去年、アマチュア無線局の免許が失効した。
「この際、止めるか?」
という気持ちもあって放置していたが、ほぼ半世紀馴染んできたコールサインに未練が残り、新規に申請して再度同じコールサインで開局した。
今後は、細々だがCWを主体に運用することにした。
そこで、
今夏の暑さに怯み、つい家に籠もりがちになっていたところにきて、暇を持て余して作ったのがこれ。
CMOS IC を使ったエレクトロニックキーヤ。
以前、1台作っていたが、あまり使うことも無く行方不明となっていたので新たに作った。
今回、こだわったのは「見てくれ」
筐体は薄型にするため、手元にあった20ミリ×20ミリのC型アルミチャンネルを加工して使った。
側面には木製の側板をあてて雰囲気づくり。
厚さ20ミリの筐体に基板を収めるのは少々苦労した。
しかるに、電池は3ボルトのボタン電池(CR2477×2個)を使った。
この基板の実測電流が0.4mA、電池の性能は0.4mAで2000時間ということでセーフ。
ただし、トーンモニタをONにすると一気に10倍位に電流が増えるが通常は使わないので黙認することにした。
上から見たところ。
Cチャンネルにやたらとタップ穴があるが、これは失敗。
前面の操作パネルにあるツマミはスピード切替用のスイッチ。
通常これはボリュームだが、あえて5接点の小型ロータリーSWを使い、10~30WPMまでを5WPM毎に切り替える方式にした。
各スピードは短点のパルス巾をオシロで観測しながら半固定ポテンショで調整。
真ん中に20Φ位の小さなトーンモニタ用スピーカ。
これは、壊れたノートパソコンに付いていたものを流用。
上蓋は1.5tのアルミ板をサンドペーパーでまんべんなくこすって、ヘアーライン仕上げモドキ?
ベンチャーのパドルと並べてみた。

猛暑続きでゲンナリの毎日。
畑に行くのは行くが、早めに切り上げて逃げ帰ることが多い。
それでも、小玉スイカとカボチャのアーケードの下に入ると強烈な日差しが遮られホッとする。
緑陰の涼というのはいいもんだなと思うひと時。
スイカが直径10センチを超える程育ってきた。
今日は、スイカが自重で落ちないようにネットを使ったハンモックをかけてやった。
平年より少し早く梅雨が明けた。
今日は、雨でままならなかったカボチャとスイカの手入れをした。
余分な蔓を切ったり、誘引したり...。
直径4センチ程になったスイカ。
小さいが、うまく受粉したとみられる小さなものが他に5個ほど。

心配したカボチャもやっと実になりそうなものが出来ている。
今のところ2個。

カボチャとスイカのアーケード(外観)

同じく内側。
梅雨明けの日差しは、さすがに厳しかった。
作業の途中、時々ここに逃げ込んで涼を取った。
今日は、雨でままならなかったカボチャとスイカの手入れをした。
余分な蔓を切ったり、誘引したり...。
直径4センチ程になったスイカ。
小さいが、うまく受粉したとみられる小さなものが他に5個ほど。

心配したカボチャもやっと実になりそうなものが出来ている。
今のところ2個。

カボチャとスイカのアーケード(外観)

同じく内側。
梅雨明けの日差しは、さすがに厳しかった。
作業の途中、時々ここに逃げ込んで涼を取った。

スイカとカボチャを植えるにはなにぶん狭い畑。
いろいろ考えた末、今年は畑の真ん中にある小さな通路上にアーケードを作りスイカとカボチャを這わせて育てることにした。
6月4日、苗の植え付けが終わったアーケード。
ひと月後のアーケード。
スイカがやっと小さな実を付け出した。
カボチャは勢い良く蔓を延ばし花は付けているが、どういうわけか実らしいものが見当たらない。
隣合わせに植えたトウモロコシの花にたくさんのミツバチが集まって賑やか。
何故かこれまで、まともに実の詰まったトウモロコシが採れたことがなかったが、今年は期待できそうだ。
そして、梅雨明けの頃には緑のアーケードが楽しめるかも知れない。
今年もスズメバチの巣に驚かされた。
しかも、こともあろうに玄関ポーチの上!
毎日ここを出入りしている我々は気付かなかったが、たまたま帰省していた娘が見つけて騒ぎとなった。
何でまたこんな所にと思い、良く見ると
天井に打ってあったヒートンに巣を作っている。
見つけた昨夜のうちに薬剤で退治。
一夜明けて、巣を取り除き中を見てみると、、
巣の中には小さな幼虫。
じっと見ていると、殺生をしてしまったなと思う。
しかし、頭上にこんなものがあっては放っておく訳にはゆかない。
去年もスズメバチ退治をしたが、今年もやろうとは思わなかった。
この家のどこが気に入って巣をつくるのやら、、、。
念のため、家の周りを入念に調べてみたが他には巣は無かった。
しかし、しばらくは注意して見ておく必要がありそうだ。
畑に専念するようになって暫らく遠ざかっていたが、今日は久し振りに山歩き。
新緑の頃は、眺望の開けた明るい山が良い。
という訳で、九千部岳へ。

10時頃、今日は比較的楽な第2吹越の登山口から登り始める。

分岐点。

ここからが胸突き八丁。

比較的楽なコースとは言え、こんなところもある。
思わず、
「よいしょ!」
「どっこいしょ!」
「おっとっと!」
と、自分にはっぱをかける。

ヒカゲツツジやミツバツツジは見掛けるが、まだ、本格的なのつつじの開花には少し早い。
連休明けの頃か?
今年は国見岳のツツジを見に来ようかなどど考えながら頂上を目指す。

新緑が萌え出した明るい山肌。
「やっぱり、山はいい!」
と思う瞬間。

御山雲仙に足を向けるのは恐れ多いが、、、。
山頂の少し手前にあるお気に入りの岩場。
少しおっかないが、天空にいる気分になる。
尾根に突き出た岩の上に腰を下ろし、昼食のおにぎりを食べながら眼下の絶景を満喫。

ここは雲仙。
山で汗をかけば温泉が待っている。
いつもの「小地獄温泉」で汗を流す。
「山歩き」に「温泉」とくれば、やはり「ビール」といきたいところだが、、、。
牛乳と温泉タマゴで締めくくり。
新緑の頃は、眺望の開けた明るい山が良い。
という訳で、九千部岳へ。

10時頃、今日は比較的楽な第2吹越の登山口から登り始める。

分岐点。

ここからが胸突き八丁。

比較的楽なコースとは言え、こんなところもある。
思わず、
「よいしょ!」
「どっこいしょ!」
「おっとっと!」
と、自分にはっぱをかける。

ヒカゲツツジやミツバツツジは見掛けるが、まだ、本格的なのつつじの開花には少し早い。
連休明けの頃か?
今年は国見岳のツツジを見に来ようかなどど考えながら頂上を目指す。

新緑が萌え出した明るい山肌。
「やっぱり、山はいい!」
と思う瞬間。

御山雲仙に足を向けるのは恐れ多いが、、、。
山頂の少し手前にあるお気に入りの岩場。
少しおっかないが、天空にいる気分になる。
尾根に突き出た岩の上に腰を下ろし、昼食のおにぎりを食べながら眼下の絶景を満喫。

ここは雲仙。
山で汗をかけば温泉が待っている。
いつもの「小地獄温泉」で汗を流す。
「山歩き」に「温泉」とくれば、やはり「ビール」といきたいところだが、、、。
牛乳と温泉タマゴで締めくくり。
今朝、カミさんから意外な所への誘いを受けた。
どこかというと、「長崎歴史文化博物館」
今、「幕末長崎古写真展」を開催中で、それを見に行こうという訳。
「龍馬と彦馬 維新の眼差し」という副題も付いている。
龍馬で熱くなっている今ならではの企画展だ。
面白そうだったので、誘いに乗り出かけた。
上野彦馬のものを中心に数多くの古写真を見ることが出来た。
なかでも、印象に残ったものの1つに佐賀藩の英語塾「致遠館」の塾生と教師フルベッキが写った写真。
そこにある若い塾生の眼差しは、その志を映してきっちりと焦点が合っていて、力強く清清しい。
総じて、古写真とはいえ時代の空気を感じさせるものも多く、感心したり驚嘆したり。
2時間余り、ゆっくりと見て廻った。
さて、
帰り際に博物館の中庭にあるレストラン「銀嶺」でコーヒーブレイク。
カミさんはこのお店の名前をしきりに懐かしがっていた。
長崎で青春時代を過ごした団塊の世代にとっては馴染みの場所だったようだ。
カミさんがお店の人に尋ねたところによると、今は懐かしの場所にお店は無く、ここに引っ越してきたとのこと。
どこかというと、「長崎歴史文化博物館」
今、「幕末長崎古写真展」を開催中で、それを見に行こうという訳。
「龍馬と彦馬 維新の眼差し」という副題も付いている。
龍馬で熱くなっている今ならではの企画展だ。
面白そうだったので、誘いに乗り出かけた。
上野彦馬のものを中心に数多くの古写真を見ることが出来た。
なかでも、印象に残ったものの1つに佐賀藩の英語塾「致遠館」の塾生と教師フルベッキが写った写真。
そこにある若い塾生の眼差しは、その志を映してきっちりと焦点が合っていて、力強く清清しい。
総じて、古写真とはいえ時代の空気を感じさせるものも多く、感心したり驚嘆したり。
2時間余り、ゆっくりと見て廻った。
さて、
帰り際に博物館の中庭にあるレストラン「銀嶺」でコーヒーブレイク。
カミさんはこのお店の名前をしきりに懐かしがっていた。
長崎で青春時代を過ごした団塊の世代にとっては馴染みの場所だったようだ。
カミさんがお店の人に尋ねたところによると、今は懐かしの場所にお店は無く、ここに引っ越してきたとのこと。
【 手術日の変更 】
3月29日、担当のドクターから電話があり、手術日変更の打診。
こちらは毎日が日曜で暮らしている身、予定にこだわる理由は無いので承諾した。
4月3日の予定を5日に変更。
【 採血と説明 】
3月30日、事前の検査のため病院へ。
身長・体重・血圧の測定に続いて採血。
「今日は多めに採りますよ」
と、看護士さん。立て続けに5本ほど採られた。
初めは勢い良くカートリッジの中に飛び出していたが5本目に近くなると、少し勢いがなくなってきたように見えたのは気のせいか?
ドクターの説明に続き、看護士さんから入院についての説明。
準備品その他について書かれた「入院のご案内」なる紙を渡された。
最後に口頭で、
「毛を剃ってきてくれませんか?」
最初、何のことだか解らず一瞬返事が遅れたためか、
「何でしたら、こちらで剃ってあげてもいいですよ」と、
重篤な病人ならいざ知らず、そんな事まで看護士さんにしてもらう訳にはいかんと思い、
「いや、もちろん自分でやりますよ」と答えた。
「助かります」と、看護士さん。
重ねて、「左右とも全部、お願いします」とも。
術後しばらくは寂しい思いをしなくてはならないようだ。
【 入院前日 】
入院グッズの準備。
着替え、洗面具などはカミさんが全て揃えてくれた。
問題は一週間もある入院の日々をどうやって過ごすかということ。
思いつくまま、文庫本数冊、ラジオ、iPodをバッグに放り込んだ。
【 入院初日/沐浴 】
朝6時に起床、シャワーを浴びて身を清める。
ついでに、看護士さんの指示通り「左右とも全部」剃った訳だが、これが意外と手間の掛かるものだった。
【 点滴 】
病室で着替えた後、早速看護士さんの点検を受け、少し手直しのカミソリが入った。
そして、「意外と難しかったでしょう?」
と労いの言葉?
その後、すぐに点滴が始まった。
ベッドに横になり、点滴が落ちるのを時々横目で見やり、カミさんと冗談を交わしながら手術の時間を待った。
時々カミさんが、
「麻酔が切れたら、痛いよ~!覚悟して!」
と、さかんにこちらを脅しているつもりらしいが、何しろメスが入る手術は初めてなので、痛みを想像もできないし、覚悟のしようがない。
【 手術室 】
車椅子に乗せられ、点滴のスタンドを自分の両手で支えながら手術室に向かう。
13時45分 入室
初めて見る手術室にどういう訳か「厨房」を連想した。
こちらは今から「俎上の鯉」になるのであるから、あながち的外れの連想でもないな、と納得しながら巾の狭い手術台に上がると、今までTVドラマなどでしか見ることが無かった、例の照明装置が威圧するように頭上に迫っている。
【 麻酔 】
血圧や心拍の測定器具を取り付けられた後、麻酔をするため手術台の上で横向きになり、エビのように背中を丸めるよう促されたが、狭い手術台から落ちはしないかと心配した。
腰椎に数箇所麻酔の注射。痛みよりむしろ熱いと感じた。
ここまで来ると、もうどうにでもしやがれ!という気分になる。
さて、麻酔が効いた状態を言葉で表すのはちょっと難しいがあえて視覚的に喩えると、
― 腰から下が暗闇の中にありよく見えないという感じ
― しかし、触られると微かにピリピリした感覚はあるので、良く見ると、麻酔で見えなくなった下半身がかすかに点線で描かれている
と云ったところだろうか?
ドクターや看護士さんのやり取りと器具の音などは聞こえるが、見えるのは仰向けになって目が動く範囲のみで、天井と照明装置、ドクターの頭の上半分くらいしか見えない。
しばらくして、ドクターが下半身の要所要所をアルコールに浸したガーゼのようなもので撫でてその都度感覚を聞いてきた。麻酔の効き具合の確認だ。
OKのようだ。
【 手術開始 】
下腹部にピリピリッとした感覚があったと思ったら、目の前を一筋の煙が立ちのぼり皮膚が焼ける臭い。
電気メスだ。ついに俺も傷ある身になったか!と思った。
手術の進行に伴い、時々腹部が引き攣られる様な感覚が度々あって、その都度頭の中では手術の様子を想像し、傷口をかばうかの様に反射的に肩や腕に力が入る。
― これじゃ、手術が終わる時はクタクタだろうな?
― まだ終わらんのかな?
などと考えていると、ドクターから、
「これから、メッシュを入れますよ」
と声をかけられた。
どうやら、手術は終りに近くなったようだ。
それからややあって、何やらホッチキスでパチンパチンと止めるような音が数回して、傷口に何か貼り付けたりする処置の後、
「終わりましたよ」と、ドクター。
こちらはいささか気分的にヘトヘトになっていたので、とっさに、
「どうも、お疲れ様でした」
手術室を出る時、壁の時計を見たら15時少し前。予定通り、1時間足らずで終わった。
後で知ったが、あのパチンパチンは「スキンステープラー」と云うらしい。
てっきり針と糸で縫い合わせるものとばかり思っていた。
【 ストレッチャー 】
帰りはストレッチャーに乗せられ病室へ。
待っていたカミさんと娘が声を掛けてきた。
まさに、これはTVドラマのワンシーンじゃないかと思いながら、ここでは何か云って返すんだろうなと思ったが面倒臭くなって、
「・・・」
【 生傷の痛み 】
病室のベッドに戻ってからは、時間の経過とともに麻酔が切れて痛みが出てきた。
見えなくなっていた下半身が見えてきた感じだが、まだピリピリした感覚は残っている。
やっと自分の意思で足の指先を動かせるようになったが、腰から下が非常に重く感じる。
術後3,4時間でほぼ麻酔が切れた。
痛みはカミさんが脅した程でもないと思ったが、まだまだ生傷なので身体を動かしたり咳をしたりすると痛い。
笑っても痛いのにカミさんが娘と一緒になって笑わせようとする。
今日は点滴のみで食事は無しだそうだ。朝から何も食べていないのでさすがに空腹感がある。カミさんにそう云うと、
「明日まで我慢!そのかわり3人でおいしい食べ物の尻取りでもしようか?」
などと、さんざん悪態をついて二人は帰って行った。
【 トイレ 】
術後初めてトイレに行く時は看護士さんを呼ぶように云われていた。
麻酔の影響が残っていて転倒したりする場合があるそうだ。
夜9時頃トイレに行きたくなったので介助をしてもらってベッドから起き上がる。
歩くのはさすがに痛かった。
【 iPod 】
トイレからやっとの思いでベッドに戻ったが、痛みで眠れそうになくiPodを取り出して音楽で気を紛らわすことにした。
お腹に力の入る演歌やポップスよりクラシックだろうと思って、入院前にクラシックのアルバムを4枚程入れておいたのだ。
やはり、こういう時は静かな音楽に限る。なかでもバロックを繰返し聞いた。
【 二日目 】
朝、普通の食事が出た。
一日半振りの食事、全てたいらげた。
食べ物でお腹に力が戻ったせいか、痛みはまだ残っているものの随分楽になってきた。
しかし、その分退屈になってきた。
早速、持ってきた本を取り出し読み始めたが、昨夜の寝不足に加え痛み止めを服用しているせいか頭が少しボーッとしていて疲労感もあり、すぐに眠くなって続かなかった。
結局、ベッドの上で寝ては覚め、覚めてはうつつの1日を過ごした。
夜、同室のオヤジのにぎやかな鼾で度々目を覚ました。
カミさんによれば、自分も鼾をかくらしいので「お互い様」ということになるが、先に目を覚まさせられた方は、自分のことはそっくり棚に上げても罵りたくなる。
が、我慢するしかない。
― 明日は忘れずに耳栓を持ってきてもらおう。
【 シャワー 】
3日目、くしゃみなどをすればまだ痛いが、普段の所作では殆んど痛みを感じなくなって来た。
新緑が美しい向かいの山を病室の窓からうらめしく眺め、気晴らしに廊下を行ったり来たりしてインドアウォーキング。
午後からシャワーを浴びてさっぱりした。
術後初めてのシャワーで、傷口に貼ってあるシールテープが剥がれないか心配したが大丈夫だった。
看護士さんから聞くころによると、汗を通し、カブレも少ない特殊なテープらしい。
分厚くガーゼを当てる時代ではないようだ。
今日は、耳栓を持ってきてもらったので安眠できるだろう。
【 読書三昧 】
というか、これしか時間をこなす術がなかった。
退院の日まで、殆んど本を読んで過ごした。
ベッドに寝転んだり腰掛けたり、時には窓辺の椅子に座って。
本は、「古代からの伝言/八木荘司/角川文庫」。
ノンフィクションタッチで日本書紀の世界を再現したシリーズもので、既に読んではいたが、面白く読み応えがあったので、この機にまた読み直すために持ってきたものだ。
【 退院 】
4月12日。
長くもあり短くもあった1週間が経ち、退院の日となった。
朝8時過ぎ、外来診察が始まる前にドクターが病室に来て抜糸。
抜糸といっても、縫合は「ホッチキス」だったので糸ではなく、ステンレスの細い針金を「リムーバ」というニッパーに似た「工具?」で取り除くというもの。
少しチクッとするだけであっという間に終わった。
という訳で、初めての外科的手術を受けたが無事退院の運びになった。
多少痛い思いもしたが、退屈さを持て余すほどの事も無く、それなりに面白い非日常の時間を過ごすことができた。
3月29日、担当のドクターから電話があり、手術日変更の打診。
こちらは毎日が日曜で暮らしている身、予定にこだわる理由は無いので承諾した。
4月3日の予定を5日に変更。
【 採血と説明 】
3月30日、事前の検査のため病院へ。
身長・体重・血圧の測定に続いて採血。
「今日は多めに採りますよ」
と、看護士さん。立て続けに5本ほど採られた。
初めは勢い良くカートリッジの中に飛び出していたが5本目に近くなると、少し勢いがなくなってきたように見えたのは気のせいか?
ドクターの説明に続き、看護士さんから入院についての説明。
準備品その他について書かれた「入院のご案内」なる紙を渡された。
最後に口頭で、
「毛を剃ってきてくれませんか?」
最初、何のことだか解らず一瞬返事が遅れたためか、
「何でしたら、こちらで剃ってあげてもいいですよ」と、
重篤な病人ならいざ知らず、そんな事まで看護士さんにしてもらう訳にはいかんと思い、
「いや、もちろん自分でやりますよ」と答えた。
「助かります」と、看護士さん。
重ねて、「左右とも全部、お願いします」とも。
術後しばらくは寂しい思いをしなくてはならないようだ。
【 入院前日 】
入院グッズの準備。
着替え、洗面具などはカミさんが全て揃えてくれた。
問題は一週間もある入院の日々をどうやって過ごすかということ。
思いつくまま、文庫本数冊、ラジオ、iPodをバッグに放り込んだ。
【 入院初日/沐浴 】
朝6時に起床、シャワーを浴びて身を清める。
ついでに、看護士さんの指示通り「左右とも全部」剃った訳だが、これが意外と手間の掛かるものだった。
【 点滴 】
病室で着替えた後、早速看護士さんの点検を受け、少し手直しのカミソリが入った。
そして、「意外と難しかったでしょう?」
と労いの言葉?
その後、すぐに点滴が始まった。
ベッドに横になり、点滴が落ちるのを時々横目で見やり、カミさんと冗談を交わしながら手術の時間を待った。
時々カミさんが、
「麻酔が切れたら、痛いよ~!覚悟して!」
と、さかんにこちらを脅しているつもりらしいが、何しろメスが入る手術は初めてなので、痛みを想像もできないし、覚悟のしようがない。
【 手術室 】
車椅子に乗せられ、点滴のスタンドを自分の両手で支えながら手術室に向かう。
13時45分 入室
初めて見る手術室にどういう訳か「厨房」を連想した。
こちらは今から「俎上の鯉」になるのであるから、あながち的外れの連想でもないな、と納得しながら巾の狭い手術台に上がると、今までTVドラマなどでしか見ることが無かった、例の照明装置が威圧するように頭上に迫っている。
【 麻酔 】
血圧や心拍の測定器具を取り付けられた後、麻酔をするため手術台の上で横向きになり、エビのように背中を丸めるよう促されたが、狭い手術台から落ちはしないかと心配した。
腰椎に数箇所麻酔の注射。痛みよりむしろ熱いと感じた。
ここまで来ると、もうどうにでもしやがれ!という気分になる。
さて、麻酔が効いた状態を言葉で表すのはちょっと難しいがあえて視覚的に喩えると、
― 腰から下が暗闇の中にありよく見えないという感じ
― しかし、触られると微かにピリピリした感覚はあるので、良く見ると、麻酔で見えなくなった下半身がかすかに点線で描かれている
と云ったところだろうか?
ドクターや看護士さんのやり取りと器具の音などは聞こえるが、見えるのは仰向けになって目が動く範囲のみで、天井と照明装置、ドクターの頭の上半分くらいしか見えない。
しばらくして、ドクターが下半身の要所要所をアルコールに浸したガーゼのようなもので撫でてその都度感覚を聞いてきた。麻酔の効き具合の確認だ。
OKのようだ。
【 手術開始 】
下腹部にピリピリッとした感覚があったと思ったら、目の前を一筋の煙が立ちのぼり皮膚が焼ける臭い。
電気メスだ。ついに俺も傷ある身になったか!と思った。
手術の進行に伴い、時々腹部が引き攣られる様な感覚が度々あって、その都度頭の中では手術の様子を想像し、傷口をかばうかの様に反射的に肩や腕に力が入る。
― これじゃ、手術が終わる時はクタクタだろうな?
― まだ終わらんのかな?
などと考えていると、ドクターから、
「これから、メッシュを入れますよ」
と声をかけられた。
どうやら、手術は終りに近くなったようだ。
それからややあって、何やらホッチキスでパチンパチンと止めるような音が数回して、傷口に何か貼り付けたりする処置の後、
「終わりましたよ」と、ドクター。
こちらはいささか気分的にヘトヘトになっていたので、とっさに、
「どうも、お疲れ様でした」
手術室を出る時、壁の時計を見たら15時少し前。予定通り、1時間足らずで終わった。
後で知ったが、あのパチンパチンは「スキンステープラー」と云うらしい。
てっきり針と糸で縫い合わせるものとばかり思っていた。
【 ストレッチャー 】
帰りはストレッチャーに乗せられ病室へ。
待っていたカミさんと娘が声を掛けてきた。
まさに、これはTVドラマのワンシーンじゃないかと思いながら、ここでは何か云って返すんだろうなと思ったが面倒臭くなって、
「・・・」
【 生傷の痛み 】
病室のベッドに戻ってからは、時間の経過とともに麻酔が切れて痛みが出てきた。
見えなくなっていた下半身が見えてきた感じだが、まだピリピリした感覚は残っている。
やっと自分の意思で足の指先を動かせるようになったが、腰から下が非常に重く感じる。
術後3,4時間でほぼ麻酔が切れた。
痛みはカミさんが脅した程でもないと思ったが、まだまだ生傷なので身体を動かしたり咳をしたりすると痛い。
笑っても痛いのにカミさんが娘と一緒になって笑わせようとする。
今日は点滴のみで食事は無しだそうだ。朝から何も食べていないのでさすがに空腹感がある。カミさんにそう云うと、
「明日まで我慢!そのかわり3人でおいしい食べ物の尻取りでもしようか?」
などと、さんざん悪態をついて二人は帰って行った。
【 トイレ 】
術後初めてトイレに行く時は看護士さんを呼ぶように云われていた。
麻酔の影響が残っていて転倒したりする場合があるそうだ。
夜9時頃トイレに行きたくなったので介助をしてもらってベッドから起き上がる。
歩くのはさすがに痛かった。
【 iPod 】
トイレからやっとの思いでベッドに戻ったが、痛みで眠れそうになくiPodを取り出して音楽で気を紛らわすことにした。
お腹に力の入る演歌やポップスよりクラシックだろうと思って、入院前にクラシックのアルバムを4枚程入れておいたのだ。
やはり、こういう時は静かな音楽に限る。なかでもバロックを繰返し聞いた。
【 二日目 】
朝、普通の食事が出た。
一日半振りの食事、全てたいらげた。
食べ物でお腹に力が戻ったせいか、痛みはまだ残っているものの随分楽になってきた。
しかし、その分退屈になってきた。
早速、持ってきた本を取り出し読み始めたが、昨夜の寝不足に加え痛み止めを服用しているせいか頭が少しボーッとしていて疲労感もあり、すぐに眠くなって続かなかった。
結局、ベッドの上で寝ては覚め、覚めてはうつつの1日を過ごした。
夜、同室のオヤジのにぎやかな鼾で度々目を覚ました。
カミさんによれば、自分も鼾をかくらしいので「お互い様」ということになるが、先に目を覚まさせられた方は、自分のことはそっくり棚に上げても罵りたくなる。
が、我慢するしかない。
― 明日は忘れずに耳栓を持ってきてもらおう。
【 シャワー 】
3日目、くしゃみなどをすればまだ痛いが、普段の所作では殆んど痛みを感じなくなって来た。
新緑が美しい向かいの山を病室の窓からうらめしく眺め、気晴らしに廊下を行ったり来たりしてインドアウォーキング。
午後からシャワーを浴びてさっぱりした。
術後初めてのシャワーで、傷口に貼ってあるシールテープが剥がれないか心配したが大丈夫だった。
看護士さんから聞くころによると、汗を通し、カブレも少ない特殊なテープらしい。
分厚くガーゼを当てる時代ではないようだ。
今日は、耳栓を持ってきてもらったので安眠できるだろう。
【 読書三昧 】
というか、これしか時間をこなす術がなかった。
退院の日まで、殆んど本を読んで過ごした。
ベッドに寝転んだり腰掛けたり、時には窓辺の椅子に座って。
本は、「古代からの伝言/八木荘司/角川文庫」。
ノンフィクションタッチで日本書紀の世界を再現したシリーズもので、既に読んではいたが、面白く読み応えがあったので、この機にまた読み直すために持ってきたものだ。
【 退院 】
4月12日。
長くもあり短くもあった1週間が経ち、退院の日となった。
朝8時過ぎ、外来診察が始まる前にドクターが病室に来て抜糸。
抜糸といっても、縫合は「ホッチキス」だったので糸ではなく、ステンレスの細い針金を「リムーバ」というニッパーに似た「工具?」で取り除くというもの。
少しチクッとするだけであっという間に終わった。
という訳で、初めての外科的手術を受けたが無事退院の運びになった。
多少痛い思いもしたが、退屈さを持て余すほどの事も無く、それなりに面白い非日常の時間を過ごすことができた。