人間性なりが少しづつだけど見え隠れしてくる。
キチュパの人間性を少しだけ見た気がした。おばパーはもう国を完成しつつあって
いつでも私たちを責める準備は出来ていた。そしてキチュパと私でおばパーの牙城を崩そうと言うがキチュパはおばパーについておばパーを責めることはなかった。
結局おばパーの一人勝ちとなってしまい、その後何回か始めたがすぐに皆諦めてしまった。いつしか何の為にこんなに疲労困憊になりながらやっているのか解らなくなり終わりを告げた。その中でキチュパは夜中の2時、3時になると私が起こしてキチュパの番だったのでキチュパにコントローラーを渡すと眠そうな顔をしてゲームに取り掛かったので安心して寝た。そうすると何時になっても順番が回ってこない。キチュパを見るとよだれを垂れ流してコントローラーを握り締めながらゆらゆらとして眠っていたのである。勿論その時はおばパーは熟睡していた。もうひとつキチュパは深夜のバイトをしていたのでなかなか集まる機会がなかった。たまに間違えて寮にくるのだが何故かおばパーの部屋にはいかず私の部屋に来てどうでもいいことを永遠に話すか私の部屋のゲームをして帰っていった。
その時事件は起きた。私が寝てると又キチュパが勝手に入ってきてゲームをしていた。その時何か臭いなと思っていたがかなり臭くて飛び起きた。すると私の頭の上辺りに今まではいていた黒い靴下が無造作に穿き捨てられていたのだ。ちなみにキチュパはその靴下を2,3日はいていた。と自慢していた。

徹三国志

2008-10-27 14:26:09 | Weblog
私とおばパーは三国志というゲームにはまりまくった。どういうゲームかというと中国の昔の時代で日本で言うと戦国時代のときのシミュレーションゲームで実際にいた人物を使って国を統一するゲームだった。やたら時間と根気を必要とするゲームで一人用ではなくて複数で出来るタイプであった。確か私はあの頃は部活を首になっておりぶらぶらとしていた時、おばパーに誘われたと思う。主に徹三国志と呼んでおりまさに夜を徹して挑んでいた。そこに主に二人で行っていたがあるとき一人メンバーを見つけたらしくその物体がやってきた。白い縁の眼鏡をした何故かジャージにウインドブレーカーを着て物凄い高いテンションで福介という固体がやってきたのだ。福介は午前中は大学へ行って午後からは部活動で練習をしていて夜からは徹三国志で朝までと、一体何時寝ているのだろうかと不思議に思っていたが一度他の奴が食堂で大の字になって寝ていたという情報が入ってきた。徹三国志では一人がプレイしている時は他の人はよだれを垂らして寝ていた。場所はおばパーの部屋でやっており何故かおばパーは自分のベッドで寝ながらプレイしていた。おばパーはたまに臭い屁をして布団をわざわざのけて私たちにかがしていた。福介はどのくらい一緒にやったかはわからないがいつもかっこいいチャリンコにまたがってふらふらしながら帰っていったのを覚えている。福介はうちの寮から10分位離れているチュパさんと同じ寮に住んでいた。福介は過酷な日程に着いていけず脱落したが次に来たキチュパという物体が又伝説を作ってくれた。

THE おばぱー

2008-10-26 15:50:18 | Weblog
大学時代たまにおばパーと二人で食事に出かける時があった。おばパーは一年生の頃より車を持っておりよく乗せてもらっていたがあまり乗りすぎるとタクシー代はいくらになりますとかわけの解らんことをたくさん言ってくるのでこっちからはあまり乗せてとは言わなくなっていった。たまに二人とも何も用事がないといきなり部屋に入ってきて脇の辺りをつねって来るのである。ようするに彼はただの変態であった。それで私が身動きが取れなくなっていると、飯でも食いに行くか。と言ってさっさと用意しろと言い残すとたまに臭い屁を置き土産に部屋を出ていった。彼はファミレス派ではなく中華派であった。いつもどこがいい?とは聞かないで中華やにはいって何か話でもするのかなと思いきや、そこに置いてある漫画本を読み漁り始めるのである。一切会話はなしで料理がきたらそれを食いつくし又漫画本を読み始めるのである。更におばパーは眉毛を一文字にして面白い場面にもピクリともしないで読み進めてるようであった。ある時あまりにも読むのが早いのでどうしてそんなに読むのが早いのか?と聞いたら俺は絵しか見ないたちなんだよと豪語していた。いつしか中華屋に入って漫画を読むと言うスタイルを私たちは真似ていって
良く暇な時はキチュパと出かけていた。よくよく考えたらいつも顔をあわすし話すことなんてそんなにないしな。そんなに気を使う相手でもないしな、とかみんなでいいあっていた。その後おばパーは彼女もでき食事に出かけてもそのスタイルは変えなかった。

ハロウィン

2008-10-25 14:47:10 | Weblog
今日は夕方から教会でハロウィンを行います。

そういえば昔小学生の頃あのG君が突然ハロウィンのことを切り出してきた。その頃ハロウィンと言う言葉を知らなかった私はG君の巧みな話術とお菓子がたくさんもらえるといったことに興味を持ち参加することになった。
しかし参加するには仮装をしなくてはいけないということであった。ハロウィンパーティに仮装?意味が解らず私はその頃よく親父が釣りをする時につける強盗犯がよくするようなマスクをしていった気がする。しかしそのマスクは寒い時に親父が使用しているものだから鼻の辺りが鼻水と鼻くそでカピカピになっていたのだ。
しかし現地に着くとびっくりした。2、3人来ていたのだが同じようにマスクをするものドラキュラの牙だけを付けている物、包帯を巻いてミイラ男のつもりだったのだろうかG君は何やらマントのようなものをはおっていた。
その中でどうやってお菓子を手に入れるかということだが、突然知らない家を訪ねて「チカチューリ」というアメリカの言葉を言えばお菓子をもらえるらしい。確かに彼の家の近くは外人の家も多いが日本人の家もあった。「チカチューリ」と言う言葉は多分「トリックオアトリート」と言う言葉をより英語に近づければそういう風に聞こえるかもしれない。ちょっと苦しいか?
途中日本人のお宅を訪ねてしまって警察呼ぶわよと怒鳴られたりした。結果は散々でお菓子にけがはえた程度しかゲットできなかった。
G君の見解では時期が早すぎたかもしれないとのこと来週又行おうということであった。私は鬼のマスクを作って臨戦態勢はばっちりだったが二度とG君の口からハロウィンへいこうとは誘ってはくれなかった。

潔→チュパさん

2008-10-24 16:45:47 | Weblog
今日は病院へ行ってきました。病院の中で又こけてしまい看護士の人たちに心配をおかけしました。申し訳ありませんでした。今日は大雨にもかかわらず警察の方々がスピード違反をしていて小田原の出口ではほとんどの方が捕まっておりました。うちの車は何とか大丈夫だったようで親父もどこで計っていたんたよと怒っていました。

大学時代、今回は潔が何故チュパさんと呼ばれていたのかを別に知りたくないと言う人もいる中思い出を綴りたいと思います。

私は大学時代は陸上部でその大学の先輩に潔という物体がいた。潔はおかっぱでトリッキーな動きをいつもしていた。さほど足も速くない。いつも同じランニングパンツを穿いており極限に近いほど上にあげていて残尿がいつもトレードマークのように付いていた。

私たちは夏の合宿中に事件は起きた。その日は3っ日目あたりで疲れがピークに達している時私とおばパーとゲッポで「もう少しで練習か、やだなー!」とねっころがりながら話していると、遠くの方から何やらチュパ、チュパと聞こえてくるのだ。
私たちは恐る恐るこえのするほうに行くとそこには潔が寝ていてチュパ、チュパっと自分の指を何かからませながら言っていたのだ。私は見てはいけないものを見たような気持ちになったがおばパーとゲッポはうれしそうに顔を合わせ皆のほうへ向かっていった。次の日にはおばパーとゲッポで歌まで作ってうれしそうに歌っていた。「静かな湖畔の森の影からチュパさんチュパッと鳴いている、チュパー、チュパー、チュパー、チュパ、チュパー」よくよく考えてみるとどうでもいい話である。

潔のこと

2008-10-23 09:27:45 | Weblog
ここで大学時代の潔について紹介したいと思う。潔は学年で言うと一つ上なのだが先輩としての威厳は全く感じられずたまに潔がぶちきれて「おまえらより先輩なんだぞー」とどこか違うほうを向いて怒っていたと思う。おばパーと私は何かちょっと危ない臭いをかもし出している潔に違和感を感じながらも生活を続けているとすぐに危ない奴とわかる日が来る。練習が始まる前におばパーと二人で用を足していると、大便所のほうから何か聞こえる。何やらものすごーく踏ん張って喘いでる声がするハー、ハー、ヒー、フー、ウー、ウーン、私とおばパーは嘘だろうと思って耳をすまして聞いていると最後に「お願いします、出てください」と天にも届きそうなもの凄い声が腹のそこから響いてきたのである。

おばパーは物凄い勢いで外に出て皆に笑いながら話していた、するとそこに潔がすっきりとした顔で表れ何、何?と聞いてくる。そこで私たちは言う前にどこで何をしていたのかを潔に聞くと便所で大のほうをしていたと言うのだ。そこで誰だかわかった私たちは、笑い転げていた。しかしおばパーはそれだけではとどまらず潔さんは大が出ない時は「お願いします、出てください」というのですか?と聞いたら普通に「いつもいうよ」と心臓をさすりながら、トリッキーな動きをして答えていた。あまりにも潔が当たり前の顔をしているので皆その話にはあまり突っ込みをいれなくなった。しかしおばパーだけはことあるごとにその話をして盛り上がっていた。今度は何故チュパさんと呼ばれるようになったかを書きたいと思います。