森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

新田壮の十二所神社

2014年12月21日 | 空色の休日 2014 

中世、上野国新田郡「新田荘」に関わる遺跡「新田荘遺跡」のひとつ、太田市別所町に残る『円福寺・十二所神社』に参拝。


新田本宗家第四代「新田政義」が開基したと伝えられる「御室山金剛院円福寺」の山門を抜けると、猫のお迎え....。


正面は『茶臼山古墳』となっていて、階段を上ると新田氏の守り本尊と伝えられる千手観音像の安置されてる「千手観音堂」。


前方後円墳の形式をもつ「茶臼山古墳」のくびれ部となる「千手観音堂」の右側、墳丘の後円部を上ったところが「十二所神社」となります。

十二所神社神像(五体)

 十二所神社本殿に十六体の神像が安置されている。神像は神仏習合の影響により崇拝の対象として作られたものである。
 神像はともに三十cm弱ほどの木彫一木造りで、胡粉を塗った後に彩色が施されている。十六体のうち五体に正元元年(1259)の銘があり、市重要文化財に指定されている。
 うち一体は背面上部に「阿波天神」、背面下部の左右に「右志者為阿闍梨静毫」「現世安穏後世善処往生極楽也」、中央に「正元々年己未十月五日」の刻銘があり、日付の下に花押が刻まれる。銘文に見られる「阿闍梨静毫」は新田正義により仁和寺から招かれた円福寺初代住職であるとされる。この神像は静毫自身により生前の安穏と生来の安楽を祈って造像、奉安されたものと考えられる。
 平成三年(1991)二月二八日
太田市教育委員会


では、参拝。でも、しっかり閉ざされていますね........。

:太田市観光協会さんの「太田シティ・ガイド」の中には『本殿内には三十センチ弱の木彫り一木造りの十六体の神像が安置されており、うち五体の神像に正元元年(一二五九)の銘があります。創建された時代は不明ですが、付近に散在した十二の末社を本寺の円福寺に寄せ一社とした際、各寺の本尊を一ヶ所に合祀して十二所神社と称したという伝承もあります。(トップページ>歴史・文化財>国指定史跡新田荘遺跡)』とあります。


ここにも猫がたくさんいますが........、眷属神か?


境内南には「伝新田氏累代の墓」が伝えられています。
 伝新田氏累代の墓は茶臼山古墳前方部東側にあり、多層塔・五輪塔・板碑の台石20基ほどがある。石材は新田郡笠懸町西鹿田の天神山産出の凝灰石と同定されている。この中の一基の五輪塔地輪部に新田義貞の祖父新田基氏の法名とされる「沙弥道義」の銘文がある。

 昭和54年度に墓地の保存整備事業を実施した際、発掘調査が行なわれ、埋葬施設が確認された。出土した骨蔵器には、中国産の白磁四耳壺、常滑焼・渥美焼の壺、地場産の軟質陶器が用いられている。中国製磁器が出土することはめずらしく、新田氏の財力の大きさを物語るものであろう。他の出土遺物に、かわらけ、板碑(建武5年銘ほか)、渡来銭(北宋銭が中心)、仏具、阿弥陀教の一部を写経した経石などがあり、中世仏教信仰を知るうえでも興味深い。

 墓が営まれた年代は骨蔵器・板碑・五輪塔群の様式から推定すると、鎌倉時代中期~南北朝時代(13世紀中頃~14世紀中頃)と考えられる。
(案内板より)
:ここです→ Google マップ

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