When words leave off music begins.
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Dedicated to "goo blog"(7-2)
中山道は東海道の裏海道として江戸と京都を結ぶ大きな街道であった。その中央に位置し、軍事道路でもあった甲州街道の終点であった下諏訪宿は交通の要地であり、従って中山道で最も規模の大きい宿場であり本陣であった。参勤交代、日光例幣使、茶壺道中の行列や公用で通る諸大名等が多く宿泊している。下諏訪宿は一般の宿泊客も多く、四十五軒の旅籠が軒を並べていた。
又、問屋としては交通運輸の一切をとりしきった。荷物の送継ぎ、一般の交通の便をはかり、問屋場を運営して、宿場の一切の責任を負っていた。
問屋は幕府の下にあって、宿内の最高責任者であり、村々より人足を自由に集めたり裁判所に当たる仕事もして宿場の運営に当たった。苗字帯刀御免、別札宗門などは、その権威を裏付けるものであった。(パンフレットより)
中山道随一の名園と称される。各地の名石を集め自然の地形を利用して作庭された本格的築庭式石庭園で、東西の山や諏訪大社秋宮の森を借景にして、間に何も見せないように深山幽谷の趣に作庭されている。滝口付近は戦国時代よりあったと伝えられるが現代の様式を調えたのは江戸中期といわれている。
滝の水は諏訪神社秋宮の南方を流れる承知川の上流より引水され、本陣用水として石垣で囲まれた屋敷の周囲を流れていたがその水の一部をとって屋敷中央を通し池の水に用いている。春のつつじ、新緑、初夏のあやめ、さつき、秋の紅葉、雪景色と四季折々に装いを変える。(パンフレットより)