語学教師の徒然日記

政治や外国語その他いろいろなことについて思うことを記します。

教育基本法の改正について

2006-11-10 19:17:58 | Weblog
 教育基本法改正案が今月14日の衆院本会議までに可決との報道がある。いよいよ来るべきものがきたという感がある。

 憲法の理念はフランス革命などによって確立された人類普遍の価値であり、戦後日本はこれを高らかに謳いあげたことで民主国家の体裁をとることがようやく可能になった。ただ、憲法を変えただけでは国民のマインドまで変えることはできないので、教育勅語に代わる教育基本法を制定し教育によって個人の権利、人権、自由、平等などの人類が世界史の中で獲得した普遍的価値を植えつけようとしたものである。
 事実、教育基本法の前文には次のような記述がある。
「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」
 これで憲法と教育基本法が一対のものであることが明らかだろう。憲法が国家権力を縛る目的で書かれたものであるように、教育基本法は教育行政を縛ることが眼目である。基本法というものは憲法と同じで、国民から権力への命令だ。だから、上から国民に向かって国を愛せなどと命令するのはまったくお門違いなのだが、与党の改正案は第二条教育の目標五で次のように言っている。「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」言うまでもなく愛国心は上から強制されて芽生えるものではない。こういう法律が施行されたら面従腹背の愛国心優等生がたくさん生まれるだろうことは目に見えて明らかだ。

 第十条の改正も注目に値する。現行法は「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」となっているが、これが改正案だと第十六条「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」となる。「不当な支配に服することなく」の文言は残るが、「国民全体に対し直接に責任を」は削除されている。現行法が教育を主権者である国民に対し責任を持つべきものと規定しているのに対し、改正案では国民が国と地方公共団体にすりかえられている。これは教育を国=権力の支配下に置こうというもくろみの現われだろう。それをしやすくするために、「この法律及び他の法律の定めるところにより」と言う現行法にない規定を設けているのだろう。

 さらに、タウンミーティングでのやらせ事件はこの国のデモクラシーのレベルの低さを露呈するとともに権力が教育法をどういう方向へ持っていこうとしているかを示している。以下はasahicomからの引用。「03年から今年にかけて8回開かれた、政府主催の教育改革タウンミーティング(TM)のうち、5回で「やらせ質問」が判明した問題で、教育基本法の所管官庁である文部科学省が質問案を作成するなど、積極的に関与していたことが明確になった。政府は9日、やらせに関与した担当者を処分するとともに、小泉内閣で実施された計174回のTMのうち教育改革の8回を除く166回についても、同様の問題がないか調査し、終了するまではTMを開かない方針を決めた」
 規範意識が求められるのは教育を受ける生徒である以上に行政や政府与党のほうだ。

 改正法案では憲法との関連を述べた前文が削除されている。これは問題だ。どういう問題かと言うと教育基本法の改正は憲法改正の布石ではないかと思えるからだ。そもそも、日本の保守政治家は民主主義や平和主義を腹の中では嫌っているとしか思えない。彼らの日ごろの言動はそういう疑いを持たせるに十分だ。
 デモクラシーや教育の砦である憲法や教育基本法の改悪は決して看過できない事態だ。