脊髄小脳変性症~あなたの笑顔を私にください~

脊髄小脳変性症になってからの試練と生き様を自分に正直にブログに綴っていければと思います。

明日は病院です。

2008-07-31 23:11:26 | Weblog
明日は病院なので先月提出を忘れた特定疾患の用紙を書いてもらうのを忘れないようにします。それと傷病手当金の請求書を忘れないようにします。前回は2級の申請書には書けないと言われてショックのため色々と聞けなかった。今回はしっかりとせねば。何もできない月が続くと思うとなんとも言えないがせめてリハビリぐらいはいきたいな。

少しこの前ヘルパーさんとマラソンの話をして高校時代のことを思い出した。高校時代は本当に青春時代だったと感じる。あの頃は恋に部活に勉強によく頑張っていたよな。高校時代はクラスの連中とはほとんど会話を交わさず授業中はいつも寝ていて休み時間は友達にスポーツ新聞を借りて読んでいた。昼休みになると部室にすぐいって行ってしまっていた。


高校を卒業してクラスの奴とカラオケに行ったときクラスのパシリにため口をきかれてむっとしたのを覚えている。その点からみても高校時代はクラスの中では目立たない存在だったのだろう。

その分部活ではかなり威張っていたと思う。部活をしていなかったら多分いじめられっ子だったと思う。人とコミュニケーションをとれなかった人物であった。部活は1年の途中から先輩がいなかったのでまさにやりたい放題だった。でもこの時味わった苦難のおかげで少しは人生について考えるようになったのは確かだ。でも高校時代の友達とは会いたいと思う奴は数えるほどしかいない。


そんな中内の部活の部長について少し話したい。この部長は結構外見も良く長距離も早かったのでもてていたと思う。それにもまして彼は大人びていてみんなの前でよく挨拶をしていた。私とは話もせずにいつもしかとされていた。そんな中最後の皆の試合である駅伝があった。駅伝ではおもうような結果は出ず、しばらく日にちがたってから皆で集まり顧問の先生もまじえて駅伝の反省を皆で順番に言っていった思い出がある。その時の私は自分の駅伝に対する思いと練習のきついのにも耐えてきたこととか自分の自慢話しかしなかった。


そして部長が最後に話した。それは泣きながら駅伝に出場できなかった部員に対しての思いだった。その時は何で泣いているのか私はわかろうともしなかった。部長は、駅伝の試合の時でさえも泣かないし、ましてやそんな感情なんて見たこともなかったのだ。今思えば本当に悔しかったのは駅伝に出場できなかった部員だよなあと私も心から思えるのである。高校時代からこのような気持ちを持っていた部長、今恥ずかしながら会いたい気分である。

2007年1月ごろの日記より

2008-07-30 22:03:28 | Weblog
人の幸せってなんだろうか?
はたして金持ちになって一生を終えればそれでいいのだろうか?
それとも自分の好きなことだけやればそれでいいのかな?
私は現在34歳で脊髄小脳変性症という遺伝性の難病にかかっています。だんだんと歩けなくなり最後には寝たきりの生活になる難病です。遺伝性ですのでうちの母が同じ難病でした。今の医療技術ではどうにもならないそうです。私は30歳の時この病気でその時働いていた仕事が出来なくなり31歳のとき教会に改宗しました。その時はもうだめなんだなと思っていました。しかしこの教会で神のことを知りこの世での目的も知りました。その中でこのまま諦めたくないという気持ちに変わってきました。口で言うのは簡単かもしれません。同じ病気の人から見たら笑ってしまうかもしれません。でもこのまま何にもしないでただ歩けなくなってしまってただ病院のベッドで寂しく終わらせたくないのです。最近思ったことで何か人のためになれることが俺にはないだろうか?とよく思っていたけどようやくその答えにたどり着きました。仕事は2006/3月の終わり頃から又復帰していますがその頃履歴書に自分が幸せになることによって他の人も幸せになって欲しい。と書いていたように感じます。今はむしろ自分が頑張ることによって他の人が何か良い影響を受けてくれたらいいと思っています。でも一番は自分が幸せになることです。やはり最近のドラマを見ているとただ感動したという人が多い感じがします。もちろん良い感銘を受けて頑張ることができた人もいると思います。私はたくさんのうちの一人でも私の生き方に何か生きる望みを持って頂ければと思います。私の幸せとは金持ちになることでも自分の好きなことをして生きることでもありません。ただ人に良い影響を与える人になりたいのです。今私は杖をついて生活をしています。初めは杖をついて生活することにかなり抵抗を感じていました。私の中にある少しのプライドが邪魔をして杖なんかと自分で思っていました。しかし最近では道路でも転ぶようになり教会の中でも頻繁に転ぶようになりました。その時教会員の方たちが心配して杖を勧めてくれました。やはり私たちは一人では生きてはいないんだ。と強く感じました。こんなふらふらの状態で杖も持たないで歩いていたら普段のときとても心配しているだろうなと思いました。今は朝兄弟がわざわざ家まで来て教会まで送ってくれます。こんな私でも何か役に立つことはないか?と思い文章を書いてます。今とても幸せに状態を保つことが出来ています。これからも幸せになることを知っています。

この時の私は自分が幸せになることで他の人も幸せになって欲しいと言っている。まずは自分さえ幸せになれればよいと思っていたときであった。自分が幸せになるように考えるのはわかるが、他の人も幸せと考えられるようになって欲しいのである。この頃は結婚を考えていた姉妹と別れたばかりだったのでこのような文章であったのかな。やはり少ない人数だけで神様と暮らしてもしょうがないのである。たくさんの人で神様の下へ戻りたいのである。                            


昨日の出来事

2008-07-30 14:12:15 | Weblog
昨日午後のヘルパーさんが来てくれた時の話だがそのヘルパーさんは現在ランナーだそうである。この前三浦マラソンの10キロメートルに出場したらしい。そこで私も高校時代は横浜マラソンで10キロメートルで3位だったと昔のことを自慢していた。嘘だと思われるのが嫌なので調度3位になったときのメダルをもっていたのでヘルパーさんにみせた。でも今の状態はと聞かれると黙り込んでしまう。

世の中のことを考えると今よければいいと思っている人が結構いるのではないかと思う。その時の私は未来に何も希望は持てずただ一日を精一杯生きていたことに違いはなかった。その日を精一杯悔いの残らないように生きる。確かにそれでいいと思う。しかしその先があると思う。それは死んだ後神様と一緒に住めるように、自分を成長させるためである。だから私は今このような試練を受けていてもそれは自分を成長させるためであると信じている。

今裕福な人や裕福でない人がたくさんいる。その中で金持ちな人と貧乏な人を運だけで済ませられるだろうか?私は上を目指す人この世の欲だけで全てを考えている人悪いことだとは思わないけどもっと人のこと、周りの人を考えて欲しい。えらそうなことばかり言ってるけど、私も結構間違ったことはするので申し訳ありません。

残りの時間を有意義に使う。

2008-07-29 21:23:33 | Weblog
横浜に戻りヘルパーさんも月~土曜日まで来てくれるようになった。外出するにも手を貸してくれるようになった。封筒も投函してくれるようになった。何か不満でもあるだろうか?今日癌の患者さんが最後に講義を行った本が出るとテレビでやっていた。その中で残りの時間を有意義に使おうと言っていた。私はどうであろうか?最近は疲れとだるさがが凄くて10時くらいまで横になっていて、1日中家の中で過ごしていることがある。たまにこのような1日を過ごしてもったいないなと良く感じる。本当にもったいない1日を過ごしているなと感じるのである。考えてもみなかったけど暇すぎるのも地獄だなと思った。それがこの先どのくらい続くのであろう。永遠にこのままなのかな、でも来年の今頃はまだ歩けるのかなとか思うけど不思議に恐怖感には襲われないのである。このような状態になってもまだ心は折れないし病気は治ると心から思っている。主はこのような状態になっても必ず救ってくれるからである。このような状態になっても希望をもたしてくれる天のお父様に感謝である。

教会です。

2008-07-27 22:39:04 | Weblog
今日は教会でした。本日の聖餐会は人数があまり居ませんでした。それにもまして体力的な問題が・・・もう途中眠くて眠くて座っていても疲れてくる。教会が終わり送ってきてもらっても今の今まで何もすることができなかった。そして体力が少し回復してきたので昨日書いてしまおうと思った文章を書きたいと思います。今日から文が長くなりそうだなと思ったら下書きをしようと思います。昨日の文の中に「自分の霊が選んだ道ならそれに従うしか方法はないのだろう。」と書いていました。私はすでに2004年の5月ごろから御霊に従うということをすでに知っていたのだ。そして試練の中で出てくる証は真実であると後で知ることになります。この時期に借りた本の中に人は生まれてくる時その運命と両親を選んで生まれてくると書かれてあった。私は始めはこんな体で生まれてきたことや又両親の性格や自分の相性などを恨んでいた時期もあった。でも今は私は生まれる前にみんなの前で一番に手を上げてこの運命、そして生まれてくる両親を選んできたんである、と信じています。私はこの体に生まれて少しでも多くの人々を救い信仰を持たせて自分を成長させることを誓ってこの世にきたのではなかろうか。方法はいくらでもあります。私はそれらの中で最適なものを選んで行きます。夢の中でみた「人々のために自分を犠牲にできますか」という問いの意味が少し解ってきたような気がしてきました。しかし犠牲になるといっても人生を全てささげるという意味でもないのが最近の証です。どちらかといえば奉仕の気持ちのほうが強いかもしれません。犠牲になるというと何かいい意味ではとらえることはできませんが奉仕の気持ちと思えることができれば少しは気分が楽になるかもしれません。

二回目の断食。

2008-07-26 13:36:08 | Weblog
私は以前少し書いたように断食を行えば体内の中の不思議な力が働いて体が良くなるのではないかと思い2004年の5月の終わりごろに断食道場へと向かうのであった。辻子にあった場所は閉鎖するとのことであったが奈良県にあるというのをネットで調べて申し込んだのであった。

そして私は格好良いことを述べて、真の悔い改めに行ってくると豪語していた。私はバプテスマも受けて神権者にもなったので何か不思議なことはおこるだろうと確信はしていた。そして初めて神権の祝福をしてもらい断食道場に向かうのであった。

断食道場では水は普通よりはたくさん採り段々と食事を減らしていき断食期間に入り又食事を元に戻すというのだ。その中で今回は5日間の断食日数となった。

私はこの断食期間の中で心からお祈りできたことに本当に感謝する。途中苦しい時に家族に、両親に対して感謝のお祈りと幸せを願うお祈りができたのだ。それまでは特に親父に対してお祈りをしようとは考えもつかなかったのである。そして体は病気自体は治らなかったけど今まで耳障りだった耳鳴りがなくなって、今現在もしません。

結局2週間の断食期間であったけど奈良の教会へは2回しっかりと通いました。断食の期間日記をつけていたがまだこの世的というか、世の中のことに執着心を持っているような文がかいまみえた。その時の気持ちはあまりかかれておらず、出来事や行ったことを中心に書いてあった文面だった。そして日記にはこう書かれていた。エンドウメントを受けて永遠の結婚をして家族を作りたい。でも自分の霊が選んだ道ならそれに従うしか方法はないだろう。この文を読んで胸が締め付けられる思いがした。この頃はまだ体も大したことはなかったので結婚を望んでいたけど、神に従順に従うという気持ちはあったので今の私はどうなのだろうと考えさせられました。そして家族へのお祈りはまだ続けていきます。しかし皆は家族へのお祈りはすぐにはできたのだろうか。そしてお祈りへのきっかけは何だったのであろうか?そして何より神を信じるきっかけとなったのはどのようなことだろうか?

理由。

2008-07-25 22:46:38 | Weblog
ある日元サッカー選手の中田選手の特集をテレビでやっていた。そのテレビの中で世界の貧困についてや今の地球の事情を述べていた。その中で中田は今できることとしてテレビの中で皆に考えてくださいと伝えていた。

そこで私も少ない脳みそをフル活動させて考えてみた。もっと弱い人の立場を考えて欲しい。しかし世の中には色々な人がいる。その中でも自分にもっとよいところを見つけて伸ばしていって欲しい。色々な事情があるのは皆それぞれで死ぬ必要がある人なんてこの世のなかに一人もいないこと。皆それぞれ与えられているこの世の中での試練を乗り越えて欲しい。私のような難病にかかっている者もこうして生きているのである。その中であなた方一人一人を天のお父様は愛していることを知ってほしい。わたしのできることそれは自分の体験したことを述べ皆に伝えていくことである結論に達した。

それと副題である~あなたの笑顔を私にください~もこのテレビを見て気づいたことだ。それはアフリカ大陸などの発展途上国の村では水がなく近くに井戸があり水が出る村まで水を汲みに行く村があるらしい。ある村では水は濁っていて普通の人は飲めないほど汚い水であった。その村の子供たちは水は濁っているものであると勘違いしているらしい。その時ある人物が村に井戸を掘ってきれいな水が出てくる
場面が出てきた。その時の子供たちの笑顔、皆素晴らしい純真な笑顔をふりまいていた。私はこの時にその笑顔を私にくれたらなと素直に思った。何か本当に私の力になると思えたのである。

たとえこの先辛いことがあろうと笑顔だけは忘れずに生きて行きたい。又皆も落ち込まずに身近な人にしゃべれなくてもいい、気持ちのいいとびっきりの笑顔を見せてあげよう。

私の賜。

2008-07-25 11:04:38 | Weblog
前に一度この病気は個性だと綴ってあったかもしれないが新しい証ができたので読んでいただけたらと思います。

私はこの病気を個性だと思い全てのことに諦めようかと思っていました。しかしこの病気はみんなを力づけるために神様が与えてくれた賜であると心に響いてきました。その時に私は心の中がすーっとして本当に心の平安が得られました。この病気はよくなると信じています。私がこの病気によって得た証と信仰の賜は真実である確信します。そして他の人々にも伝えていきます。

モルモン書について。

2008-07-24 16:31:01 | Weblog
今日からヘルパーさんが来てくれた。久しぶりに人がつくってくれた温かいものを口にした。久々に食べた肉じゃが美味しかったです。

最近要約モルモン書は真実である証ができた。私は病気という試練を与えられて人とは違う人生を歩んできたと思います。その中で証はいくつも心の中に響いてきたし、その証を人にも伝えていきたいと思った。

その中でモルモン書は真実であるという証を人に伝えていきたいと思った。その証を伝えることができないなら私は伝道活動というか、人にモルモン教を伝えられないと思った。

私はモルモン書は真実であるという証を得るために何をしたかというと特にはないが祈り、そして戒めを守り、今受けている試練に立ち向かおうと思い、そして福音を皆に知ってほしいと思ったときだった。私がこの病気によって得た試練で数々の証を得て来た。その証はほとんどモルモン書に載っていることであった。その時の私の気持ちは謙遜になったであろう。アルマ書のほとんどのところは私が体験したところではないのかなと思ってしまった。何か証会やお祈りの時に私だけが知っていることだと思い発言していた自分がとても小さい者であるとかんじてきた。よく勉強をしている方は何だそんなことかと思っていたと感じます。

前から少しは感じていたがこうして時間がある中でモルモン書を読めたことに感謝します。