直感・直観

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環世界

2024-06-28 07:58:46 | メッセージ
遺伝子に大きな差を持つもの同士が本質的に理解し合うことはありません。理解し合うことが無いということが、逆に想像力と創造力を掻き立てます。人間は想像力と創造力を持った生き物で、その最大の触媒は、やはり異性でしょう。異性への関心は想像力と創造力の源なのです。芸術家に性的マイノリティが多いのもそのためです。

生き物が生き物である以上、相互理解は大変複雑なプロセスを必要とします。人間同士の相互理解は通常、言語によってなされますが、言語というツールは恣意性の強いツールで、異なる個体の脳内で展開される精神空間(インナースペース)を繋ぐツールとしては不完全極まりないツールです。言語が面白いのはその不完全性故に想像力と創造力が働くところですが、そのデメリットとして異なるインナースペースを繋ぐツールとしての未熟さがある訳です。人間の異性間における恋愛に関わるコミニュケーションはその典型的なパターンでしょう。

又、今後、テクノロジーの進化によって自動翻訳機が広く普及すると、言語のこの特徴は更に肥大化し、却って本当の、相互理解から遠ざかる危険性を含みつつ、新たなクリエイティビティを生み出すことでしょう。今のテクノロジーの進歩は第4次産業革命とも言われるほどに不連続なものになる可能性が指摘されていますが、これが現実のものとなると、世の中はガラリと変わってしまうでしょう。

情報革命時代にはあらゆる事象を言語化することの大切さが叫ばれますが、おそらくは、同時に、これまで以上に言語の限界を知るべき時代が到来しているとも言えるのです。言語以外の方法(広義の“記号”)によって他者を理解する(他者に理解してもらう)スキルを磨き続けていく必要があります。

人間が芸術を生み出した最大の理由は環世界の通信手段として優れているからです。単にその時の気持ちを言語化するだけでは相互理解が難しいことに気づいた人類は特定の異性以外の多くの他人と交流する手段を編み出したのです。主に聴覚や視覚を用いて。フィクションは伝えたい感情を架空の物語で伝えようとする通信手段ですが、あくまでも作り話。これに対し、フィクション以外の芸術には嘘がありません。

【直感・直観】人間同士の環世界を繋ぐツールとしてメジャーな“因果律”が全ての争い事の種?

特に異性間の行き違いはお互いが因果律によりコミニケートしようとする誤謬によるものが多く、説明責任の呪縛の中で関係が破綻するケースも頻繁に発生しているものと思われます。非言語的コミニケーションの積み重ねが不足しがちな関係性においては特に。非言語的コミニケーションは男性よりも女性の方が長けていて、そのギャップが破綻の原因となることも少なくありません。歴史的に男性が外で因果律が支配する社会で揉まれ、家庭に休息を求める傾向が有ったところに、男女平等の流れの中で良くも悪くもこれまでの均衡が崩れていることが、この問題をより複雑化しています。男性側に、より“視覚の美に弱い”という弱点があるのも古今東西の共通認識で、これもまた男性の説明責任を難しくしています。

遺伝子レベルの差異を乗り越えていこうとするとき、理論や記号は他の事象に比べて著しく頼りにならず、至近距離による経験知や共に行動する体験が1分でも1秒でも多いことの方が大きな貢献をします。
そこで得られたものの核心は、やはり、理論や記号に変換できないため、アランが幸福論の中で語る“古代の賢者で船が難破しー文無しになっても全財産はその賢者の身に宿している者”の状態であり、その経験知なり体験を有する者が発する理論や記号をいくら学んでも核心に近づくどころか却って遠ざかってしまうことだって起こり得る類のものなのです。

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