森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

関間 神明神社

2014年06月04日 | 空色の休日 2014 

開発広がる東武東上線若葉駅西口の鶴ヶ島市と坂戸市の境、木立に囲まれた100mを超す参道を持つ「関間 神明神社」に参拝。

 当社は往古富士浅間神明合祀社と号し、別当を曹洞宗自保山福泉寺が務めたが、神仏分離により神明神社と改称し、その後は、明治九年から本山修験篠井村観音堂配下の八幡山正福院が復飾して姓を宮本と名乗って神職となり、三代に渡って祀職を務めている。
 元来お浅間様と称する小高い山の上(現千代田中学校付近)に鎮座していたが、昭和十五年、この地に軍用飛行場の建設が計画されたため、現在地に移転した。
 祀神は大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)である。三間社である本殿にはそれぞれに幣束を祀るが、配祀二神については不明である。

(中略)

 もと当社は山に上に鎮座していた。この山は円周およそ二〇〇メートルの小高い土盛りで、社は富士向き(南西)に建ち、その周辺は樹木が生い茂り、あたかも富士山を思わせる景観を呈していたという。これは氏子の大変な労力の末造られたもので、ここから東北へおよそ五〇〇メートルの所にある「ヤダレ」と呼ぶ大きな池は盛り土に使われた土がここから運ばれたためできた池と伝える。
 昭和に入り、我が国が国際情勢の現状打破を企てる中、軍用飛行場建設がこの地に計画されたため、立ち退きを余儀なくされ、昭和一五年現在地に移転した。よって氏子の労力の結晶である信仰的象徴としての富士山は、非常時に名の下にいやおうなしに取り壊されてしまった。
 歴史的にみて、神仏分離に始まり、神社合祀、太平洋戦争及び戦後の混乱などにより古くから続いた多くの信仰及び行事が廃されてきたが、当地の例もその一つといえよう。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)



今回は、たまたま裏から入ってしまったので‥‥、一の鳥居より参道入り口を望む。理由あって(?)入口からの景色は、いずれ。

:参道入り口には鳥居はありません。

:ここです→ Google マップ

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