新潟県神社庁

新潟県神社庁オフィシャルブログ

ある合格祈願祭

2012-09-01 10:07:00 | エッセイ
シリーズ・エッセイ3
ある合格祈願祭
久我 寛

13005



 二月下旬のめずらしく暖かな日の午後のこと、二人の女子中学生が合格祈願をお願いしたいと訪ねてきた。

 早速拝殿へ上がってもらい、住所氏名を書いてもらってから、「もし差しつかえなければ、志望校も教えてくれませんか。祝詞の中で神様にお願いしますから」
と言うと、二人は急に顔を見合わせてもじもじし出した。

「いや、志望校は言いたくなければいいですよ」
と言っても、二人はまで落ち着かない様子である。そのうちひそひそと何か話し合っていたが、やがて一人が、
「あのー、本当は受験するのは自分たちではなくて・・・」
と言い出した。

 私はその時ちょっと思い当たるところがあって、
「あ、そうかボーイフレンドのための合格祈願なんだ。当たりでしょう」
と言うと、二人はにっこりうなずいて、
「そんなのって、駄目でしょうか?」
と心配そうに私の方を見た。

 実は私がその時思い当たったのには、ある伏線があった。高校在職中、修学旅行で太宰府天満宮を参拝した折、何人かの生徒が合格御守を二体ずつ受けているのを不思議に思って聞いてみると、「ひとつはボーイフレンドへのおみやげデース」と、明るく答えていたのを思い出したからである。

 私は不安そうな二人に、
「ボーイフレンドのために合格をお祈りに来たあなた達のやさしい気持ちは、きっと神様に通じますよ」
と言って、何か彼等からもらったものか写真でもありますかと尋ねた。二人はバッグの中から、ボーイフレンドと並んで撮った小さな写真がびっしり貼ってある手帳を取り出した。

 私はその写真を案に載せて彼女たちの前に置き、一緒に修祓をして合格祈願の祝詞を奏上した。

 終わって、ボーイフレンドには合格御守を、彼女たちには学業成就の御守を授与し、
「合格発表がすんだら、今度は四人で一緒にお参りにいらっしゃい」
と言って送り出すと、二人の中学生は、はじけるような明るい笑顔を浮かべて帰っていった。

(新潟市・神明宮宮司)
【平成14年5月1日「庁報新潟」第65号より】
※内容は庁報掲載時のものです。


神々の森と里山

2012-09-01 09:45:00 | エッセイ
シリーズ・エッセイ2
神々の森と里山
小川清隆

35014

 私は少年時代からこんにちまで神社奉仕の傍ら植物の研究、観察を続けてまいりました。一頃は高山植物を求めて登山などもおこないましたが、体力の乏しい私は何時しか神社の森、各地の社叢に関心を持つようになりました。

 ご存知のように社叢は神様の御住まいになる神聖な所として古来斧を入れる事が禁じられて来ました。そのためこうした森は植林される事も無く、その土地に最も適した自然の儘の森林となって今日まで保存されて来たのです。それらの樹種は南ではキスノキやシイノキ、ヤブツパキなどの照葉樹、新潟県など本州の中部以北ではナラ、サクラ、ブナなどの落葉広葉樹が自然林を作っています。

 こうした社叢や神木の中には学問的に貴重であるという事で、天然記念物に指定されたものも少なくありません。これは神様がお守り下さったお陰と言えるのではないでしょうか。無論天然記念物に指定されていない社叢にも貴重な森や神木が沢山あります。

 ところで最近里山という言葉をしばしば耳にします。里山はかつては農山村に住む人々の生活のあらゆる物資を供給する場として重要な位置を占めていました。そこでは建築材は無論、繊維をとるためのカラムシ、臘も灯明の油も漆も、またトチの実や様々な山菜を食料として供給してきたのです。

 当時の里山は針葉樹林ではなく雑木中心だったのです。しかし生活の雑貨が簡単に手に入るようになって雑木は伐り払われ、スギやヒノキの植林が行われるようになりました。こうした植林地には無限に人手がかかります。近年の農山村の人口の減少が里山の荒廃を招きました。加えて需要の減少がこれに拍車をかけます。草苅十字軍などのボランティアだけでは広大な里山に手入れが行き届く筈がありません。

 ここで神様の森にもう一度目を転じて見ましょう。誰がいったい神様の森に手入れなどしたでしょうか。一度もそんな事はありませんでした。にもかかわらず立派な自然が今日まで保たれていたのです。このあたりで里山も神様の森と思考を替えて人手を加えず神の手に、いや自然の手にゆだねて見てはどうでしょうか。

(上越市・春日山神社宮司)
【平成14年1月1日「庁報新潟」第64号より】
※内容は庁報掲載時のものです。




ふたつの森の文化

2012-09-01 09:21:00 | エッセイ
シリーズ・エッセイ1
ふたつの森の文化
久我 寛

44011

 高校在職中、私は文部省後援の海外ホームスティ・プログラムに携わっていて、夏休みにいつも十数名の生徒を引率して欧米各国へ出かけていた。

 その際、私は生徒達への課題として、日本の昔話の中から各自が好きなものを選んで、滞在先の交流会で英語で語らせることにしていた。この催しはなかなか好評で、学校や公民館などから何度もお呼びが掛かるほどであった。

 ある年、ドイツの小さな町の交流会で、「お爺さんは山(英語では森と訳した)へ柴かりに、お婆さんは川へ洗濯に・・・」という我々にはなんの疑問も起こらない箇所に、
「どうして老人がたったひとりで森へ行くのですか?」
という質問が出た。老人をひとり手ぶらで森へやるのは危険ではないか、というのである。

 私はそれを聞いて、こうした質問が出された背景がわかるような気がした。ヨーロッパの詩や物語を読んでいると、そこに描かれている森のイメージは、我々のものとは随分違うらしいのである。

 ヨーロッパの子供達にとっては、森とは暗くて恐ろしいところ、奇怪な妖精やおおかみの住みかであり、その森へ行くには狩人は馬にまたがり、鉄砲(昔は弓矢)で武装し、訓練された猟犬を何匹も連れていかなければならないところなのである。

 一方、我々が森に抱くイメージはそれとは逆で、四季折々に山の幸を運んでくれ、燃料や住宅材の供給地であり、迷い込んでいくうちに、もしかしたら桃源郷に至るかもしれないという、限りなく夢のあるところなのである。

 ヨーロッパ開拓の歴史は、その暗くて恐ろしい森を伐り開いてオープンランドをつくり、そこに都市と牧草地をつくることだったといってもよいであろう。

 梅原猛さんの戯曲『ギルガメシュ』にもあるように、西欧最古の叙事詩といわれるこの物語の中に、象徴的な話がある。シュメール王ギルガメシュが、青銅の手斧(これは近代文明のシンボルであろう)を携えて、レバノン杉の茂る美しい森へ出かけ、森の守護神フンババを惨殺し、森を伐り開く話である。

 最近の新聞によれば、地球環境保全の国際会議がまとまらないという。とくに熱帯林の破壊について、西欧諸国は焼畑農耕がその元凶だと非難し、焼畑農耕民は近代資本による大規模なプランテーションの造成こそがその原因だと、お互いを非難し合っている。

 もしかしたらこうした対立の背景には、森についてのまったく異なるふたつの文化の違いがあるのかもしれないと思うのである。

(新潟市・神明宮宮司)
【平成13年5月1日「庁報新潟」第62号より】
※内容は庁報掲載時のものです。