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昨日は江戸東京博物館にいってみた

2013-09-29 14:48:44 | 散歩

錦糸町で降り 駅中の立ち食い蕎麦屋で掻き揚げ蕎麦390円を食す
不味くもなく 美味しいと思うわけではない
でも掻き揚げはカリカリして揚げたてでそれなりに旨い
1500円払う蕎麦はきちんと旨い が 390円はそれなりの身にあった旨さがある

地下から地上へ出ると空は真っ青で 空気は乾いて お日様はそれなりに強かった
で 日陰を選んで 北斎通りを両国へ向かう
普通の街並みなのに 風景に微妙に個性がある 
用もないし時間の縛りもないし 細い路地を時折覗き込み 住んでる人の生活の日常を見る
近代高層マンションの各戸に洗濯物が翻り 敷布団や掛布団が垂れ幕のように干してある

スカイツリーが真北に見えたので写真を撮る
持ち運びに便利なように 富士フィルムのX20を買った
小さくてかさばらない ファインダーは付いてるが モニター画面も見ずシャッターを押す
どのように撮れてるかわからないのが 面白い

わずかな距離を30分以上かけて歩いた

博物館では モースの特別展があった
 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

観覧料一般は1520円であるが 65歳以上は中高生と同じ760円であった
夫婦二人で1520円 免許証を提示して購入する
なんか気が引けるが 有難い事でもある 浮いた分 飯代の足しにした

常設館はわりと飽きない 懐かしさが湧いてくる
アルマイトの水筒か 遠足の時はこれだった 
普段は下駄だったので 家に上がる時は足を雑巾で拭かないと怒られた
茶箪笥 蠅帳 お櫃 米櫃 長箒 子供時代これが普通の日常であった
これが当たり前であったから 不便も何も思ったことはなかった

敗戦直後 食糧不足の頃
ぼそぼその押し麦入りの外米ご飯 芋ご飯であったが 腹が減っていたので何でも旨かった
常に腹ペコであったので 食い物があるだけで満足だった

たかだか2、300年前 人々は何時ものように日常を送っていた
4代前の庄平爺さんの時代 ご先祖様はどのように暮らしていたのかな
3代前の 明治元年生まれの兵之助爺さんはどんな気持ちで あの文明開化の動乱期に北海道に渡ったのだろうか
当時の金で 200円だか300円を親の庄平から貰って三重県の 昔の関宿の本家から分家したらしいが
思い出しても 死んだ親父から詳しい事は聞いていない 少し聞いておけばよかったな

ジオラマを見ながら少し物思いに耽った
ご先祖様がいたから自分が今いるわけであって
そして自分もいずれ 未来の先祖になるわけで
当たり前だが 不思議だ

長い旅をして 北の果て北海道は札幌と函館くらいしか町らしい場所は無く
山川と無人の原野しかなかった頃 生活基盤を作るのは大変だったろうな

最近自分は世捨て人みたいになっている
世間様に リアルにどっぷり浸かりながら まるで他人事のように世間様を観察している自分がいる
これも不思議な感覚だ
きっと これが年を取ったと言う現実かも知れない
全てに 既視感が感じられ 好奇心が薄れてゆくような気がする
自分の事はどうでもよく でも 誰かの為 自分以外の事の為には少しは頑張れるような気がする

今日は家籠り 穏やかな日だ

 

 

 

 



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