いわき民話さんぽ

福島県いわき市に古くから伝えられてきた昔話や伝説を取り上げ、紹介し、あれやこれやと考えを巡らせてみたいと思います。

泣き石  いわき市常磐白鳥町

2007年11月29日 | Weblog
いわき市常磐白鳥町には
「泣き石」といわれる石があり、
その石には、次のようなことが語り継がれています。

その昔、土地のある人が、この石の姿かたちに惚れ込んで、
庭石にしようと自分の家の庭に運び込んだところ、
夜な夜な庭の一隅から泣き声が聞こえてきました。
寝られぬまま、泣き声のするあたりを探ってみると、
どうもこの石のあたりなのだが、
あたりに人影はありません。
薄気味悪くなって、石をもとの所へ運び戻すと、
その夜から泣き声はパッタリしなくなったといいます。
また、別の人が家を建てるにあたって、
この石を土台石にしようと屋敷に運び込んだところ、
腰痛に見舞われ、大変難儀をしました。
これはこの石のせいだといいます。
昔むかし、那須野ケ原に、大きな石があって、
空行く鳥なども、
この石の上を通るとたちどころに落ちてしまい、
また、まわりの草木も枯れてしまうことから、
人々はこの石を憂い、恐れ、
祈祷師に石の正体をあばいてくれるように頼んだところ、
石の正体は九頭九尾の白狐であることが知れ、
祈祷師がさらに呪文を唱えると、
石は九つに割れ、各地に飛び散ったといいます。
その時、飛び散った石のひとつが、
この白鳥の「泣き石」だとされています。

この「泣き石」は、日本中央競馬会保健研究所常磐支所、
つまり、常磐白鳥の「馬の温泉」の入り口、
一般見学者用駐車場の反対側、
大きな赤松が数本生えているところの、根元にあります。
白っぽい色をした、でこぼこの多い石です。

因みに、近くの常磐藤原町の一本木にも、
那須の殺生石の一部が飛んで来たとされる「行屋の殺生石」があるそうです。

巨人伝説  いわき市湯ノ岳 三森山

2007年11月25日 | Weblog
昔、いわきにも「ダイダラボー」と
呼ばれる超巨人がいました。
この超巨人は、いわきの中央部にそびえる標高593.6mの
湯ノ岳のいただきに腰をかけ、
照島あたりの太平洋にまで手を伸ばし、
そこから魚や貝を獲っては、
うまそうに食べていたといます。
そして、その魚の骨や貝殻などを捨て、
山のように積もり積もったところが、
泉町の大畑地区などから発掘された貝塚なのだそうです。
ところで、この「ダイダラボー」の身長だが、
標高593.6mの山に腰を掛けていたといいますから、
小さく見積もっても、
2,000mほどはあったのではなかっただろうかと思われます。

ところで、「ダイダラボー」にまつわる伝説は、
湯ノ岳に残されているものだけではありません。
いわき市の北部にそびえる標高656.2mの三森山にも、
「ダイダラボー」がいたようなのです。

湯ノ岳に腰をかけ、照島あたりの海から魚や貝を獲り、
ムシャムシャと食べていた「ダイダラボー」と、
三森山に腰をかけ、
太平洋の水でジャブジャブと顔を洗っていた「ダイダラボー」・・・・、
この2人は、同一人物だったのでしょうか、
それとも別人だったのでしょうか。

良々堂三十三観音  いわき市三和町差塩

2007年11月19日 | Weblog
いわき市三和町差塩(さいそ)の
良々堂(ややどう)三十三観音は、
江戸時代に独国という僧によって
開かれたと伝えられています。

独国はこの地に、三十三観音を開くため、
弟子の無涯和尚を西国巡礼に赴かせ、
西国三十三観音それぞれの本尊と同じ石仏と
十六羅漢をここに安置したそうです。

これによって、
「遠い西国まで行かなくても、
この地で西国三十三観音の巡礼ができ、
いやが上にもその功徳を居民に示し、
平常心を養ふこと今に至っております。
この良々堂三十三観音の一周は、およそ3㎞で、
所要時間は二時間足らず」
とは、三十三観音の入り口に立つ石碑「参道案内」の一節です。

時間をかけ、ゆっくりと山々を歩き、
三十三観音めぐりをするもの、いいものです。

仏様たちが大きな慈愛をもって迎えてくれます。

梵字石  いわき市川前町上桶売

2007年11月17日 | Weblog
いわき市川前町上桶売字沢尻の鈴坂というところに、
梵字石と呼ばれる石があって、
その石には梵字と蓮華座が刻まれています。
突然の病に倒れ、この世を去った愛しい娘の供養にと、
父親が建立したものと伝えられています。

この石が建っているのは、
沢尻から隣り地区の湯沢に通じる山道の傍ら。
今では、この道を行き交う人は殆んどなく、
鬱蒼とした杉木立が続くだけですが、
かつてはよく使われたそうで、
学校に通う子どもたちも、
この道を行き来したといいます。

呼ばり石  いわき市内郷高野町

2007年11月16日 | Weblog
いわき市内郷高野町の銅目木と番所の境に、
高さ3m、幅8mほどの大きさの
「呼ばり大石」という石があるそうです。

言い伝えによりますと、
昔、殿様が来ると、
「殿様が来たぞ」と
人々に大声で知らせる場所の近くにあったということで、
この名が付けられたといいます。

高野多目的集会所の脇の道を登って行くと、
石垣に突き当たり、そこで道が二股になっていて、
そこを右に行くと、道沿いの木立のなかに
立派な「呼ばり大石」があります。

弁慶の休み石  いわき市三和町下永井

2007年11月13日 | Weblog
力持ちというと、武蔵坊弁慶のことを思い出しますが、
その弁慶にまつわる石が、いわき市内にもあります。

いわき市三和町下永井の
大堀字弁慶にある「弁慶の休み石」というのがそれで、
その昔、弁慶が腰をおろして休んだといわれています。
また、「この石に人が登ると、雨が降る」とも伝えられています。

是非一度、この石を見てみたいと思っていますが、
私自身、まだ、その機会に恵まれてはいません。

真浄寺の胴突き石  いわき市鹿島町下矢田

2007年11月09日 | Weblog
いわき市鹿島町下矢田の真浄院の境内に、
ひとつの石が鎮座しています。
かつて、どのような事情があったのかは
定かではありませんが、
この石が石段の下まで転げ落ちてしまい、
村の人たちが困ってしまったことがあったそうです。
ところが、そこにどこからともなく、
力自慢の男が現われ、
軽々と石を担ぎ上げると、
石段の上まで運びあげてくれたそうです。

この石は元来、家を造る際に、
地盤を固めるのに使った胴突き石だったそうで、
石の真ん中のあたりがくびれ、
ダルマのような形をしています。
そのくびれたところに縄をまわして縛り、
皆で歌を歌い、
力を合わせて胴突きをしたのだといいます。

鹿島町御代の八坂神社の「力石」  いわき市鹿島御代

2007年11月04日 | Weblog
いわき市鹿島町御代の八坂神社には、
「力石」と呼ばれている石があると言います。
お祭りなどの際、土地の若い者たちが
これを持ち上げ、運び、力くらべをしたのだそうです。

訪ねてみることにしました。
そして、こんな話を聞くことが出来ました。
「重さは100㎏以上あるだろうなぁ。
祭りとか、遊山の時なんかに、
若い連中が力くらべをしてなぁ。
力石を持ち上げて、歩くんだ。
なかには50mも、100mも歩いた若い衆もいたなぁ。
裸足にならず、下駄をはいたまま、
力石をヒョッイと担ぎ上げた力持ちもいた。
それから、力石には小さな窪みがあって、
そこに酒を注いで、皆で飲んだりもした」

私も、「力石」に手を掛け、
持ち上げようとしてみたが、
ビクッともしなかった。

「龍の口」という石  いわき市平北神谷

2007年11月02日 | Weblog
いわき市平北神谷には
「龍の口」といわれる石があるそうです。
でも、その石はあまりありがたくない石のようです。

「龍の口」といわれる石にまつわる伝説は、次のようなものです。

(北神谷の)日中の古箕明神の上の山に龍の口といって、
大きな口のあいた龍の如き名石がある。
此石の口の方に当る作は
皆すい込まれるとて、昔から貧乏する。
この石の尻の方にあたる所は
しりためるとて、金持になるという。
それで日中は昔から
貧乏しているのだそうである。                        高木誠一著『石城北神谷誌』より

大きな石なのでしょうから、
簡単に向きを変えることも
かなわないのでしょう。
でも、もし、石の口の方角に当たっている集落の人たちが、
こっそり石の向きを変えたら、
石の尻に当たっている集落の人たちから
きつい仕打ちを受けることになるでしょう。


閼伽井嶽の文殊石  いわき市平赤井

2007年11月01日 | Weblog
いわき市を代表する霊峰、閼伽井嶽。
山の頂き近くには、常福寺という古刹があります。
ところで、怪奇な伝説を今に伝える文殊石は、
いわき市平の赤井方面から閼伽井嶽への車道を辿り、
常福寺の駐車場に入る10メートルほど手前、道路の右手にあります。
この石は泣いたり、うなったり、
さらには血や涙を流したりしたそうで、
次のような話が伝えられています。

閼伽井嶽に文殊石という
高さ4メートルくらいの石がある。
この石を何かに使用することがあって、
石工が割り始めたところが、
その夜、雷鳴がとどろき物凄かった。
翌朝、石のところに行ってみると、
文殊菩薩が出現し、石からは血が出ていたそうである。
この石は一名、泣き石ともいう。
堂塔を建てようとして、
この石を取り除くため割りかけたが、
石が急にうなり出し、血が流れたので中止した。
幾回試みても同じなので、
割りかけたままになっているという。
           『いわき市史』

この石の岩肌には、くさびを打ち込んで割ろうとした痕跡が、
今でもはっきりと残っています。