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「丁度よい」  藤場美津路作

2016-06-08 05:08:28 | 日記
石川県の大谷派常讃寺坊守藤場美津路さんが30年ほど前に作ったと言う
良寛作と間違って伝えられた時期もあったらしい
その経緯はどうあれ 響く詩ではある


人の顔が 一人として同じ顔がない様に
人の心は 一人として同じ心はない
が 何か共通した 普遍的類似はある
だから 心惹かれるのだろう

自分も70になってわかったのは
なにもわかっていない と言うことが なんとなくわかっただけ

諦めとも投げやりでもないが
自分も世間様もなるようになって行くし
起きる現実は 世間様が 自分が 歩いてきた結果である と言う事だけだ

残念に思ったり 後悔したり
怒ったり 悲しんだり 喜んだりもしたが
ま いいか それでいいかな とも 思うようになった

いい 悪いの分別は 案外無用であった
とても難しいが 全てを受け入れるのが
楽であるのかも知れない かもな と

そして それでもなおかつ

心が自由でありたい と 願うようになった
でも その願いがかなおうと かなうまいと
どっちでも いいかな と





「丁度よい」藤場美津路作

お前はお前で丁度よい
   
顔も体も名前も姓も    
お前にそれは丁度よい

貧も富も親も子も  
息子の嫁もその孫も 
それはお前に丁度よい
        
幸も不幸も喜びも悲しみさえも丁度よい

歩いたお前の人生は悪くもなければ良くもない  
お前にとって丁度よい

地獄へ行こうと極楽へ行こうと     
行ったところが丁度よい

うぬぼれる要もなく卑下する要もない  
上もなければ下もない                          
死ぬ月日さえも 丁度よい

仏様と二人連れの人生 
丁度よくないはずがない

丁度よいと聞こえた時  
憶念の信が生まれます 
南無阿弥陀仏


「我執のつぶやき」藤場美津路作

親ほどうっとうしい者はいない 
 
兄弟ほどめんどうな者はいない 

子供ほどやっかいな者はいない

夫ほど平凡で薄情な者はいない 

姑ほど邪魔なものはいない
 
だから離れ 軽蔑し 嫌い 反発した 

先生と宗教家ほど 偽善的なものはいない
だから信じることがなかった 
 
大嫌いな者は自分自身
愛そうとして愛しきれず 
信じようとして信じきれず 
ただ一人 孤独の淵を のたうち回る

こんな人間は生きている価値がないと思った
それは真っ暗い地獄をはいずり回っている気持ち
どうにでもなれ なるようになれ 
斜に構えたやけくそ人生 
死ぬに死なれず 生きるに生きられず




「おかげさま」かみどころじゅうすけ作


夏が来たら 冬がええといい  
冬になりゃ 夏がええと言う
      
借りた傘も 雨が上がれば邪魔  

金を持ったら 古びた女房も邪魔   

所帯持ったら 親さえも邪魔  
            
誰も彼も どこもかしこも かさかさ
乾ききった 味気ない この頃

衣食住は昔に比べりゃ 天国やが
上を見ては不平不満
隣を眺めては愚痴ばっかり
 
何で自分を 見つめないのか 
静かに考えてみるがええ 
一体自分って 何やろう
 
親のおかげ 先生のおかげ 
世間様のおかげ 
おかげの塊が 自分やないか
いくら長う生きても
幸せのど真ん中にいても
おかげさまが見えなけりゃ 
一生不幸


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