みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌/ 西部診療所の思い出

2024-06-02 05:45:00 | 日記


昨日は2024年6月1日。生協の西部診療所開設の40周年目を祝う会のつどいが行われました。
10年前、梅やんは私宅へ身を寄せており、この診療所に時々受診しておりました。


そのつどいに健生病院の村野先生が来てくれておりました。母の胃ろうの施術の判断をしていただき、そのままでは施設でも病院でも在宅でも10日か余りか余命は無いだろうといわれていたのですが、1年8ヶ月在宅とショートステイで楽しく命を繋ぐことができました。その時の主治医でした。お礼を申させていただきました。



西部診療所の駐車場にて。





泊まりのデイサービスにて。



西部診療所にて。





みなみの梅やん介護日誌/ ミヤやん逝く

2024-05-26 19:47:00 | 日記

今日、沢谷で聞いた話によれば、先日、松本のミヤやんが101歳で亡くなられたそうです。梅やんとは同じ小畠の隣で親しくお付き合いしていただきました。写真は今から8年前に柚子取りに来て頂いて実家で一緒に写したものです。ご冥福をお祈りします。








梅やん86歳の写真です。







娘のサナエさんとは同級生で、柚子を一緒に取りながら、イエスキリストの話をお互いにし合ったものでした。





この日は上那賀町拝宮農村舞台の浄瑠璃を見学に行きました。


その後、各集落を回りお世話になった人々に挨拶しました。




高野では空き家で留守にしておいたら泥棒に入られて、警察の鑑識に調べてもらったそうです。みなさん、留守にしないで時々は故郷の家に帰り、見守りしましょう。




















みなみの梅やん介護日誌 /茶摘み

2024-05-14 20:51:00 | 日記


田中清掃さんが来て浄化槽の送風器ブロアを交換しました。古い送風機は25年以上も休むことなく働き続けてくれました。父リキさんが在宅で酸素療法をするようになり、梅やんが思い切って洋式水洗トイレに直したのだろうと思います。


お天気は快晴でした。茶摘みをして煎って、揉んで干して自家用のお茶を作りました。梅やんは脳卒中になるまでは最後までお茶を摘みました。


帰りは雄ヤギのを連れて帰りました。美郷にて休憩中の写真です。このヤギ、元々は奈良県で活躍していたレンタル用の仕事をするヤギです。車での移動は心得ていて、50分ごとに10分間のトイレ休憩をすると、自分で車の箱に乗り込みます。梅やんの療養中はよく懐いておりました。






みなみの梅やん介護日誌 /一周忌終わる

2024-05-08 21:34:00 | 日記
先日、法事が終わりました。

おいじゅっさんの法話では、仏教では人はご飯を食べれなくなったら自然にやせてガリガリになり死を迎えるそうです。

節子が梅やんに聞いてみたら、「美味いものも食べれんようになって管入れて生きとっても何じゃええことない」と答えたそうです。そりゃあ、当たり前かもしれませんね。特に夜中の呼吸困難は苦しかったことでしょう。でも、それだけ答えることができたのは、認知症の治療としては成功したといえるでしょう。最後までそのような感情で人らしく生きれたことが良かったのではないかなあ!

親戚の皆さん、ありがとうございました。




みなみの梅やん介護日誌/ 一年前、最後の夜の梅やん

2024-04-30 20:53:00 | 日記
ちょうど一年前の今日の午後5時から梅やんのチェーンストークス呼吸が始まった。私は1人で母の看病にあたった。痰がゴロゴロいうので吸引器で吸入した。白い痰がたくさん出て来た。熱は上がらずだが、指先の酸素が低下し始めた。顔面が今までになく蒼白になり苦しそうな表情になった。せこいか?と聞くと、「せこい」と言う。朝まで頑張ろう。月曜になったら病院へ連れて行こう。最後の夜、梅やんは眠ることなく朝を迎えた。