語学教師の徒然日記

政治や外国語その他いろいろなことについて思うことを記します。

フセインがかっこよく見えてヤバイ

2006-11-07 11:17:31 | Weblog
イラク戦争が侵略戦争であったことは今や誰の目にも明らかだ。イラクは大量破壊兵器を隠し持っておりそれがテロリストの手に渡ることの危険性を考えるとアメリカは自衛のために先制攻撃に踏み切らざるを得ないというのが開戦の理由だった。だが、比較的短期間の攻撃でイラクは陥落したがその後の拙劣な統治のせいで国内は混乱をし、あちこちで小競り合いが勃発し米軍やイラク市民に多大の犠牲者を出した。ほどなく大量破壊兵器の存在そのものが否定され、誰もが戦争の正当性もしくは大義を疑うに至った。

 そこでもうひとつの戦争の大義がもち出された。アメリカはイラク国民を独裁者フセイン大統領の圧制から解放し、独裁制から民主制へと政治のレジームを変える手助けをしてあげたというのだ。

 これをアメリカの余計なおせっかいと思うイラク国民がいたとしても少しも不思議ではない。少なくともフセインが大統領を勤めていた時期にはいまのような混乱はなかった。たとえ独裁であっても見事な統治能力を発揮していたのだ。

 それが今彼は人道に対する罪(英語でcrime against humanity, 仏語でcrime contre l’humanitéと言う)で死刑判決が下された。これが果たして公正な裁判なのかきわめて疑わしい。米国は、司法は完全に独立していると言い張っているが、この裁判はフセインが主張するように茶番であるのは誰の目にも明らかだ。侵略者の占領下での裁判であり裁判官に外国人が含まれていない。国際法廷で裁くという選択肢も当然あるのだが、これでは極東軍事裁判よりずっと酷い不公平な裁判だ。それに米中間選挙の直前というこの時期にこの判決とは政治的な力が働いたと見るほうが自然だ。

 テレビ画面で見るフセインは逮捕当時のやつれた表情は消えかつてのような精悍さを取り戻していた。アメリカを侵略者と罵り威風堂々とイラク国民万歳と言っている。フセインを擁護するつもりはないのだが、彼がアメリカの「帝国主義」と戦う姿勢はまことにカッコヨク見えてそうとうヤバイ。変な比較で問題はあるけれども裁判を受ける能力さえ喪失した日本の麻原彰晃と比べるとこちらのほうがはるかに「大物」だ。