森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

天王寺 安居神社

2019年05月28日 | 1/7,726 

「堀越神社」から、さらに谷町筋。二股の国道25号線を一心寺方面に行くと、「真田幸村終焉の地」とされる『安居神社』となります。

安居神社由緒略記

鎮座地 大阪市天王寺区逢阪一丁目三番二十四号
御祭神 少彦名神(すくなひこなのかみ)
    菅原道眞公

祭 日 例 祭 四月二十五日  月次祭 毎月一日 十五日 二十五日
    幸村祭 五月
    夏 祭 七月二十五日
    秋 祭 十月二十五日


 少彦明神を奉祀したのは古文書が散逸したので現在は詳かではないが、非常に古い時代の事であると伝えられている。この神は医薬禁厭(医術・薬方・まじない)智慧の祖神として、その霊験はまことにあらたかな神である。
 菅原道眞公の奉祀は公筑紫へ左遷される途上海上浪荒く暫くこの地に立ち寄って憩われた旧跡である所以を畏み、後四十年を経た天慶五年(西暦九四二年)此処にその御神霊をお祀りしたと伝えられている。
 菅公の御神徳は誠の権化であり又学問文化の神として人々を守護し導き給うのである。
 当神社の御神徳を厚く蒙った人々は昔から多く、中にも大丸の業祖下村彦右衛門氏は大きな御加護を賜りて繁栄されたことは有名であり当神社に対する信仰は極めて篤く大丸天神と称せられる所以である。
 境内に古より、癇鎮めの井と称する清冽なる水湧出する井戸があり霊水として広く知られているが、現在は四囲の状況に禍され枯渇の状態にある。
 又大阪夏の陣における眞田幸村戦死の地と伝えられ石碑が建っている。
 昭和二十年太平洋戦争の災禍をうけ一切の建物は烏有に帰したが、大丸を始め奉賛者の寄進により同二十六年春復興され現在種々の祭典が執行されている。



国道からはビル沿いの参道を進みます。


社殿が現れました。西向きですね。


社殿脇には、この境内で無念の死を遂げた「眞田幸村公の像」と「戦死跡の碑」が建てられています。

眞田幸村陣歿の旧跡

元和元年大阪夏の陣に徳川家康は秀忠と共に大軍を率いて大阪城を攻めた。ここに於いて大阪の兵は城の既に恃むべからざるを知って出でて戦い、五月六日、幸村は後藤基次、薄田兼相等と大和口を防がんとして河内の片山道明寺に赴き、基次等が敗死したので殿軍となって伊達政宗の兵と戦ひ、翌七日は天王寺附近に松平忠直の軍を迎え奮戦したが、ついに当社境内一本松の下で戦死した。時に年齢四十九歳であった。当時の松は既に枯死したが、社殿復興を機に昭和二十六年四月二十四日これを記念して植樹される。
 例年五月に幸村祭が盛大に行われる。



では、参拝。


金山彦神社(淡島大神、金山彦大神、金山姫大神)


玉姫稲荷神社。改修作業でしょうか? ブルーシートがかかっています。


御朱印もいただけますが、残念ながら本日は社務所がお休みとなっていました。またの機会にお願いいたしましょう。


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