
行田市さきたま古墳公園の東側に隣接する古社「前玉神社(さきたまじんじゃ)」です。

駐車場入り口脇にある槇(イヌマキ)の御神木。
樹高16m、目通り直径4.08mは県内最大の大きさで、行田市の天然記念物に指定されています。

前玉神社は浅間塚古墳(せんげんづかこふん)の墳頂に鎮座しています。
近世初頭、忍城中にあった浅間神社を勧請してからは、浅間神社と称されるようになり、古墳上にある神社を「上(かみ)ノ宮」、中腹にある社を「下(しも)ノ宮」と呼んでいたが、明治の神仏分離に際して改称し、上の宮を前玉神社、下の宮を浅間神社とした。
一説に浅間信仰が普及してから、当社は、富士の行者が己の命の終わる時、当社にのみ雪を降らすと言い残し、その予言通り六月一日亡くなる日に雪が降り、これを奇異とした忍城主成田下総守氏長がこの地に塚を作り、浅間社を祀ったものといわれるようになった。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)

御祭神が「前玉比売神(さきたまひめのみこと)」と「前玉彦命(さきたまひこのみこと)」の男女神二柱ということから、恋愛成就や夫婦円満、縁結び等をご祈願されます。

古墳のふもとには、明治時代に埼玉地区の神社16社を合祀したという「明治神社」。
四二〇〇坪の境内には、前述の浅間社のほか、嘉永年中別当職によって勧請された天神社・御嶽神社・事任神社と、明治四一年字富士山通・字稲荷通・字杉原通・字天神原・字諏訪通・字下埼玉通・字上埼玉通・字丸墓通・字宮前通にあった各社を合祀してできた明治神社がある。明治神社への合祀は二〇社に及び、合祀神は軻遇突智命(かぐつちのみこと)・保食命(うけもちのみこと)・菅原道真公・須佐之男命(すさのおのみこと)・奥津彦明(おきつひこのみこと)・奥津姫明(おきつひめのみこと)・火彦霊明(ほむすびのみこと)・武御名方命(たけみなかたのみこと)・天忍穂耳命(あめのおしほみみ)・天穂日命(あめほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)・活津彦根命(いくつひこねのみこと)・熊野樟日命(くまぬふすびのみこと)・湍津姫命(みずつひめのみこと)・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)の一六柱である。ただし小埼沼近くにあった宇賀神社だけは祟りの伝説から合祀を行わなかったという。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)

広い境内には神楽殿もあって、きっとここは昔からこどもたちの絶好の遊び場となっているのではないでしょうか・・・・。


>森の中の恍惚:前玉神社の御朱印帳
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