ごとしんの日思月綴

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古いマンガは奥が深い(1)

2013-06-24 22:57:35 | 日記
近年のマンガは実に描写技術が素晴らしい。
知識も豊富に含まれており、マンガを読むだけで勉強になることが多いと思います。
それが日本のマンガ(アニメ)が世界中で評価されているゆえんでしょう。

しかし、解説がかなり細かくなってきているような気がします。
スポーツ系マンガで特にその傾向が強くなっているように思います。
その競技の詳細を知らない読者にとっては、その競技の魅力を知るには十分ですし、漫画家がその競技を愛するがゆえに描き上げるのだという意志を強く感じますが、その競技に興味のない読者を惹きつけるには、それだけでは不十分と思います。

マンガを通じて何を伝えたいのか?
その哲学というか、ストーリーの重いマンガは少なくなってきているように思います。

大家と呼ばれる?マンガ家の作品にはそのような哲学が感じられます。
例えば、手塚治虫氏。

「ブラックジャック」は有名な作品の一つですが、それには医学的知識がふんだんに描写されている(今となっては古いものが多いですが)だけでなく、人間の醜悪な部分や人情味あふれる部分も描写されています。
「人間」をテーマとした作品として、秀逸です。

私が最も評価している作品は,松本零士氏の「銀河鉄道999」。

当時の宇宙や地理・世界史に関する知識が随所に折り込まれているだけでなく,鉄郎が火星で降りて「なんてやせた土地だ。これじゃソバぐらいしか育たないなぁ」と言う箇所を読んで、ソバとはそういう作物なんだと初めて知りました。
また、進行方向に背を向けて座る方が衝撃に強いなど、生きていくための知恵がさりげなく埋め込まれているところが気に入っています。

松本零士氏も人間観察力が鋭いと見え、今でも読み返すと、現代社会の縮図が示されているなぁと思います。

例えば、「自分以外全部バカ学博士」。

自分以外はみんなバカだから全ての市民を追放するか処刑してしまい、地上には市長ひとりしかいない星の話。

数年前に、「他人を見下す若者たち~自分以外はバカの時代!」(速見敏彦著、講談社現代新書)を読んだときに、この話を思い出しました。
近年は自分以外はバカだと言わんばかりに他者を攻撃する首長が現れ、マスコミを賑わせています。
「上から目線」という言葉も氾濫していますが、結局は自己偏愛(ナルシシズム)な世の中になってきているのでしょう。

話の結末としては「自分以外全部バカ学博士」は滅びるのですが、自己偏愛の世界を批判する訳ではなく、読者に判断を委ねているところが奥深いと感じました。

人は誰もがそのような一面を持っている。
ゆえに他者を排除するか、尊重するか。

どちらが住みやすい世の中になるのでしょうか。