昭和の終わり頃、
いわき市三和町永井の人たちが
地域の昔話を集め、
『永井の昔ばなし』という1冊の本を作りました。
とても素晴らしい内容の本です。
今回は、
その中に収められた「万次郎屋敷と大工屋敷」という
話を紹介します。
上永井高戸地内を通る県道の右側の丘の上に、
昔、万次郎と云う名前の大金持ちが住んでいました。
今の高戸の田畑の多くは
万次郎の所有のものであって、
小作人や使用人を沢山使っていたと伝えられています。
しかし何らかの理由で家がつぶれ、
住む人もなくなってしまいました。
今でも広い整地されたような土地が残っておりますが、
今は所有者も変り、植林された杉林の中に
井戸あとの石積みのあとや、
庭にあったらしいおもとが残っていて、
時々赤い実をつけています。
万次郎屋敷と並んで、大工屋敷があります。
この屋敷は昔、大工をして財をなした人の住居だっとと云われ、
当時は大変立派な屋敷だったといわれています。
しかし不幸が続き、家族も少なくなり、
使用人もいなくなって、いつのまにか住む人もなくなり、
屋敷も朽ち果ててしまったということです。
いわき市三和町永井の人たちが
地域の昔話を集め、
『永井の昔ばなし』という1冊の本を作りました。
とても素晴らしい内容の本です。
今回は、
その中に収められた「万次郎屋敷と大工屋敷」という
話を紹介します。
上永井高戸地内を通る県道の右側の丘の上に、
昔、万次郎と云う名前の大金持ちが住んでいました。
今の高戸の田畑の多くは
万次郎の所有のものであって、
小作人や使用人を沢山使っていたと伝えられています。
しかし何らかの理由で家がつぶれ、
住む人もなくなってしまいました。
今でも広い整地されたような土地が残っておりますが、
今は所有者も変り、植林された杉林の中に
井戸あとの石積みのあとや、
庭にあったらしいおもとが残っていて、
時々赤い実をつけています。
万次郎屋敷と並んで、大工屋敷があります。
この屋敷は昔、大工をして財をなした人の住居だっとと云われ、
当時は大変立派な屋敷だったといわれています。
しかし不幸が続き、家族も少なくなり、
使用人もいなくなって、いつのまにか住む人もなくなり、
屋敷も朽ち果ててしまったということです。