goo blog サービス終了のお知らせ 

羊と一緒に回り道

さぬの1日が気軽に知れます。

そらとうもとまと

2010年03月09日 23時07分23秒 | Weblog
別れの季節ですね、タイムカプセルは大きな意味を持っていました。
まるで10歳の私が瓶のなかから飛び出してきたようです。
手紙もしわくちゃで、写真もどろどろ。
私は今も昔も変わっていないことを再確認しました。
なんだか嬉しいようで、少し照れくさいです。
10年間ずっと楽しみにしてた、質問文だって覚えてる。
だからどろどろになったって、ただ、面白いなあとおもうだけで。

成人式も無事に終わり、懐かしい先生方や旧友とも再会を果たしました。
日々をともにしていた仲間も、今では社会人や妻・夫になっていたり、学生をしていたりとさまざまです。

そういえば、去年の秋ごろから新しいアルバイトを始めました、順調にお金も貯まり、今月末からは独り暮らしをすることになりました。憧れていた独り暮らし、というよりかは、実家を売ることとなり、これ以上親に甘えるわけにはいかないというのが本音です。

花の女子大学生も残すところあと二年、色恋沙汰には無関係ではありますが。
時間に日記をさかのぼり、私は私を確認しているようでなりません。
授業では最近、考古学に興味津津です。
先生の話術か考古学そのものか、いまの私にはとても魅力的です。
歴史なんて興味なかったけど、ちょっと面白いかも。



私の人生はこれが最初で最後、毎日が同じようにすすんでいくと見せかけて、積み重なっていく。もう一回がないから腹が立って、止まってやったけど、追い風の方が強かった。立ち上がったらこけそうになって、足を踏み出したら余計に速く早く引っ張られていって、無理やり転んだら受け身も取れなくて転がって行った。四方八方壁のない檻の中に身を投じられたようで、飛び込んでいた。目をそむけていても瞑っても、瞼の裏がまぶしかった。泣いても笑っても叫んでも何しても絶対に思い通りにはならなくって怖かった。すがった流木も岸に上がって、道中お気をつけてって傅いた。寝ても起きるし、日付は変わるし、大人にならなくちゃ。


と納得してみた、明日もアルバイトだ。


お父さんが今からバイトを始めるだなんてとんでもないと思ってしまう、私がなんとかしたい。お父さんとお母さんが楽をできるような、私を育ててくれてありがとう。この家がどんなに高かろうと、私はそれ以上の幸せをもらったんです。だから、次に住む人もきっと幸せになる。

私が社会人になったらまた家族で住めるようにするからね。
今はみんな離れ離れになるけど、大丈夫。

タイムカプセル

2009年06月11日 20時37分27秒 | Weblog
今から10年後の自分に手紙を描こう!

10年前のさぬはタイムカプセルを埋めた日から

ずっとずっとこの日を待ち続けていました

大人になったら開けるから!

質問内容も忘れないまま明日を迎えそうです

10歳になった事に衝撃を覚えて

大人にならなくちゃならないんだ!

と意気込んで作ったタイムカプセルです。

でも、明日10年振りに開封する身のさぬは

大人になった気がしません

だけど、やぱりこう思うって言う事は

子供じゃなくなったんだな、と思いました。

ぶつりと年齢で区切られている決まりごとはあるけれど、明日急にぶつりとさぬが変わってしまうわけでもないから。

ただ、あの日から10年も経ってしまったんだということが、嬉しいような悲しいような

やっぱり微妙な気分です。

三と韻を踏み荒らす

2009年05月23日 13時52分02秒 | Weblog
激情が迸る、そんな日も、三は九にはならずに散歩してる模様です。
もともとの上限が九なのだから、十二になんかしなければよかったのに。
もともとは十八だったんだけれども。
四番目の三も、その他の三もなーんか変なの。
そんな高尚なものじゃないからと謙遜するのはある意味じゃ驕り高ぶっているように聞こえるのかもしれないけども。
深読みする事も裏もなくて、ただ単純に照れとか恥かしいだとかそんなものだとしたら。
何一つ嘘なんかついていないし、隠した事もない。
だけど、ちょっとの羞恥心だって持ち合わせていてもいいじゃないか。
けち!
信頼とか信用とか不信感だとかそんなもの。
元から信じていなかっただけなんでしょ、ってそう思ってしまう。
だって、嘘なんかついたことない、夢を口にすることに怯えた事も全部ありのままだったし。
屁理屈だと思うけど、揚げ足取りだと思うけど。
嘘なんてついていなかった分、悲しいなあ、って今更思う。
今まで心の底から大好きだったし大切だったのに、不信感を持ってた、正直馬鹿にされてると思ってたって、そんな彼らの本心を聞いてしまった途端。
ああ、そうか。
って心の中に穴をぶち開けられた気がした。

その人にはその人の歩幅がある、根っから全てが同じなわけはない。
認めてあげるのも、しかってあげるのも友達だ。
一方的に好きだったとか嫌いになったとか不信感を抱いたとか、どんな態度とっても俺はそれを認めるとか。
全部さぬ次第で決まることで、さぬ次第で決めることなんだ。
友達でいるのも、いないのも。
彼はきっともっと深い意味で言ってるのだろうけど、そこまで頭が及ばないさぬには、その優しい言葉はとんでもなく突き放されたような気がします。
わがままだろうし、いつも全力出し切ってないようにみえるんでしょうし、甘えているんだと思う。
さぬは彼らに出会って、それが少しずつでも変わっていったように思えました。
プライドのかたまりだなんて、言っていいことと悪いことがあるって思ったけど。
どうでも良くなった。
自尊心が高いのかとか、そんなのどうでもいい。
もういい。
作品はさぬにとって大切だから、なにを言われたっていい。
惑わすような事をいってふらふらさせられるのにも飽きたし、疲れた。
何が逃げで甘えなのかわからない、知っていかないといけないけど、まだわからない。
いい意味で本当にどうでも良くなって、いつかまた彼らの言葉の重さに気がついたら、またそのときに考える。
今はひたすら打ち込む時期、ああだこうだ考えても答えはでないから。
結果がついてくればそれでいい。

ううう、なんだかすごく嫌味だな!
全部いやだ!
もうわからん!

三と思しき数字とて

2009年05月22日 11時38分56秒 | Weblog
個性と個人はどういった違いがあるんでしょうか
そもそも同列に並べるものだっけ
個性は個人の持つものだから違いとか言うのはおかしいのかな
それはともかく、人それぞれ思うところがあるのだから。
一方的な価値観を押し付けるのはおかしいんじゃないかなあ。
だけど友達同士じゃなく、なにかに属している団体の一員同士なら、その団体が持つ価値観は守らなくちゃならないんだろうなあ。
難しいなあ。
さぬにはあの人たちが何を言っているのか何を表現したいのかは分からない領域だけど、彼らが本気で目標に立ち向かっているのは分かった。
だから、彼らの団体に属しようものなら、それこそ気持ちを丸裸にして打つかって立ち向かわなきゃならない。
それが苦しいのか楽しいのかは、さぬには分からないけれど。
同じ事をしていても、心持が違うのなら同じようにはできないもんね。
だけど喧嘩腰になるのはよくないなあ、でもそうやってお互いにぶつかり合うという彼らのスタンスだからしょうがないのか。
男の友情は良く分からないさぬでした。
見守る事しか出来ないなあ、口なんか出せないよ。
フォローなんて誰も求めていないもんね。

到底緻密な三角形にも

2009年05月12日 23時12分14秒 | Weblog
今日はお姉ちゃんの誕生日でした。
一人暮らしをしているので、電話で喋りながら近況やら色々はなしました。
凄く楽しかったです。
小さいころから、何か悩んだらすぐにお姉ちゃんに相談してたなあ。
お姉ちゃんが悩んだとき、さぬはちゃんと力になれているのかな。
なれているといいんだけどなあ。

もやもやがまだ続いているようで、飽き性は治りようがなさそうです。
別にいいんだけれども、お互い後悔するんだろうねって言いながら、結局解決しないままです。
解決させたくないんだろうな、どこかでこのままあやふやなままにしておけば、それでいつかまた、前みたいにたくさん話せるんじゃないかな、って。
口をきいていないわけじゃないけど、たぶんいい意味で距離が開いてしまったんだと思います。
都合のいい友達でいようねって言い合ったけれども、これが本当の都合のいい距離なんだろうな。
だけど、そんな都合のいい距離からも離れたくなります。
相手にとって都合のいい距離も、さぬにとって都合のいい距離かどうかは、結局のところさぬにしか、わからないことなんですし。
だって、そうでしょう。
いくら、さぬの次の言動が予想しやすくったって、さぬの未来全部を見通せるわけじゃない。
三文小説で読んだような手口で、さぬはあっさりと動かされているわけじゃない。
こういってしまえば、いうと思ったといわれるのが関の山なんですけどね。
それも、いいか。
と思ってしまうのが、さぬの悪いところなんだろうかなあ。
ちょっともやもや考えてみて、別にいいかもって思ってしまったりする。
ぐるぐる同じところばっかり回っているようで、回っていないんだろうな。
後悔しても、どうも変わらない。
うだうだしてるくらいなら、忘れてしまえばいい。
そのうち、思い出したくなったら思い出すだろうし。
問題を挿げ替えるのは良くない事だ!


遠巻きに見送るんです

2009年05月06日 16時18分59秒 | Weblog
客観的な意見って本当に大事なんだと思います。
親しい友人に作品を見てもらって、これは見た人が面白いと思ってくれるのかな。
という意見を貰いました。
確かにそうだと感じました、捻って考えたものも、相手に全く伝わらなければ意味がないですもんね。

ちょっと悔しいのでがんばらねば。

自分の世界に引きこもるのも楽しいんだよなあ。
好きなように妄想して、好きなように描いて。
しげしげとそれを眺めて読み直して。
やっぱり楽しいんだよな。
でもそれじゃあ、いけないんですよね。
見てもらいたいって、思うならそれはなおさらダメなんでしょうね。
たまにはいいのかなあ。


さてはて

2009年05月02日 19時14分40秒 | Weblog
甘えと逃げ、というのはどういったものなのでしょうか
さぬは部活を辞めようと思っています
でも、それが逃げや甘えでもないと思っていたのは、さぬにやりたい事が出来たからだったんです。
気に病むことでもないんでしょうけど、やっぱり言われるとちょっと気になったりして。
でも、それを口実にうだうだするほうが、甘えであり逃げのように思います。
さぬの中で結論が出ているのだから、仕方ない事なんでしょうね。


もんはれ

2009年04月12日 23時37分01秒 | Weblog
写真が上手く焼けていたのでうれしかったです
濃い色合いの方が好みだけど、遠くから見たらコントラストが悪いといわれたので修正しないといけなくなりました
ちょっとがっかり

いくら口でがんばるって言っていたとしても身体が追いついていないと意味がないと思いました。
毎日楽しくて、充実しているように思えるけれど、そこに大きな落とし穴があるのかもしれない。
楽しいだけじゃだめなんだ、物足りない何かを追求しないとだめなんだ。
そう思えました。
悶々としているからこんなこと考えるのだろうけど、言葉の解釈って難しいですね。
実は単純だったりすることもあるけど、一言でまとめられると、なんだか詮索したくなります。
実は、実は、といった具合に。
頭の中で何通りも回答が浮かんでは消えます。
でも実際どれが正しいのかは、その言葉を発した人にしかわかりえないのでしょうね。
受け止める側として、色々考えて結論はだすけど。
とりわけ深いような事でもなさそうなので、もう考えなくてもいいのかな。
不安な気持ちや、焦りがたくさん入り混じって、何気ない一言にも惑わされるのだろうな。
しっかりしないと、すぐに見失ってしまいそうです。
そうなるのは困るので、しっかり注意してざっくりすすんでいこうかと思いました。

ふいぐい

2009年03月12日 21時40分09秒 | Weblog
明日は早番だ!
ちょっとだけめんどうだったりして

何かをするのにエネルギーが必要です
そこらへんにあるけど
明日はそうも行くまいって思う
どうなってしまうんだろうなあ
そこは氷山の一角にしか過ぎないんだよって
そう思えば良い話なんだってね

極端な事なんですよね
さぬは両立ができないんです
認めないと前に進めないので、悪いことも認めます
あっちこっち頭が回らなくなってしまうものだから
そうなってしまうのは、いまのさぬにとっては不都合な事なんです
今、自分が何をしたいのかもう一度見つめなおして。
そっからまた考えて進んでいかないといけない

だから明日は一日気まずい思いをしなくちゃならないけれど
乗り越えていかねば

でもちょっとだけ面倒くさかったりします

かめらっこ

2009年03月11日 17時08分17秒 | Weblog
好きな人がライバルなら仕方ないですね
負けないように日々精進してまいりましょうか
だけどさぬにとって彼はライバルではないです
一緒に切磋琢磨している友達であり、頼りになる仲間です
大切な存在で、欠かすことの出来ない人です
だから毎日会ってても嬉しくて、たまに会ってもうれしい
この前は人混みの中、目を凝らして探すのがとても面白かった
どこにいてもすぐに分かったし、いつものように話せたから
それに、昨日電話したときも、まるで目の前にいるように話せた
とてもうれしいけど、まだまだ人肌恋しい冬の日です
一昨日始めて手を握ったけれど
熱かったさぬの手に比べて向こうは冷たかったけど湿ってた
人の手が好きです、写真に取るのも、絵に描くのも
そこにある手が動いてこれから何が生まれるんだろうと思うと
毎日嬉しくてたのしい
だから次の写真展には「手」の写真をだそうかな
頭の中は自分の写真でいっぱいになってしまって
仕事はうまくはかどりません
さぬは勝手だから勝手な事をいいますと
営業写真は撮れません、心のどこかでつまらないと思いながら
撮られるだなんんてお客さんもたまったもんじゃないでしょうし
さぬには向いてなんです、どんな笑顔も大好きで
その一瞬を手伝えるステキなお仕事だとしても
自分勝手だから仕事は出来ません
これ以上がんばっても、この気持ちは持上らないでしょうね
向き不向きを真剣に考える事は間違ってはないと思います
どこに向かっていくと思いますか、その先には何がありますか
そこで何をしたいですか、何がほしいですか
面倒だからほうっておいたけど、このままでも何もおもしろくない
そう思って踏み出した一歩一歩に確実にさぬは踊らされています
やってみたいしてみたい
好奇心が人を動かすのならそれでいいかもしれないけれど
それはいつか拘束されてしまう
だんだん狭まる道の中を細分化してまた広がっていく
でこぼこしているのはただの思い込み
何がありますか、何がおこりますか
何かわかりますか、それが絶対ですか
逃げ道なんていくらでもある
人のために生きていないのだからそれは同じ事
誰かを助けるのも協力するのも自分のためであります
その中で相手のためになっているのかもしれないです
相手のためにしてみる事が自分のためになってしまうのも
じぶんを前提において物事を考えてみるのも楽しいのかも
自分を何処になじませるのかが全然分からなかったけど
なじませなくったって別にいいんだなって少し思い始めた
迷惑かけなきゃいいやなんておもってはないけど
自分の全てをあわせなきゃならないなんてことは
しなくていいんだなあって少しだけ思いました