日本初の水陸両用消防車
当時数億円を投じて横浜消防局が手にした画期的な消防自動車 後部にはスクリューと方向舵が付いています。
現実には
『横浜は岸壁ばかりで、海に入れる砂浜が無い』
『砂浜はタイヤがハマって走れない』
『この車で消火しなければならない対象と理由がない』
『車体が重すぎて陸上の走行速度が遅すぎて現場到着に間に合わない』イコール『無用の長物』
になって高額な維持費だけが掛かり続けるお荷物でした。
ボディは殆んど鉄の塊りといった感覚、乗った感じは『狭くて・重くて・見切りが悪い』でした。
この写真撮影現場は、当時の保土ヶ谷区役所。区役所の中階に消防局があり隣は保土ヶ谷消防署。 消防局は2200名程度の職員規模で敷地が狭く水陸両用車などは消防署に保管を依頼していました。
消防車(ポンプ車)は通常1台4名~5名が搭乗し、車長(隊長)、放水長(筒先を持つ人)、機関員(運転と真空ポンプ操作担当)、隊員(筒先を支えたり機関員との連絡に走る人)が活動を一にしています。
全国で横浜に1台しかなかった 当時日本一高い
40メートル梯子車
当時日本一長いハシゴを持った消防車ですが、
『車の両側に、広くアウトリガーを架けなければならないので殆どの場所で使えない』
『路面がコンクリート等で強固でないと使えない』
『ゆるい角度でハシゴを掛けると強度が足りないので炎上中のビルの直近に駐車しなけれ ばならない』
『長いハシゴのため強度が弱くてカゴに何人も乗せられない』
『13階から1人を救助するのに5分程度必要。20人を救うには1時間半以上も
掛かる計算で間に合うはずがない』
等々、他にも問題山積で現実には市民向けPR専用車でした。
ゴンドラに乗って40メートルまで上がりましたがゴンドラの先は大きく前後左右に揺れており救助のためにビルの窓に着けられる状態ではありません。
我が国初の救急車を生んだ横浜消防の救急車
当時はライトバン型が主流。 これはトヨタ・クラウンバン。 車内は狭くて頭を打つほど。
当時の救急隊員は消防隊員としては使えない 『身体の不調な隊員』 『心の病の隊員』 『成績不良の隊員』 が乗務していましたから後部に乗せた急病患者のことなど余り意識せずに急ブレーキ・急ハンドルは当たり前でした。
化学消防車
高発泡といって4トンの水槽を持ったタンク車
通常の放水をすると5分も持たずに水が無くなるので、泡を出す 『高発泡化学消防車』 としてしか使い道はないのですが 『泡を必要とする火災現場』 には殆ど出場する機会はなく 『単なる重くて遅い消防車』 でした。
又、選んだ車種がいすづで、誰でも運転し易いのですが一番パワーの無い車でした。
赤バイ 【白黒写真ですが車体が白バイを真似て赤く塗装されています】
※荷台に2本家庭用のような小型消火器が積載されています。
小型消火器を積んで細い路地にも入って消火活動が出来るというふれこみでしたが 現実には
『1段でも段差・階段が存在すると向かえない』
『バイクの幅が広すぎて路地に入れない』 モトクロスタイプの小型にすれば有効だったのでしょうが敵対意識のある警察の白バイに負けないように同じCBを採用したのが間違いでした。
『積載していた消火器では消防に通報があるような火災は手に負えない』
『家庭用消火器を使うなら近所の民家で借りた方が早くて有効』等々…
当時の消防幹部の言葉で 『実際に役立つかどうかは関係ない、装備があるということで市民を安心させられれば充分効果がある』 と言っていたことが思い浮かびます。
専門知識のない市民を弄んでいるような気がするのは私だけでしょうか…
※6日の東京消防庁の出初式
『エア・ハイパーレスキュー隊』という消防司令を隊長とする総勢44名の部隊を発足させたそうです。
・大規模複合災害 ・山岳火災 ・山岳救助 ・高層ビル火災 ・高速道路救助
等に活躍させる。と、いう意向らしいですが…
高価な大型ヘリを持ち
『空から吊って消防車を輸送できる』
『放水銃を備えて上空から放水できる』
等がウリですが
『空から吊って輸送できる消防車はポンプのない単に赤く塗った軽自動車1台のみ』
放水銃は1分間に400㍑放水できるといいますが、400㍑ってドラム缶2本分400Kgです、 大人約6人分もの水を積んでいないでしょうから
『使ったら数十秒程度の焼け石に水程度の放水しかできない』
何かこれも又、無駄なアッピール目的に見えてしまうのですが・・・
当時数億円を投じて横浜消防局が手にした画期的な消防自動車 後部にはスクリューと方向舵が付いています。
現実には
『横浜は岸壁ばかりで、海に入れる砂浜が無い』
『砂浜はタイヤがハマって走れない』
『この車で消火しなければならない対象と理由がない』
『車体が重すぎて陸上の走行速度が遅すぎて現場到着に間に合わない』イコール『無用の長物』
になって高額な維持費だけが掛かり続けるお荷物でした。
ボディは殆んど鉄の塊りといった感覚、乗った感じは『狭くて・重くて・見切りが悪い』でした。
この写真撮影現場は、当時の保土ヶ谷区役所。区役所の中階に消防局があり隣は保土ヶ谷消防署。 消防局は2200名程度の職員規模で敷地が狭く水陸両用車などは消防署に保管を依頼していました。
消防車(ポンプ車)は通常1台4名~5名が搭乗し、車長(隊長)、放水長(筒先を持つ人)、機関員(運転と真空ポンプ操作担当)、隊員(筒先を支えたり機関員との連絡に走る人)が活動を一にしています。
全国で横浜に1台しかなかった 当時日本一高い
40メートル梯子車
当時日本一長いハシゴを持った消防車ですが、
『車の両側に、広くアウトリガーを架けなければならないので殆どの場所で使えない』
『路面がコンクリート等で強固でないと使えない』
『ゆるい角度でハシゴを掛けると強度が足りないので炎上中のビルの直近に駐車しなけれ ばならない』
『長いハシゴのため強度が弱くてカゴに何人も乗せられない』
『13階から1人を救助するのに5分程度必要。20人を救うには1時間半以上も
掛かる計算で間に合うはずがない』
等々、他にも問題山積で現実には市民向けPR専用車でした。
ゴンドラに乗って40メートルまで上がりましたがゴンドラの先は大きく前後左右に揺れており救助のためにビルの窓に着けられる状態ではありません。
我が国初の救急車を生んだ横浜消防の救急車
当時はライトバン型が主流。 これはトヨタ・クラウンバン。 車内は狭くて頭を打つほど。
当時の救急隊員は消防隊員としては使えない 『身体の不調な隊員』 『心の病の隊員』 『成績不良の隊員』 が乗務していましたから後部に乗せた急病患者のことなど余り意識せずに急ブレーキ・急ハンドルは当たり前でした。
化学消防車
高発泡といって4トンの水槽を持ったタンク車
通常の放水をすると5分も持たずに水が無くなるので、泡を出す 『高発泡化学消防車』 としてしか使い道はないのですが 『泡を必要とする火災現場』 には殆ど出場する機会はなく 『単なる重くて遅い消防車』 でした。
又、選んだ車種がいすづで、誰でも運転し易いのですが一番パワーの無い車でした。
赤バイ 【白黒写真ですが車体が白バイを真似て赤く塗装されています】
※荷台に2本家庭用のような小型消火器が積載されています。
小型消火器を積んで細い路地にも入って消火活動が出来るというふれこみでしたが 現実には
『1段でも段差・階段が存在すると向かえない』
『バイクの幅が広すぎて路地に入れない』 モトクロスタイプの小型にすれば有効だったのでしょうが敵対意識のある警察の白バイに負けないように同じCBを採用したのが間違いでした。
『積載していた消火器では消防に通報があるような火災は手に負えない』
『家庭用消火器を使うなら近所の民家で借りた方が早くて有効』等々…
当時の消防幹部の言葉で 『実際に役立つかどうかは関係ない、装備があるということで市民を安心させられれば充分効果がある』 と言っていたことが思い浮かびます。
専門知識のない市民を弄んでいるような気がするのは私だけでしょうか…
※6日の東京消防庁の出初式
『エア・ハイパーレスキュー隊』という消防司令を隊長とする総勢44名の部隊を発足させたそうです。
・大規模複合災害 ・山岳火災 ・山岳救助 ・高層ビル火災 ・高速道路救助
等に活躍させる。と、いう意向らしいですが…
高価な大型ヘリを持ち
『空から吊って消防車を輸送できる』
『放水銃を備えて上空から放水できる』
等がウリですが
『空から吊って輸送できる消防車はポンプのない単に赤く塗った軽自動車1台のみ』
放水銃は1分間に400㍑放水できるといいますが、400㍑ってドラム缶2本分400Kgです、 大人約6人分もの水を積んでいないでしょうから
『使ったら数十秒程度の焼け石に水程度の放水しかできない』
何かこれも又、無駄なアッピール目的に見えてしまうのですが・・・